第38話 僕の友達は鈍感

 障害物レースでの藍沢はいつもと何ら変わらない表情を浮かべていた。


 先ほどまでの儚い面影なんてどこにもなく、ほほ笑みを浮かべて佐野さんと一緒に走る。


「藍沢さんのことまだ悩んでるの?」

「そりゃあんな事言われたらな」

「藍沢さんに一生懸命だねぇ〜」

「別に一生懸命ってわけじゃねーよ」


 そう言葉にしたは良いものの、ふと胸に手を当ててみると、いつもは頭の何処かにいるはずの美緒がおらず、藍沢で埋め尽くされていることに気がつく。


 藍沢のことを考えているのだから、そりゃ藍沢のことで頭いっぱいになるよな。


 なんて言葉で事が済めば良かったのだが、ずっと好きだった美緒が頭のどこにもいないのだ。

 あの美緒がどこにもいないんだぞ?大事以外の何物でもない。


「まーた首かしげてる〜」

「いや……頭の中に美緒がいなかったんだよ……」

「その言い方だとずっといるみたい」

「実際居たんだぞ?今日の今日までずっと。誰かと話してる時もどこかで考えていたし、飯食ってる時も考えてたんだぞ?でも今は居なかった。俺にとっては大事件なんだよこれは!」

「アハハ〜気持ち悪ぅ〜」


 明らかに興が冷めている千明は冷笑を浮かべて解せない言葉を紡いだ。

「うっせ!」なんて、反論の余地なしと自白しているような言葉を返した俺は、膝に頬杖を突いて、スプーンの上にピンポン玉を乗せる藍沢を見やった。


「ていうか、なんで千明は分かるんだよ」

「ん?んー男の勘ってやつー?」

「んなもんねーよ。ちゃんとした理由を教えてくれ」

「えーだってこれしか言えることないしー」

「……どれだけ俺に隠したいんだよ」

「これだけ?」

「……そっすか」


 腕を大きく広げる千明は本当に俺には言いたくないようで、ポーカーフェイスのつもりか、いつもの微笑みを浮かべ続ける。


「あの様子だと藍沢さんも分かってなさそうだったから2人で探したらー?」

「俺と藍沢の2人で?絶対無理だろ。あいつ目合わせてこないし」

「あ、そのことには気づいてたんだ」

「流石に気づくだろ……。てかそのことはってなんだよ」

「なんでもなーい」


 あからさまにあいつは俺から目を背けていたのだから嫌でもわかる。

 だが、今の千明の口ぶりからして他にも藍沢のおかしなところがあるらしい。

 表面的な部分なのか、内面的な部分なのかはさっぱりだが、探る価値はありそう――


「――探ろうと思ってるならやめといたほうが良いよ〜。僕はともかく、さっきも言った通り藍沢さん自身も分かっていないから、ただ鬱陶しいだけになるよ〜」

「……なら千明が教えてくれよ」

「やーだ」

「…………詰みじゃねーか」

「普段通りに生活してたらそのうち分かるよ〜」

「はぁ……」


 当たりどころのないアドバイスは俺のため息を引き出すだけ。

 お馴染みのピストルの音に反応すると、ゴールテープを切る藍沢と佐野さんの姿。


 2人とも楽しそうにはにかみ、満足そうに談笑する。

 あまり目にすることのできない藍沢の笑顔は眩しく、再度胸に手を当ててみるとやっぱり頭の中は藍沢でいっぱいだった。


 少し前までは藍沢の笑顔を見ると、美緒のほうが可愛いと較べていた。

 けど今となればただ純粋に魅入ってしまうのは一時の迷いなのだろうか。

 藍沢の悩みが解決すればこの迷いも去るのだろうか。


 なんて淡い考えを胸に、頬杖をつく俺は次の走者を見守った。



 ◆  ◆



 隣の崇くんの頬は緩んでいる。

 その事実に気がついた僕は手を後ろにつく。


 藍沢さんと佐野さんがゴールテープを切ると、崇くんの口元には自然とニヤケが現れた。


 そのニヤつきは1位を取ってくれたからでもあるだろうし、藍沢さんが笑顔を浮かべているからでもある。


 多分、崇くんは僕が察しが良いだけだと思っている。けど、本当はそれだけではない。

