第2章

第22話 王女は子どもたちと仲良くなる。

「マーちゃん、洗濯物、ちゃんと干し終わったよ」

「ありがとうございます。お疲れさまでした。みなさんのおかげで、手早く終わりましたね」

「えへへへへ、早くお仕事を終わらせたら魔法の勉強ができるでしょ!」

「だからみんなで頑張ったんだ。マーちゃん、早くお勉強しようよ!」

「はいはい、わかりました。でも、教えてくださるのは神官長さまですから、もうしばらく待ってくださいね」


 神殿の裏庭で洗濯物を子どもたちと一緒に干しているのは、マルグリットだ。体調がだいぶ回復してから彼女は、女の子に刺繍を教えるほかにも、神官見習いのような神殿内の細々とした仕事の手伝いをしていた。


 併設されている孤児院の子どもたちと一緒に、洗濯や掃除をしているのもその仕事のうちのひとつ。もともと働かざる者食うべからずという考え方が浸透している孤児院ではあったようだが、ディランとマルグリットが来てからというもの、子どもたちのお手伝いはぐんと真面目なものになったらしい。


(仕事を早く終わらせれば、その分魔法を教えてもらえるのですもの。子どもたちが一生懸命働くのも、当然のことだわ)


 マルグリットは、かつて自分と一緒に魔法を学んだ友人たちのことを思い出す。自分よりもずっと早い段階で将来のことを見据えて動いていた彼らは、今頃どこで何をしているのだろうか。


「ねえ、マーちゃん。神官長さまがお忙しいなら、マーちゃんが教えてよ。マーちゃんだって、魔法をつかえるんでしょ?」

「私がみなさんに教えることができるのは、魔力の流れを感じることだけです。いきなり発動させようとすると危ないですから」

「マーちゃんのケチ」

「ケチで結構。命には代えられません」

「えー、つまんないよ。早く魔法を使って、洗濯とかお掃除を楽にしたいよ」

「わかっています。でも、魔力を外に全然出すことができなかった私のような人間もいますからね。ここでしっかり訓練しておかないと、いつまで経っても魔法が使えずに苦労しますよ」


(エマも魔法が使えなかったわ。だから私の体験を話しても、齟齬は生じないはず)


 勇者の元妻……もとい入れ替わった元王女が生きていることを知るのは、勇者とエマとエマの母である乳母だけ。それでも、しばらくは会話などにも気を付ける必要があるだろう。マルグリットはエマの体験として外に出しても問題がないものだけを少しずつ子どもたちに聞かせてみせる。


 マルグリットの言葉に子どもたちが目を丸くした。水の国を含む四王国の人間であれば、魔法は使えて当たり前だ。それを堂々と使えなかったと口にするマルグリットに、子どもたちは驚いたらしい。それはそうだろう、魔法を使えなければ生活が不便になるだけではなく、周囲から爪弾きにあうことだって珍しくはないのだから。


「えー、マーちゃん、魔法使えなかったの?」

「そうですよ。もう、本当に大変だったんです。両親が水の国以外の人間ではないかと調べてみたり、ひたすら魔法を発動させるために呪文を唱え続けてみたり。やれることはなんだってやりましたから」


 当時のことは思い出すと苦しくなるけれど、忘れてしまいたくはない。あの時に手を差し伸べてくれたディランと過ごした日々は本当に幸せで、あの頃がなければ今、マルグリットがここにいることもないのだから。


「じゃあ、どうしてマーちゃんは魔法を使えるようになったの?」

「……ええと、気合?」


(突然どうしてと聞かれてしまっても、いまだに私にもわからないのですよね。『気合』ではなく、『逆境に追い込まれたから』と伝えたほうがそれっぽかったでしょうか)


