第21話 粘着気質の困った女はストーカーをする。

「いらっしゃいませ〜」


 そんな言葉を最後に扉はしまった。

 あの男が言った通り、遊園地から1分ほど歩くとすぐにカフェにたどり着くことができた。


 昔はよく美緒と遊園地に来ていたのだが、このお店を見るのは初めてで、この道を通るのも初めてだった。

 もう少し下調べしていたら、俺が美緒の初めてをもらっていたのかもしれない。


 そんな淡い考えを頭の隅に置きながら、美緒たちが店内に入って数十秒が経ってことを確認して足を動かした。

 扉のハンドルを握り、あの男がしていたように扉を引いて鈴の音とともに店内へと入る。


 瞬間、コーヒー豆の香りが鼻下を潜り、ゆったりとした音楽が耳を通った。

 休日とはいえ、朝は朝。それなのにも関わらず店内はほぼ満席で、どれほど人気店なのかが伺えた。


「いらっしゃいませ〜」


 先ほども聞いた同じ声を聞きながら、人差し指を立てて、


「一人ですけどいけますか?」


 一人の場合、大体はカウンター席に案内されるのだが、生憎カウンター席は満席。


 唯一余っているのは端っこのテーブル席だけ。少なくとも4人が座れるテーブルなのだが、一人の男が座って良いものなのか。


「はい!いけま――あっ、いらっしゃいませ〜」


 店員さんが言葉を言い切る前に、チリンチリンという鈴の音が耳に入ってきた。


 背後からは店内のレトロな雰囲気とは似合わない車の走る音が鮮明に聞こえ、通り過ぎる車を耳で感じながらゆっくりと振り返る。


 するとそこにはここ数時間、ずっと一緒の乗り物に乗っていた女性が立っていたのだ。


「お一人様ですか?」

「はい」

「でしたら〜……あっ、すみません。もしよろしければ相席でもよろしいでしょうか?」


 サングラスと眼鏡越しに目が合う俺と別嬪さんの隣で、店員さんは真面目に席を探して真面目な提案をしてくる。


 緑色のエプロンにポニーテールがよく似合う女性店員さんに顔を向けて「大丈夫ですよ」と俺が答える。


「私も大丈夫」

「ありがとうございます!」


 続くようにマリンキャップの女性が答えると、店員さんは深く頭を下げ、そして一番奥のテーブルへと案内してくれる。


 席に座り「ごゆっくりどうぞ」という気遣いの言葉を耳で受け取りながら、対面に座り合う俺達はお互いの目を見つめ合った。


 サングラス越しだが、警戒しているのが分かってしまうほどに睨みを向けてくる対面の女性。


 それに負けを及ばないぐらい俺も目に力を入れ、口を開く。


「誰のことを追っているんですか?場合によっては警察を呼びますけど」


 もしかしたら誰も追っていないかもしれない。ただただこのお店に来ただけの人かもしれない。

 だけど、この睨みを見ればその可能性が消え失せた。


「あなたこそストーカーをしてますよね?」


 マスクで籠もった声が耳と脳を包む。

 どうやらこの女性は、俺のことをストーカーだと思っているらしい。自分がストーカーなのによくもまあ人のことが言える。


「俺はただこのお店に来ただけですけども」

「はぁ……。そんな嘘は分かりきっています。今なら警察は呼びませんから白状してください」

「そっちこそ白状したらどうなんですか?誰の後を付いてきたんですか」


 朝の電車からこのカフェに来るまで、ずっと一緒にいた人物は美緒、美緒の彼氏、そして俺。


 ホームでは俺から見えやすい位置にこの女性が座っていたし、電車の中ではマスクの下を見せていた。

 だから多分俺をつけてきたわけではない。ということは、


「あの女性か男性のどちらかを追いかけてきたんですよね?」


 続けて言葉を紡ぐ俺は、脳裏に今日のことを映し出しながら濁して言う。


 もしこの女性が美緒とあの男の名前を知らないのならば、彼女にとって大いなる情報を与えてしまうことになる。


 あの男はともかく、美緒のためにもそれは阻止しなくてはならない。


「なに私が悪者みたいに言ってるのよ。あんたがあの二人のどちらかをつけてるんでしょ」

「話が通じませんね……」

「それはこちらのセリフです」


 両者譲らずの攻防戦は、どちらからともなく逸らされた目によって第1幕が終わる。


