第36話 王女は愚か者の末路を知らない。

 山奥の炭鉱でどことなく高貴な男が数名、現場を取り仕切る若い男に食って掛かっていた。過酷な炭鉱労働を強いられているのは、服役中の犯罪者か、借金を払えずに自分を売った者など訳ありの人間ばかり。まともでない人間の相手には慣れているのか、若い男は食って掛かる新入りを前にしても目を細めたまま笑みを絶やさない。


「放せ! 貴様、儂を誰だと思っている!」

「はいはい。元王さまだろう。それで、一体何が不満だと。せっかくの陛下の温情だったんだから、反抗せずにありがたく従っておけばよかったのに」

「何が陛下だ。あれはただの平民で! っ!」

「不敬だぞ、口の利き方には気を付けた方がいい」


 女神の裁きは、水の国の体制を大きく変えることになった。平民出身の勇者が、実は正当なる王位継承者であるという真実は、水の国の人々を大いに熱狂させることになる。女神が語った言葉は、祈りの間で秘匿されることはなかった。あの時女神は、水の国のすべての神殿に現れたのだ。誰もが自然とひざまずき、こうべを垂れる中で語られる言葉は、誰にも止められることもない速度で広がっていく。


「あんな結界もなく、魔物が跋扈する土地でなど暮らせるか!」

「だから決められた土地から逃げ出したと? 本当に愚かだねえ、あんたたち王族っていうのは。ああ、ええと、今は元王族か? 面倒くせえな」

「何が温情だ。あんなもの見せしめだろうが!」

「本当なら公開処刑でもおかしくなかったっていうのが、わかんないもんかねえ」


 頭を乱暴にかきむしりながら、男は煙管に口をつける。

 現王妃――勇者の妻――はあれほど酷いことをされたというのに、元国王たちの死を望まなかった。「勇者に人殺しをさせたくない」ということが理由だったそうだが、勇者本人がこそが彼らを皆殺しにすることを望んでいたなんてきっと彼女は夢にも思わないのだろう。


 生意気な口を利く新入りがどんな目で見られているかにも気づかず、口角泡を飛ばす元国王。

 かつて尊大にふんぞり返っていた人間のなんと哀れで滑稽なことか。煙管を口から放すと、煙を元国王たちの顔に吹きかける。苦しそうにせき込む彼らを見て、男は耐えきれずに声を上げて笑い出した。


「いっそ、殺せ!」

「馬鹿か。殺すわけがないだろうが」

「は?」

「殺してしまえば、どれだけ苦しくても一瞬だ」

「何を言って」

「あんたたちが一体どれだけの人間を踏みつけて苦しめてきたか。その身を持って、味わうといい」

「ふざけるな」

「ふざけてなどいない。こちらは本気だ。安心しろ。治癒術の心得はある。多少四肢がもげたくらいでは死にはしないさ。女神の裁きで受けた傷は治るどころか、悪化するだろうがな」


 一瞬だけ開かれた男の目には温かみというものがない。軽口がすべて本気だと知り、元王族の男たちはみな一様に顔を青くする。


「くそが」

「ほら、働き始めるなら早い方がいい。周囲への挨拶も忘れずにね。四六時中、女の代わりに抱かれたくなければ」

「外道が」

「あんたたちにだけは言われたくないさ。周囲にいる人間は、みんな元王族を憎んでいる。その上、魔法も武器もない、純粋な力勝負であんたたちに勝ち目はない。言わずとも、これからどうなるかはわかっているだろう?」


 ちりちりと周囲の焼けつくような視線に今さらながら気が付いたらしい。祈りの間で水の女神が降臨した後、かつての王族たちのほとんどが水の女神の加護を失った。体内にあったはずの多量の魔力は消え失せ、当たり前のように使っていた水魔法は使うどころか感知することさえできない。


「貴様には、儂たちを守る義務があるだろう!」

「あんたたちが逃げ出したり、死んだりしなければ良いだけさ。むしろ、日々尊厳を失っていくさまを見守ってあげる。ああ、心配はいらない。元王妃さまや元王女さまたちは、ひとあし先に娼館で春をひさいで暮らしているよ。最初はあんたたちみたいによく吼えていたみたいだけど、数日もすれば自分たちの立場がよく理解できたとさ」

