第17話 王女は神官長の手で目覚める。

 帰還した勇者一行は、多くの国民が出迎える中で王城へと戻ってきた。勇者の隣で微笑むのは、面紗を外した見事な美姫。彼女の隣には満足そうな国王と、成長し年頃になってようやっと花開いた娘の美貌に満足そうな麗妃の姿がある。


 あの美貌ゆえに末王女は顔をひた隠しにしていたのかと、国民たちは熱狂した。魔王を封印した勇者と、絶世の美女だった末王女。彼らの再会は、甘く物語のように美しい。しかしただひとり神官長だけは気が付いていた。


(あの女性は、誰ですか。少なくとも、わたしの知る王女殿下ではありません。ここ数年顔を見ることがなかったとはいえ、わたしが彼女の顔を見間違えるはずがないのです。少なくとも、わたしのメグはあんな笑い方なんてしない)


 この王女は、マルグリットではない。けれど、それを確信しているのは当事者である勇者や王女の振りをした女性――おそらくは勇者の元妻――だけ。周囲の誰もが面紗を被り、ほとんど話すことのなかった本当のマルグリットのことは覚えていないらしい。夢のような王女と勇者の抱擁に涙するばかりだ。


「王女殿下万歳!」

「勇者さま万歳!」


 王城のバルコニー前には、民衆が詰めかけていた。誰もが興奮したように口々に祝いの言葉を口にする。


(一体どういうことですか。何が起きているのか、理解できない)


「……失礼、エマ殿の姿が見えないようだが?」


 ディランの疑問に答える者は誰もいない。そういえば、王女と勇者の婚約式にも勇者の元妻であるエマの姿はなかったはずだ。王女と勇者の婚約を取り持つ羽目になったディランは、あの時、自分が思った以上に冷静ではなかったことに気が付かされた。もしかしたら、マルグリットとエマはあの時点で既に入れ替わっていたのではないか。


「神官長さま……」

「あなたは、王女殿下の乳母殿? どうなさいましたか。王女殿下の晴れ舞台です。あなたの姿がないと、王女殿下がご心配なさるのでは?」

「あああああ、本当に、本当に申し訳ございません!」

「乳母殿、落ち着いてください。みなが驚いています。どうぞこちらへ」


 ディランが人目のつかない通路へ乳母を連れ出した。彼女が動揺する理由の一端を、ディランは理解しているつもりだ。勇者の隣にいるのは、マルグリットではなくエマ……つまりは乳母の娘である。マルグリットがここにいない、そしてマルグリットとしてエマが振舞っている理由を彼女は知っているのだ。


 それでも、ディランは入れ替わりの件については指摘しなかった。ここで乳母を責めたところで話がこじれるだけ。それよりもまずは、マルグリットの無事を確認したい一心だ。彼女はまるで自分自身が罪を犯したかのように地面にひざまずきながら、ディランにエマを神殿に連れて行ってやってほしいと懇願してきた。


「神官長さま、エマは神官長さまたちの無事を祈りつつも、体調不良で急死いたしました」

「何を言って……」

「遺体は、勇者さまに確認をいただくという形で保管されておりますが、エマの願いは神官長さまの管理する神殿に埋葬されることでした。何卒、連れて行ってやってはもらえないでしょうか」

「彼女が、死んだ?」

「どうぞお願いです。あの狭くて暗く冷たい場所から、穏やかな暖かいところに出してあげてくださいませ。このままあんなところで眠り続けるのはあまりに可哀そうです」


 涙ながらに訴えかける乳母の姿は、娘を亡くし、混乱しているようにも見えた。だが、マルグリットの姿がないことを知っているディランにしてみれば、告白されている内容はまったく異なる。


 勇者の妻と入れ替わった王女は、棺の中にいる。その事実に、ディランは叫び出したくなるのを必死にこらえていた。



 ***



(メグが死んだ? そんなまさか)


 勇者の妻のふりをしたマルグリットが納められていたのは、飾り気のない質素な棺だった。それを見て無性に腹が立ったが、すぐにディランは考えを改める。


 棺に使われている木材は、腐りにくく丈夫なことで知られているものだ。耐久性に優れていて、虫もわきにくい。入れ替わりの真の目的が自分の想像通りなら、この棺を選んだのは王女自身の可能性が非常に高くなる。


 王女の家族の悪口はあまり言いたくないが、真に良いものを見抜く力は高くない。ぱっと見が地味な木材は勇者の妻にぴったりだと思われ、特に疑われることもなかったはずだ。


(……メグ、どうか!)


