第27話 王女は花を贈る意味を知る。
水の国の伝統的な祝日である花の日。子どもたちにプレゼントされた髪飾りをつけ、診療所の手伝いへ向かう準備をしていたマルグリットはきらきらした瞳の子どもたちに囲まれていた。
「ねえ、マーちゃん。マーちゃんは、神官長さまからお花をもらったの?」
「ええ、ちゃんともらいましたよ」
「やったあ。良かったね、マーちゃん!」
「そうですね。『ありがとう』という感謝と労いの言葉をかけていただけるのは、とてもありがたいことだと思います。この気持ちを互いに持つことで、私たちは気持ちよく暮らしていけるのですから」
少し説教くさくなったかなと思いつつ、マルグリットは大人として子どもたちに学んでほしいことを話してみる。お花をもらうことはもちろん嬉しいけれど、大事なのは相手に感謝するその気持ちだ。先日、マルグリットのために髪飾りを選んでくれた子どもたちにしてみれば、そんなこと百も承知のことだろうけれど。ところが子どもたちは、なんだか怪訝そうな顔をしている。
(私、何か変なことを言ったかしら?)
「え、待って。マーちゃんってさ、お花をもらうときに神官長さまからなんて言われたの?」
「ええと、『いつもありがとう』と。ごく普通のやりとりだと思いますよ」
マルグリットの返事は何か間違っていたらしい。子どもたちのきらきらとした眼差しが一気にどんよりとした色に変わる。
「ねえ、マーちゃん。マーちゃんは、今日を何の日だと思っているの?」
「ええと、身近な女性に感謝を伝える日ですよね。水の国の伝統的なお祝いの日だと認識しています。お花などを贈るのが一般的なはずですが、もしかして違うのですか?」
「そこまではあってるよ」
「本当はね、この間渡した贈り物も今日渡すつもりだったんだ。でも、ちびたちが待てなくてさあ」
「それに、今日贈り物をする大役は、神官長さまに譲らなきゃいけなかったし」
「『神官長さまに譲る』、ですか?」
マルグリットは子どもたちの言っている意味がわからずに首を傾げた。
(最初にお花を上げる順番を譲ったということでしょうか。確かに一番最初にお花を贈る方が、印象は強いかもしれませんが。でも、お花は何回もらっても嬉しいものですし……)
「あのね、マーちゃんはたぶん知らないんだよ」
「ああ、マーちゃんってちょっと訳ありっぽそうだもんね」
「神官長さまも、そういうことはいちいち教えていなさそうだし」
「教えてあげればいいのに」
「本当に、男のひとって気が利かない」
「なんだよ、俺たちはあそこまで朴念仁じゃないぞ!」
「どんぐりの背比べよ」
ひそひそと言われたい放題のマルグリットは、子どもたちから気の毒そうな目で見られているようだ。
「私、訳ありに見えますか?」
「訳ありにしか見えないよ」
「だって、マーちゃん、お上品すぎるんだもん」
「ここに来る前は、お貴族さまとかだったんでしょう?」
「言葉遣いとか発音がきれいすぎ」
「あと食べ物の食べ方とか!」
どうやらまったく、正体を隠せていなかったらしい。マルグリットが元王女だということはまだ気づかれていないようだが、思った以上に危ない橋を渡っていたようだ。思わず肝が冷えた。
「みなさん、私のこと、怪しいとは思わなかったんですか!」
「うーん、神官長さまが連れてきている時点で何かあるんだろうなって思ったし」
「そもそも、女性嫌いの神官長さまが大事にしている時点で特別感しかない」
「別に神官長さまは、女性嫌いというわけでは……」
「えー、もう、マーちゃんってば何言ってるの。神官長さま、大人の女のひととお話するとき、目が笑ってないからね」
「丁寧に受け答えしているけれど、絶対に勘違いされないように振る舞っているし」
「それは、あの美しさで変な絡まれ方をすることが多いから自衛のためですよ」
「いやいや、あれは自衛とかじゃなくて、たぶんマーちゃん以外の女のひとは、本気で鬱陶しいと思っている。あたしたちは、子どもだから例外だけど、これで『神官長さまと結婚する~』とか言ったら、容赦なく笑顔で断ってくると思う」
「あと、『マーちゃんと結婚する~』とか冗談でも言ったら、普通に辺りの気温が下がる勢いで不機嫌になるよ。ただでさえ、年長の男の子は大人げなく恋敵扱いしているのに」
「ですから、神官長さまはそこまで狭量では……」
(でも、この間髪飾りを自分が先に渡したかったと話していましたし、もしかしたらそういう可能性もないことはないのかも?)