 困ったように頬に手をあてるマルグリットのことを、子どもたちがじろじろと見つめてくる。


「マーちゃんって、意外と脳筋だったんだね」

「脳筋と言えば、神官長さまも結構脳筋だよね。魔王封印の旅では、毎日勇者さまとぶつかり稽古していたらしいぜ」

「ふーん、そうなんだ。じゃあマーちゃんと神官長さまって、おそろいだね」

「神官長さまと勇者さまがぶつかり稽古? それは、初耳なのですが」

「みんな脳筋なんだよ。おそろいだね!」


 困惑するマルグリットをよそに、子どもたちは魔力の流れを確認しつつ謎の「ぶつかり稽古」ごっこを開始するのだった。



 ***



「すっかり子どもたちと仲良くなったみたいですね、『マーちゃん』」

「ディランさまにまで『マーちゃん』と呼ばれるのは、不思議な気持ちがします」

「いえいえ、よくお似合いですよ。『マーちゃん』」

「もう、からかわないでください」


 マルグリットは頬を赤くして怒っていますよとでも言いたげに、腰に手をあてた。


 勇者の元妻エマとしてここにいるためマルグリットの呼び名は、本来ならば「エマ」である。けれど、ディランが自分の正体に気が付いているのならば完全な偽名では寂しいと思ってしまった。もちろん「メグ」と呼ぶことはできないだろう。どこから秘密が漏れるかわからないのだから、用心するに越したことはない。


 かつてエマは、「マルグリットの愛称を『ペギー』、エマの愛称を『エミー』にすれば、聞こえる方には大体同じに聞こえる」なんて言っていたけれど、子どもたちに呼んでもらう名前という意味で考えると、なかなかに苦しい。だからマルグリットは、いっそ割り切って子どもたちには、「マーちゃん」と呼んでもらうことにした。マルグリットの「マ」であり、エマの「マ」でもある。気になるところがあるとすれば、どうにも響きが幼いことくらいだろうか。


「なんとも可愛らしい愛称になりましたね」

「だって、完全な偽名を呼ばれるのは寂しいですもの。私が私であるという証明ですから」

「あなたには申し訳ないのですが、少しだけ嬉しいこともあるのですよ」

「え?」

「これで『メグ』という愛称は、わたしだけが呼べますね」


 髪を一筋すくいとり、口づけを落とされる。想いを伝えあったとはいえ、ディランは神官だ。還俗しなければ妻帯は許されない。本来唇を重ね合わせることなど許されないディランが見せる、ぎりぎりの愛情表現。


(でも、髪への口づけだけで指先まで熱が伝わってきそうです)


 赤くなった顔を隠すように、マルグリットは慌てて次の話題を出した。


「子どもたちが、魔力の循環より先の練習に進みたいそうなのです。ここから先は、ディランさまにお願いできますか? しばらく神殿で学んでいたとはいえ、私の魔法は結局独学になってしまいましたから。私ももう一度勉強させていただきます」


 魔獣の襲撃で固有魔法を発動させた後も、マルグリットは魔法が使えるようになったことを誰にも伝えなかった。その上、ディランに迷惑をかけないように神殿へ顔を出すこともやめ、交流も最低限のものにしていたのだ。今さらだが、マルグリットにとっても魔法を学び直す機会になる。


「まさか、メグがあの日、魔法を発動させていたとは思いませんでした。しかも固有魔法だったなんて」

「私だってびっくりしました」

「どうして発動できたのか、覚えていますか?」

「あのとき、どうにかしてディランさまのお力になりたいと思ったのです。私のためではなく、ただ周りのひとをどうにかして助けたいと」

「一般的な治癒魔法は適性があれば比較的習得が容易なのですが、それでも使えるものは一握り。さらにメグが発動させたような、広範囲かつ通常ならば手の施しようがない重度な傷でさえ治してしまう固有魔法は奇跡のようなもの。あなたが言ったように、誰かを助けたいという強い思いが発動のきっかけになったのかもしれませんね」


 誰かのためにという思いが治癒魔法の習得に必要なのかもしれないという推測に、マルグリットはほんのりと苦い笑みを浮かべる。王族は、かなりの魔力量を誇っている上に、他の人々には見られないような特殊な固有魔法を持っているものが多い。だがそれは、どれも争いごとに有利なものばかり。治癒魔法を取得している人間の少なさに、人間性を垣間見たような気がした。

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