 棺は釘などで打ち付けられてはいなかった。期待と不安が入り混じる中で、ゆっくりと蓋を開く。その瞬間ふわりと漂ってきたのは、すえた死臭ではなく、マルグリットの好んでいた花の香り。棺の中の彼女は、かつての面影そのままの姿で静かに横たわっていた。


「メグ! 帰ってきました。約束通り、帰ってきましたよ」


 呼吸や脈拍はぱっと見るだけでは生きているか死んでいるかの確認はできない。自分よりもずいぶんと冷たい手を握り、震える手を必死で押し殺す。ディランは、マルグリットが死んだとは思っていなかった。それは、必死にマルグリットをここから連れ出してほしいと言い続けた乳母の態度で確信に変わっている。


 古来より使い古されているとはいえ、癒しの魔法の使い手であれば効果的な方法……仮死状態になって死んだ振りをして敵の目をやり過ごす。マルグリットは、この時のために自分にも魔法が使えるようになったことを言わないまま、切り札として隠し持っていたのではないだろうか。


 だが仮死状態になったとして、マルグリットはどうやって目覚めるつもりだったのか。誰の力を借りるつもりだったのかなんて、確認しなくてもわかっていた。マルグリットがすべてを捧げて魔力を受け入れた相手――勇者――が、彼女を起こす手はずになっていたのだろう。


「そこまでして、勇者の幸せを願ったのですか? 自分の地位も何もかも、勇者の妻に譲り渡してまで、彼に幸せになってほしかったと? 一歩間違えれば、仮死状態のまま目覚めることもなくこの世に別れを告げる羽目になっていたというのに」


 もちろん棺の中のマルグリットは答えない。そもそも、ディランの声など聞こえてもいないだろう。そっと彼女の髪を整える。触れた頬は、かつての記憶よりもずいぶん痩せこけていて、悔しくてたまらなくなった。


「ご無礼、どうぞお許しを」


 そっと身体を抱き上げれば、あまりの軽さにめまいがする。こんな彼女に、勇者は自分の大切な相手の保護を丸投げしていたのか。しかも、そのことに感謝さえしないまま、勇者は愛する妻との再会を喜んでいる。あまりにもないがしろにされているマルグリットが哀れだった。


「あなたはそれでもかまわないとおっしゃるのかもしれませんが、愛しているひとが不幸になるのを見て何も感じないわけがないでしょう?」


 マルグリットは、勇者からの目覚めの口づけを期待していたのだろう。マルグリットの願いを叶えてやらなければという想いと、絶対に叶えたくないという気持ちが混ざり合い、やがて嫉妬心の方が勝った。仮死状態のまま放置していたら、どうなるかわからない。それにこのままマルグリットが死亡してしまえば、勇者たちにとっては好都合なのだ。彼の善性に期待して、マルグリットの命をゆだねる気にはさらさらなれなかった。


「メグ、わたしで妥協してくれませんか?」


 ディランとマルグリットの三度目の口づけ。恋焦がれた王女の唇は、冷たく乾いている。けれど丹念に魔力を流し込んでいれば、マルグリットの身体はほんのりとあたたかくなる。唇もふっくらとして、むさぼりたくなるほど柔らかくなった。


「生きていてくれて、本当によかった」


 討伐の旅に出発する前に感じた勇者の魔力をすべて払拭させるつもりで、魔力の譲渡を行う。ディランは自身の魔力が枯渇しようが、譲渡を止めるつもりはなかった。すっかり消え失せたことを確認した上で、ようやく唇を離す。長旅で疲れているところに、繊細な出力調整をしつつ、大量の魔力譲渡を行うという無茶をしたせいで、酷い頭痛がした。


 腕の中のマルグリットは頬をほんのりと赤く染めて、静かに寝息を立てている。最初に見た死人のような姿とは異なるマルグリットに、ようやっと彼女が生きていることが実感できて静かに抱きしめた。


「自然と目が覚めたと言って、信じてくれるのでしょうかね。まあ、信じてもらうしかありませんが」


 もちろんディランは自分がマルグリットを起こすために何をしたのかなんて伝えるつもりは毛頭なかった。

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