だが、ディランが自分に執着しているかもしれないという指摘はマルグリットにとっては不快なものではなかった。むしろ、そんな風に感情を露わにしてもらえることが嬉しいと思ってしまうくらいには、マルグリットはディランのことが好きだ。
「ああもう、話がずれちゃった。だからね、今日お花を贈るのは、感謝の気持ちを伝えるっていう意味だけじゃないの。好きなひとに贈るときは、結婚してくださいって意味があるんだってば」
「もう、神官長さまのヘタレ」
「意気地なし!」
「そ、そんなことを言ってはいけません。そもそも神殿にお勤めする神官さまは」
「ああ、はいはい。マーちゃん、お貴族さまの世界はどうかしらないけれど、わりかし、平民の神官さまたちはこっそり結婚してるから。暗黙のりょーかいってやつ。それで神罰がくだったとか、聞いたことないし」
一番年長の少女にばっさりと切り捨てられ、マルグリットは頭が真っ白になる。そういえば彼女は孤児院に来る前は、下町の中でも花街に近い場所で育ってきていたはずだ。そういう大人の話を耳にする機会も多かったのかもしれない。まだ幼い子どもたちは、少女の言葉の意味がわかっているのかいないのかいまだに、「ヘタレ」「意気地なし」と言いながら笑い転げている。
思ったよりも、何もかも子どもたちに筒抜けのマルグリットはひとり涙目でおろおろしていた。
一方その頃、神官長もまた子どもたちに詰め寄られていた。
「神官長さま、マーちゃんにお花は渡したの?」
「え? ああ、ええ。もちろん渡しましたよ」
「花だけ?」
「はい?」
「花だけ渡したの?」
「ええと、はい、そうですが」
不思議そうなディランに向かって、子どもたちが突進してくる。
「もう神官長さま、何を考えているの? 本当に意気地がないんだから」
「は?」
「この間、わたしたちが髪飾りをあげた時に、便乗して何か贈り物をするかと思ったら何もしないし」
「そこはさらっと何かプレゼントをするべきでしょ」
辛辣すぎる子どもたち――主に年長の少女たち――の言葉に、ディランが珍しく焦り気味の顔になっている。
「今回もまさかのお花をあげるだけでおしまいとか、そんなのありえないから!」
「神官長さま、どうせ指輪も用意しているんでしょ。早くあげなよ」
「神官長さま、めっちゃ心狭いくせに行動が遅すぎると思う」
「早くプロポーズしなよ。マーちゃん、可愛いから、早くしないと誰かと結婚しちゃうよ」
「ねえ、好きならキスくらいしてるよね」
「は?」
「キス、知らないの? ちゅーだよ、ちゅー」
ここで、「知っている」と言っても「知らない」と言っても、どちらにしろ子どもたちにからかわれて地獄を見ることになると気づいたディランは、黙秘を選んだ。もちろん、黙秘したからといって、子どもたちが許してくれるはずもなく……。
「仕事とマーちゃん、どっちが大切なの?」
「マーちゃんだって、いつまでも待っててくれないよ」
「他のひとにとられてから、『僕の方が先に好きだったのに』とか言っても遅いんだから」
「みなさん、わたしよりも男女の機微に理解が深いのはなぜですか……」
「むしろ、神官長さまが疎すぎるだけだと思う」
「マーちゃんも神官長さまも、忍耐強いから」
「ああ、神官長さまってドMっぽいもんね」
「いい加減にしなさい。一体、どこで学んできたんですか!」
孤児院の子どもたちは、そだってきた環境が複雑ななことも多く、実は結構な耳年増だったらしい。子どもたちの素直すぎる言葉にボコボコにされながら、ディランはひとり頭を抱える羽目になった。
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