第16話 王女は勇者の妻と入れ替わりを完了させる。

 勇者一行が魔王の封印に成功したらしい。その知らせは、国中の民たちを沸かせていた。もちろん毎日祈りを捧げていたマルグリットやエマたちにとっても、待ちに待った知らせだった。ふたりはぽろぽろと涙を流しながら、お互いを抱きしめあう。彼女たちにとって本当に大事だったのは魔王の封印についてではなく、神官長と勇者の無事の知らせだったのだけれど。


「姫さま!」

「エマ、やっとよ。やっと、みんな帰ってくるわ」

「良かった、本当に良かったです」

「もう、今から泣いてばかりでどうするのです。私たちには、まだ最後の仕上げが残っているでしょう?」


 マルグリットがエマをたしなめれば、彼女ははっとしたようにマルグリットを見つめた。まつげを震わせながら、エマはためらいがちにマルグリットに問いかける。


「本当に、姫さまの予想通りになるのでしょうか」

「王族の非道さ冷酷さは、私が一番よくわかっているわ。もしも私が国王陛下ならきっと……。だから、毎日を悔いなく過ごしましょう。その時が来ても、お別れの挨拶はできそうにないから。後のことは、事前の計画通りしっかりと。大丈夫、全部うまくいきます」

「姫さま……」


(本当にエマは綺麗ね。勇者の凱旋の際には、きっとエマは面紗を外されることでしょうが、もう何年もマルグリットとしての素顔は、誰にもさらしていないのですから、気づかれる恐れもありませんね。魔力がほとんどないと思われていたせいで、この離宮に王家の影が遣わされることもなかったのだから)


 どんなに泣き腫らしていても、エマは見惚れてしまうほどに美しい。面紗をとって人前に顔をさらしたなら、誰もが彼女の美しさに心奪われるだろう。凱旋した勇者と彼の無事を祈り続けていた王女が感動の再会を果たしたなら、吟遊詩人たちが国中の人々が夢中になるほどの美談に仕上げてくれるはずだ。


(そしてこれだけの美貌ならば、国王陛下もお母さまたちも自分たちの娘として可愛がってくれるでしょう。それこそ、勇者を射止めた自慢の娘になるに違いありません。そして、それがエマにとっての命綱になる。エマ、どんな時でも笑っていなさい。そうすれば、誰もがあなたを守る頼もしい味方になってくれるはずです)


 そして勇者一行が王都への到着目前と言われた月のない夜のこと。離宮には、招かれざる客が訪れていた。マルグリットの枕元に忍び寄った侵入者に、彼女は小さくため息をつく。気配を隠すことさえしていないのは、気づかれないと思っていたからなのか。それとも絶対に息の根を止める自信があったからなのか。


「こんな時間に来客とは聞いておりませんが」

「失礼。だが、事前に伝えていると中に入れてもらえないのでな」


(情報を漏らさないために無言が基本でしょうに。本当になめられたものね)


「なるほど、堂々と立ち入ることのできる身分の方ではないと。……勇者の元妻である私を始末にいらっしゃいましたか」

「ご名答」

「それでは、刺殺などではなく、服毒にしてくださいませ。かつての夫とはいえ、せめてまともな死に顔を見せたいですので」

「……まるで、こうなることがわかっていたような口ぶりだな」

「子どもでもわかる話ですよ。私の存在は、どう転んでも邪魔になります。それならば、英雄となった夫が帰国する前に片付けるに決まっているでしょう?」

「野心もなく賢い。ただ、勇者の妻となっていたばかりに。気の毒なことだ」


 淡々と告げられて、マルグリットは肩をすくめてみせた。今から自分の命を刈り取ろうとしている人間に同情されるというのも、なんとも空しいものだ。ただこういった仕事についている人間だからこそ、噂に惑わされずに人間の本質が見えるものなのかもしれなかった。