 確かに僕は察しは良いほうだと思う。でもそれ以上に崇くんは顔に出ているのだ。


 今何を考えていて、今何を思っているのか。

 僕からしたら……というか崇くんの友達なら楽しいったらありゃしないと思う。

 察しがいい人限定だけなんだけどね。


 実際、最近じゃ一番近くにいる藍沢さんは崇くんの感情に気がついていない。

 まぁ2人して睨みが多いってのもあると思うけれどね。


「千明?俺の顔になにかついてるか?」

「なんでもないよー」


 ついつい崇くんのニヤつきに魅入ってしまっていた僕は、何食わぬ顔で運動場を見直す。


 けれどさっきの会話もあってか、崇くんは訝しげな顔をこちらに向けてくる。

 もちろん答える気なんてないので、無視し続けた。


「あれ?藍沢さんたち居なくなってるー」

「……本当うまいこと話そらすなぁ……」


 別にそらしてるつもりはないんだけどね?なんて言葉は口にすることはなく「あ、ほんとじゃん」という崇くんの言葉を聞きながら辺りを見渡す。


 すると、背後から僅かだけど砂が擦れる音が聞こえ、釣られるように顔を上に向けて女子2人を見やった。


「おかえり〜」


 僕が振り返ったことに驚いたのか、見開いた目を向けてくる藍沢さんはブルーシートの前で止まる。


「た、ただいま」

「ただいま。よく気づいたね?」


 藍沢さんの隣に立つ佐野さんは、相変わらずの笑顔で問いかけてくる。


「砂の音が聞こえたからね〜」


 そんな佐野さんに、思ったことをそのまま伝える僕は手招きしながら「靴脱なよ〜」とこちらに来るように勧める。


「おかえり」


 靴を脱ぐ2人に、やっと口を開いた崇くんはどことなく気まずそうに女子2人を見る。


 そんな崇くんに、相変わらず目を合わせようとしない藍沢さんは「ただいま」と冷淡な口調で返した。


「なに?倦怠期カップル?やめてよこれからお楽しみがあるのに」

「違うから。変なこと言わないで?」

「誰がこんなやつと付き合うか」

「こっちから願い下げよ」


 目を合わせない言い合いは違和感を生むばかり。

 確かにこの後の楽しみを考えると、この雰囲気はあまり好ましくはない。かといってどうすることもできないんだけどね。


「……床並くん。あの2人朝は仲良くなかった?」

「そうなんだけどね〜。色々あったんだよ〜」


 顔を近づけて耳打ちをしてくる佐野さんは心配そうに目を伏せている。

 多分佐野さんがここに帰ってきたということは、これからお楽しみの説明でもあるのだろう。


 そして佐野さんがその話をするということは、そのお楽しみに佐野さんが関与しているということ。


「にしても、いつもの佐野さんはそんな目を伏せないよ?」

「……いつもの佐野さんでも心配なものは心配なの」


 顰蹙を向ける佐野さんと談話する僕は、付いていた手を離して前屈みに崇くんと藍沢さんの顔を見る。

 そして佐野さんの目を見て親指を立てた。


「まぁ大丈夫だと思うよ〜」

「どこからその自信が湧くの」

「男の勘ってやつだよねー」

「信用できない……」

「アハハ〜」


 自分もあまり自信はないので、濁すように笑みを浮かべる僕は腕を組んで耳打ちを辞める。


「それじゃあ、お楽しみの話を聞かせてもらおうかー」

「なんで千明が仕切ってんだよ……」


 一番関係のない僕が仕切るのに不満があるらしく、崇くんは眉を顰める。

 君たちが気まずそうなのが悪いんだよ?なんて言葉は胸の中に秘め、佐野さんに目を向けた。


 僕の視線に佐野さんは頷き、いつものような美男子のほほ笑みを浮かべて口を開く。


「お楽しみのことだけど、今朝言った通り2人に出場してほしい競技があるんだよね。そしてその競技というのが――」

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