第21話 王女は神官長と想いを伝えあう。
マルグリットは、神殿の中をゆっくりと散歩していた。彼女が出歩くことについてディランはあまり良い顔をしなかったが、じっとしているだけでは身体にもよくないということはわかっているらしい。しぶしぶ短時間、無理をしない範囲でという約束の元で許可を出してもらっている。
そんなマルグリットは、珍しくディランが疲れたような顔で書庫の近くに座り込んでいるのを見つけてしまった。そっとしておいた方がいいかと思いつつも、いつも折り目正しい彼らしからぬ体勢に心配になり声をかける。
(まさか魔王討伐の旅の疲れが今頃になって出たのかしら?)
マルグリットが近づけば、ディランは彼女を見上げて頭痛をこらえるように額に手をあてた。深くため息をつき、何度もまばたきをしている。
「お疲れのご様子ですが、大丈夫ですか? 何か調べものでも?」
「ええ、知りたいことがあって書庫を見てみたのですが、疑問が解決するどころかますますわからなくなってしまいまして」
「まあ。博識な神官長さまにもわからないことがあるのですね」
「わたしなど、もの知らずもよいところです。かくなる上は本人に確認してみるしかないのですが」
(ディランさまにも、質問をしにくい相手というのがいらっしゃるのね。なんだか意外だわ。ディランさまは、どんな相手であれ会話するのが得意そうですのに)
「それならば、聞いてみればよろしいのではないでしょうか?」
「そうですね。では王女殿下、教えていただけないでしょうか。一体どうして、勇者の妻として神殿に滞在しているのです」
「え、何を言って?」
「下手な芝居はもう結構ですよ。メグ。さあ、答えてください」
困ったようにディランに尋ねられて、マルグリットはみるみるうちに顔を赤くした。どうして気が付かれてしまったのか? とっさに顔を覆いたくなる。慌ててその場から逃げ出そうとして、腕を掴まれた。痛むような強さではないが、振りほどくことはできそうにはない。声も出せずに震えるマルグリットに、ディランはため息をひとつついた。
「ディランさまは、いつ気が付かれたのですか。私が勇者さまの妻ではないと」
「そんなもの、最初からに決まっています。見ればわかるではありませんか」
「でも、王女として過ごしていたときの私は、面紗をずっとつけていて。さすがに子どもの頃と大人になった今とでは顔が全然違いますよね?」
むしろ違ってくれていなければ、大人になった意味がないではないか。マルグリットの質問返しに、ディランは憮然とした表情になる。
「まったく見くびられたものですね。わたしがあなたに気が付かないと、どうして思えたのでしょう。あなたの笑顔は昔も今も可愛らしいままですよ。そして手に入らないものはそっと諦めて、声を殺して涙を流す泣き顔だってあの頃のまま」
「す、すみません」
「家族である王族に爪弾きにされている幼いあなたのことも、勇者のためにすべてを捧げながら寂しさをこらえきれずに泣くあなたのことも、わたしは結局慰められないのですね」
(それはどういう意味?)
マルグリットが口ごもっていると、ディランが彼女の両手を強く握った。
「そんなに、あの男の幸せを願っていたのですか?」
「え?」
「勇者のことを愛しているのかと聞いているのです。危険な目に遭い、身分を失っても、あの男の愛したひとを守りたかったとでも言うおつもりですか」
一体、どうしてそんな話が出てきたのか? マルグリットには、まったくもって意味が分からない。完全なる誤解であり、心当たりの一切ないマルグリットは困惑した。
(ディランさまは何かとんでもない勘違いをしていらっしゃるみたい。まさか私が勇者さまに叶わぬ想いを抱いていると思われている? どういうことなのでしょう。それに、勇者さまのことを「あの男」だなんて)
「あの、ディランさまと勇者さまは、非常に仲が良かったと伝え聞いておりましたが……?」
「仲が良ければ、殴りかかったりしませんよ」
「ディランさまが殴ったのですか!」
「腐っても勇者ですから、全部避けられました」
ディランが勇者に殴りかかったらしいという新情報に、マルグリットの戸惑いはさらに深まる。一方のディランは、話をしているうちに苛々し始めてしまったらしい。普段は抑えられているはずの魔力が放出され、空気がびりびりと震えていた。
「そもそもあの男は、戦場でも残してきた元妻の心配ばかり。彼女を守るためにあなたがどれだけの犠牲を払っているかなんて、気にもしていませんでしたよ。あなたの献身を、あなたが望んだことなのだから、そうするのが当然だと言わんばかり。そんな男にあなたの人生を捧げる意味があったのでしょうか」
(どうしてディランさまは、こんなに怒っていらっしゃるのかしら。最初は勇者の妻という存在を疎んでいるのかと思っていたけれど、怒りの対象は私……というよりも勇者さま?)