「やめろ、放せ!」

「さあ、仕事の時間だ。安心しろ、じきにこの環境にも慣れる」

「嫌だ、嫌だ。助けてくれ! 頼む、話を聞いてくれ!」

「あんたたちが踏みつけてきたひとたちも、そう言っていただろうよ。これから起きることは、まあ自業自得ってやつだね」


 福利厚生のために現場に常駐する神官は、煙管を弄びながら引きずられてゆく元国王たちに手を振りつつ、また細目の笑顔で見送っていた。



 ***



 王宮の執務室。居心地の悪そうな顔で、勇者がむすくれたまま椅子に座っている。大量の書類が落ちそうになるのをお構いなしに、机に突っ伏した。ディランは、困ったようにそれを眺めながら机の周りを片付けている。


「それで、あいつらがどうなったか、教えるつもりはないということか」

「ええ。彼女の耳に入れるつもりはありません。いくら悪逆非道な者どもだったとはいえ、それでも血の繋がりのある相手です。事の顛末を聞けば、心を痛めるでしょう」

「ざまあみろと喜ぶとは思わないか」

「彼女がどんな性格をしているか、わたしはしっかり把握しているつもりですよ」

「ああ、そうだろうともよ。相談に見せかけた惚気は勘弁してくれ。こちとら、面倒な書類の対応に追われてうんざりしているんだ」

「自分だって、エマ殿に彼らがどういった目に遭うのか教えたりはしないでしょうに」


 崩れかけた書類の山を整えつつ、ディランが尋ねた。


「降嫁した王族の中には、多少なりともまともな人間もいたはず。彼らの力を借りるつもりはないのですか? 中立派や神殿よりの貴族たちの助けがあるとはいえ、それだけでは政治は回らないでしょう?」

「今後の調査次第だな。女神の裁き以降も、女神の加護が失われなかった元王族だって存在する。彼らにはこちらから、助言を乞うつもりだ。マルグリットはどうだ?」

「もともとメグは、あなたの大切なエマの代わりに王族であることを捨てて、ただのマルグリットとして暮らしています。ですので、最初から女神の裁きの対象者ではありません。それに幼少期からあれだけの苦難を強いられて、それでも王家の者として罪を連座で背負わされることなどあれば、わたしは速攻で信仰を捨てますよ」

「おい、やめろ。お前が言うと洒落にならん」

「別に洒落で言ったつもりは微塵もないのですが」

「余計にたちが悪い」

「ああ、この書類、誤りがありますよ。訂正しておいた方がいいですね」

 ディランの指摘に、勇者は持っていた羽ペンを放り投げ天を仰いだ。


「それで、王都に戻ってくるつもりはないのか?」

「申し訳ありませんが、子どもたちとの約束がありますので。早く帰らなくては、彼らに泣かれてしまいます」

「そうか。体制が大きく変わった今、ここに残ってくれたら助かったのだがな」

「マルグリットは、王宮ではなくお日さまの下が良く似合いますから。何かあれば言ってください。お手伝いできることがあれば、助力は惜しみません」


 マルグリットには確かに元王族の血が流れている。けれど今までずっと王族としての恩恵も受けていなかった彼女に、罪と罰だけが与えられるようなことはあってはならない。罪を犯した人間が罰せられると同時に、虐げられてきた者もまた救われるべきだ。何より、女神から特別な加護を受け取ったマルグリットは、名実ともに『清貧の聖女』となっている。本人は自分が聖女となったことを知らないし、ディランも本人に知らせるつもりなど一生ないが。


「ディラン、幸せか?」

「勇者殿。同じ質問をあなたに返しましょう。あなたがわたしに返してくれる言葉が、わたしの答えですよ」

「そうか。引き留めて悪かったな」

「いいえ。それでは」


 ディランが小さく頭を下げると、誰よりも大切なマルグリットの元へと帰っていった。

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