「その毒は、苦しいですか? できれば眠るように楽に逝きたいのですが」

「本当かどうかは知らないが、預かった毒は女神の涙だそうだ。病死にしか見えないくらい、綺麗に死ねるそうだよ」

「それはそれは。ご親切にありがとうございます。それならば、寝台の上で飲むべきでしょうね。敷布が汚れないように、どうにかしておくべきかしら」


(やはり、王家は勇者の元妻の存在を許さなかった。もしかしたら……と思って婚約式から入れ替わっていたけれど、本当によかった。うっかり入れ替わるタイミングを逃していたら、エマに毒を盛られるところだったわ。エマが毒を飲んだら、一巻の終わりですものね)


 自分が死んだ後のことを考えて寝台を整え始めるマルグリットに、招かれざる客は戸惑いを隠せないようだった。もう明日からこの部屋を使うことはないのだ。どこか不思議な気持ちで、マルグリットは毒の入った杯を受け取った。


(女神の涙……王族の自決用の毒を渡してくるなんて、本気度がすごい。絶対に病死に見えるような形にしたいのね)


 真珠色に輝く毒を一息に飲み干す。

 喉から食道に、毒が通過していくのがわかる。身体の中が燃えるように熱い。


(熱い! 熱い!)


 身体の中をかきむしりたくなるような苦しさに、ひとり悶える。


(酷い、全然眠るように死ねないではありませんか)


 そういえば暗殺者は、先ほどのマルグリットの質問に対して肯定も否定もしてはいなかった。答えがないことは肯定の証だ。とすれば、「病死に見える」というのは、見た目が崩れずに美しく死ねるということに重きが置かれた毒ということなのだろう。容姿を損なわずに死ぬことができるのは、王族の威厳を守るためか、あるいは顔の確認を容易にするためなのか。


(無駄に疑われることがないほうが良いにきまっているわね。ああ女神さま。どうか、うまくいきますように。そしてどうか次に目が覚めたなら……)


 マルグリットは静かに世界に別れを告げた。



 ***



 どれくらいの時間が過ぎたのか。マルグリットは固く強張った身体の痛みで目が覚めた。身体を少し動かしただけで、悲鳴を上げそうになる。まったく起き上がれそうにない。おそらく、起き上がる空間などないのだろうが。


(どうやらうまくいったようね)


 マルグリットは、うつらうつらとしたままぼんやりと考える。目の前は真っ暗だ。背中にあたる感触が堅いこと、自分が胸の前で手を組まされていたことからここは棺の中に違いないと予想する。エマには、もしも自分が暗殺者に襲われた場合にはそのまま棺に入れて、王家ゆかりの墓所に納棺するように頼んでおいたのだ。


(約束が守られているならば、棺は地下墓地に安置しているはず。仮死状態のまま、うっかり窒息することはないでしょう)


 意識を取り戻せるかどうかは一か八かの賭けだったが、その賭けには勝てたようだ。笑い出したくなりながら、しかしマルグリットは再び眠気に身体をゆだねた。


(生き残るためには、眠らなければ。ディランさまが帰還される時まで私が生き残ることができて初めて、本当に賭けに勝ったと言えるのだから)


 魔力の消費を抑えるために、固有魔法は最低限の出力に留めなければならない。これから先、どれくらい長い間この棺の中で過ごすことになるのか。固有魔法の浄化を使い、毒を少しずつ分解しながら仮死状態を保てば、飲まず食わずで死んだふりをしていてもなんとかなると思いたかった。


(よくわからないけれど、たぶん身体は切り刻まれていないみたい。無事に「死亡した」と見なされたのね。毒で死んだ後に切り刻まれたら、さすがに生き返ることはできないから心配していたけれど、そこまではしなかった。やっぱり、勇者さまの帰国後、万が一にも咎められることを恐れたということかしら)


 マルグリットは魔力量の多さや、固有魔法について王家に報告していなかった自分を褒めたくなった。王家の道具として奴隷のように扱われることを避けた結果だったけれど、おかげで王家の裏をかくことができた。


 ひとり残されることになるエマだが、エマの母親である乳母は離宮への出入りを許されている。母親がそばにいればなんとか心の安寧を図ることができるだろう。


(あとはしっかりがんばってね、エマ。私は祈っていることしかできないのだから)


 そうしてマルグリットは、再び意識を手放した。ディランたちの無事を祈りながら。

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