 相手がストーカーをしているのは自分の中では明らかになっている。だが、相手は認めないのだ。無駄な会話といったらありゃしない。


 数十秒経つと、お盆に水の入ったコップとおしぼりを乗せた店員さんが現れ「ご注文はお決まりですか?」と声をかけてくる。


 当然、言い合いに専念していた俺はメニュー表なんて開いていないので、女性が注文をしたものを頼むために『お先にどうぞ』とジェスチャーする。


「あ、私はそちらの男性と同じものを頼みますので」

「分かりました。ではご注文を」

「…………」


 来たことないのかよ。なんて言葉を睨みで伝える俺はサッとメニュー表を開き、1ページ目に合ったAランチというものを指さして注文する。


「お飲み物はどうなさいますか?」

「じゃあコーヒーでお願いします」

「あっ――あーいえ、私もコーヒーで」


 突然手を上げて入り込んできたかと思えば、取り繕うように上げた手をサングラスに持っていき、クイッと持ち上げてコーヒーを頼んでくる。


 そんな女性に俺と店員さんは小さく首を傾げた。

 カッコでもつけているのか?


「い、以上でよろしいでしょうか?」

「はい、大丈夫です」


 若干戸惑い気味の店員さんは伝票に文字を書き写し、小さく会釈をして去っていった。


 それを気に、店員さんに向けていた目を対面に向け、偉そうに胸の前で腕を組んでいる女性を見た。


「どうやら初めてくるようですね?」

「……どうしてそう思うのかな?」

「常連さんなら俺に合わせないだろうし、その反応が物語っていますよ」


 核心を突くことができたのか、目を合わせようとしない女性はマスクを外し、自分を落ち着かせるためにか、水の入ったコップを握りしめる。


「来たことぐらいありますけどね」


 刹那、俺の目は無意識に見開いた。

 マスク一つでこんなにも声というのは変わるものなのか。いや、もしかしたら警戒しすぎていたから気づかなかっただけなのか。


 電車で感じた似ているという気持ち。勘違いだと思っていたが、俺の予想はあたっていたらしい。


「……もしかして、藍沢か……?」


 見開いた目を細め、俺もマスクを外しながら問いかける。


 ちょうどコップに唇を付け、口に水を注いでいるときだったからか、目を見開いた藍沢らしき女性はコップを離しておしぼりを口に抑える。


「その声――というかその顔、善田!?」

「やっぱりお前かよ……」


 これまでの会話は何だったんだよ、という落胆とともに心の底から安心感が湧いてくる。


 本当にストーカーだった場合、美緒たちを警察沙汰に巻き込み、折角のデートを台無しにしかねなかった。


 俺は心の底からあの男が憎たらしい。だが、美緒が選んだ男なのだ。美緒が幸せなのなら邪魔する気なんてサラサラない。もちろんなんて応援はしないが。


 グデーっと力が抜ける俺の身体は机に突っ伏し、心底安心した笑みで藍沢を見上げる。


「良くはないけど、藍沢でほんとに良かった」

「ストーカー男が何言ってるのよ」


 なんて、俺の安心を無に帰すような発言をしてくる藍沢は、サングラスを外しながら視線を睨みに戻してこちらを見下ろしてくる。


「悪いが俺はストーカーなんてしていない。一人で遊園地に遊びに来ただけだ」

「ふーん?それでこのカフェに居るんだ?」

「朝ご飯を食べたかったからな」

「ああ言えばこう言うとはこのことだね」

「実際そうだからな」


 身体を持ち上げ、背もたれに体重を預けると、今度は俺が藍沢のことを問い詰める。


「んで、藍沢はなんでストーカーしてたんだ?」

「だから私はストーカーじゃないって。一人で遊園地に遊びに来ただけ」

「俺と同じじゃねーか。人のこと言えないだろ」

「どっちのセリフよ」


 まぁどうせこいつのことだ。一人で遊園地に来たというのは建前で、あの男の様子でも見に来たのだろう。

 粘着気質で困った女だ。


「ねぇ。いま失礼なこと思ったよね」

「粘着気質な女だなって思った」

「……わざわざ言う辺りほんとモテないって感じする」

「はいはい俺はモテませんよーだ」


 顰蹙を向けてくる藍沢に、開き直る言葉を返した俺はコップを握り、緊張がほぐれた口の中を潤した。

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