マルグリットは、王宮から離れてこの神殿へやってきた日のことをゆっくりと思い返してみた。
――泣くほど悔しいなら、こんな日も当たらぬ場所で泣かずとも直接文句を言ってきたら良いではありませんか。その男の隣に立つべきなのは、本来自分なのだと――
てっきり、「元妻の自分こそが本来の勇者の妻なのだと主張したいなら、泣いてばかりいないで勇者と王女の間に割り込んでみろ」という意味だと思っていたのだけれど、まさか「本当の王女は自分だと、あの場で主張してみろ」と言われていたのだろうか。
「ディランさま。王宮を立ち去る時、『本当に酷い顔です。無理矢理笑ったところで、見られたものではありません』とおっしゃっていましたけれど」
「ああ。泣きはらした酷い顔をしていましたから。そんなに勇者のことが好きならば、無理をして笑わずに、気のすむまで泣けばいいと思っていました」
「じゃあ、『尻尾を巻いて逃げ出してきてよかったのですか?』というのは」
「愛する勇者が手に入らないだけではなく、王女の座も奪われたのです。あの場で立ち向かってもよいかと思いまして」
思ったよりもけんかっ早い思考のディランに、マルグリットはだんだん笑い出したくなってきてしまった。
(面紗を被り顔を隠し続けた王女の私と、素顔のままで勇者の妻の振りをしていた私を同一人物だと認識できたのに、どうして涙の意味を勘違いしたのでしょう。かつて離宮の庭で泣いていた時の涙の意味と、あの日、勇者一行が凱旋した日の涙の意味はまったく異なるというのに)
言うつもりはなかった。けれど、勇者を愛しているのだと誤解されたままでいるよりも、本当のことを知ってもらう方がずっといい。正体がバレてしまった以上、好きなひとに、他の男が好きだと思われたままそばでいられるほどマルグリットの面の皮は厚くないのだ。マルグリットはにっこりと微笑んで、覚悟を決めた。
「ディランさま。私は好きで王女を辞めたのです。それにもしも私が本当に勇者さまに恋をして、王女の地位を不当に奪われたとして、どうして私よりもディランさまの方が怒るのですか」
「理由がわかりませんか」
「エマは十分王女としての役目を果たせます。彼女には美貌だけでなく、ひとを引き付ける魅力が備わっています。血統についても心配は無用かと。勇者さまは王家の血筋を受け継いでいらっしゃいます。例の離宮から神殿への抜け道も利用できたことから、血筋については実証済みです」
「……最初から、彼らの邪魔をするつもりはなかったと? ならばどうして、あの男の魔力を受け取ったのですか? 子を孕む必要なんてなかったでしょうに」
「子ども、とは一体何のお話でしょうか? 一応、魔力を受け取ったということについては心当たりがありますが。エマの命を必ず守るという約束をする際に、勇者さまと私で女神の誓約を行いましたので」
女神の誓約は、強力な誓約魔法だ。約束を守るために互いの心臓に誓いを刻み込むのだ。約束を破ればたちまち死が訪れる。さっとディランの顔から血の気が引いた。
「待ってください。そんな危険なものをしていたなんて、聞いていません」
「だって言っていませんもの」
「どうしてそんな誓約をしたのです。だいたい誓約は、天秤が釣り合う様に条件をつけねばならなかったはず。一体、あなたは彼に何を願ったというのですか」
「ディランさまのご無事を。必ず、生きてこの王都に連れて帰ってきてくださるようにと勇者さまに頼みました」
ディランに抱きかかえられたマルグリットが泣いていたのは、己の身の不幸を恨んだからでも、愛を貫きとおした勇者と勇者の妻を妬んだからでもない。密かに恋い慕っていたディランが生きて帰ってきてくれたことが何よりも嬉しかったのだ。もう「ディランさま」と名を呼ぶことができない中で、ただただ喜びに身体を震わせていた。
「魔力の尽きた魔術師は、戦場に取り残されるかもしれないでしょう。引きずってでも、連れて帰ってきてくださいと勇者さまにお願いしました。ディランさまはお強いけれど、万が一のことがあってはいけませんので」
マルグリットの言葉にディランが顔を真っ赤にして、言葉を失っている。そんなディランの姿にマルグリットも思わず頬を染めた。絶対に叶わないと思っていた恋心だった。女神にすべてを捧げる清く正しい真面目なディランにこの想いを伝えれば、友人として隣に立つこともできないと恐れていた。けれど。
(もしかしたら、この恋はまだ見込みがあると思ってもいいのかしら。素知らぬふりをして流されるものとばかり思っていたけれど……)
「ずっと、あなたは勇者殿に好意を持っていると思っていたのです」
「まさか。私はずっとディランさまのことだけをお慕いしておりましたわ」
「メグ、愛しています。勇者殿への嫉妬のあまり、目覚めたばかりのあなたに優しい言葉をかけられなかった愚かなわたしを許してください」
「許します。私は、ただあなたがそばにいてくれるだけで幸せなのですから」
感極まったらしいディランに抱きしめられた。これから先の未来はまだ考えなければならないことがたくさんある。けれど、今しばらくだけは愛するひとと同じ気持ちだった喜びをただ分かち合っていたかった。
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