第39話 借り物競争で選んだのは君です。

 佐野さんの言葉を聞くまでは、ちょうど今終わったリレーが体育祭で一番盛り上がるであろう種目だと思っていた。


 もちろん今日一番の盛り上がりを見せたリレーはそこら中のクラスで黄色い声援があげられ、走者も応援者も身体が熱くなっただろう。


 うちのクラスではサッカー部副キャプテンと野球部の活躍もあって、2年の部で1位を独走。

 美緒が可憐に走っていたのを拝めたので、1位だろうが最下位だろうがどっちでもいいのだが、それ以上に俺は緊張していた。


「崇くんガッチガチじゃん〜」


 リレーを走った走者たちが運動場から立ち退くのを見やる俺に、千明がほくそ笑む。


「だって今回が初なんだぞ?それでクラスで俺が選ばれたんだぞ?緊張しないわけなくね?」

「誇らしいとは思わないのー?」

「それ以上に緊張する……」

「アハハ〜。頑張れ〜」

「なんか言葉くれよ!」

「いーや」

「なんでだよ」


 あぐらをかいて、後ろに手をつく千明に顰蹙を向ける。

 すると、お馴染みの放送部部長の声がスピーカーから流れた。


『ここで喜ばしいお知らせがあります。この後、体育祭で初となる種目があります。クラスの担当の生徒から説明があった生徒はトラック内に集まってください』


「集まってくださいだってさ〜。クラスの代表さんだね〜」

「この状況で煽り立てるな……」


 靴を履く俺に、おでこを後ろに向ける千明は相変わらずニタニタと笑う。

 そして俺に続くように、佐野さんと話していた藍沢も靴を履く。


 いつものように話すこともなく、気まずい雰囲気が漂う俺達はクラスのテントに背を向けてトラック内へと向かった。


 背後から千明の「ふぁいてぃーん」という言葉が聞こえたが、どうせ振り向けば煽られると思った俺は足を留めることはない。


「ハチマキは巻かなくていいのよね?」

「おう。今回は点数に入らないらしいからな」


 トラックに足を踏み入れた俺達は、情の乗らない会話をして体育教師の前に立つ。

 クラス2名というのもあってか、ここに居るのは男子9名と女子9名の計18名。


 先ほどのリレーと比べれば異常に少ない人数なのだが、初めての行いなのだから致し方ない。

 というか、今一番気になるのはあの男がここに居るということだ。


 あの男は癪なことにも、先ほどのリレーでかなりの輝きを見せていた。

 さらに癪なことに、目をキラキラとさせた美緒に心底褒められていた。


 あの時だけは藍沢のことを忘れておじいさん顔負けのシワを向けてたな。

 俺だって最近は美緒に褒められてないんだぞ?いやまぁ話してないから褒められるもなにもないんだけどさ。


「……なに不機嫌になってるのよ」

「最近美緒に褒められてないからな」

「それで不貞腐れてるの?滑稽ね」

「なんだよ。お前は褒められてるのか?」

「……うるさい」

「褒められてねーじゃねーか」


 佐野さんに説明されたことを、マイクを持った教師が説明している間、目を合わせない俺達は不貞腐れ合いながら会話する。


 俺も藍沢も一途な身なのだからこんな言い合いなんてする必要ないのだが、少しでもいつもの調子に戻れればと思うと言い合いもしたくなる。


 相変わらず俺はあの男に嫌な顔を向け続ける。

 1年生やら3年生やらの間をくぐり抜けるように睨む。


「あっ」


 そんな姿がバレないと思っていた。

 第三者にはバレるだろうが、少なくとも本人にはバレないと思っていた。

 だが、目があってしまったのだ。あの男と。


 慌てて説明を終えた教師の方を見やる。すると、背中からは冷や汗が流れ始めた。

 なんでこっちを見たのかはさっぱり。だが、あの目は確実に俺を見ていた。

 隣りにいる藍沢ではなく、俺のことだけを見ていた。


 もしかして俺がずっと睨みを向けていたことがバレた?

 いやいやまさか。自分で言うのも何だが、睨みを向けるタイミングは――


『それでは、女子生徒の方はトラックに立ってください』


 俺の思考を遮るように放送が耳に入る。


「がんば」

「うん」


 そんな単調な言葉を交わすと、藍沢はトラックへと歩みだす。


 熱を飛ばすように吹く風が藍沢の髪を撫でた。

 俺と離れたからか、それともいつも通りなのかは最近ともなれば判断はできないが、後ろ姿が凛としている。

 今抱えている悩みが儚さを強調させ、いつもの藍沢とは全くの別物。


 尻目にあの男のことを見てみる。さすれば、その別物の藍沢を目で追っていた。

 今となってなぜ目で追っているのかという疑問が脳裏に過るが、俺にとってはどうだっていい。


 美緒と別れて藍沢とくっついてくれるのなら、俺は再度美緒にアタックできるし、付き合える可能性だってある。

 だから願ったりかなったりのことではあるのだが、叶わぬ願いだ。


 呆れのため息を溢した俺は、ピストルが鳴らされ、ゆったりと走り出した藍沢のことを見た。

 そして向かっていくのは3つの箱が並べてある机。次々に箱の中に手を突っ込み、紙を取り出した女子生徒はあたりを見渡した。


『初めに目的のものを持ってくるのは誰でしょう!』


 なんて、凛々しい声とはかけ離れた声音を発するのはいつもの放送部部長。


 当たり前のように声色を変える部長に最初こそ驚きやしたが――というか、ここにいるすべての生徒が驚いただろうが、それよりもあの紙にどんな言葉が書かれているのかが気になった。


 俺と藍沢が選ばれた種目というのは、察しは付いていると思うが、借り物競争だ。

 同時にスタートし、箱の中の紙を手に取り、書かれているお題のものを持ってゴールするというもの。


 一見簡単そうに見える種目だが、急いでテントの方に戻る女子生徒たちがこちらに戻ってくるのは中々に遅い。

 そんなに難しいお題が書かれているのか?と首を傾げると同時に、緊張がほぐれるのを感じる。


 理由は至ってシンプル。

 テントに戻った藍沢が挙動不審になっているからだ。


 先ほどの凛とした姿が嘘かのように慌てふためき、佐野さんに助けを求めては首を振られる。

 その姿を見れば、自ずと先週の藍沢を思い出す。


 すぐ泣くしすぐ怒るし、隙を見つければ漬け込んできて笑ってくる。

 振られたやつへの態度がそれか?と今思い出せば怒りたくもなるが、多分俺も同じような行動をしているのでなんとも言えない。


『一着は3組です!その後ろに2組が走り込み、1組が最後にゴールしました!』


 そんな放送が流れる。

 藍沢はやっぱりと言うべきか、最下位でゴールして、手には千明の筆箱を持っていた。


『1組のお題は……『友達の筆箱』ですね!』


 その言葉を聞けば、なぜ佐野さんが首を振っているのかが理解できた。


 あくまでも俺の予想だけど『私の筆箱を渡すのは面白くないでしょ?』なんてことを言ったのだろう。


 それで挙動不審になって、千明が致し方なく貸したというところだろうか。


 容易に想像できる風景に慕っていると、首元に水滴を流す藍沢がこちらへと戻って来る。


「結構……難しい……」

「友達いないだけだろ?」

「……そういうところじゃない?」

「事実だろ。んなことよりさっさとテント帰れ」


 シッシッと藍沢を追い払うように手を振る俺はトラックへと向かう。

 佐野さんのルール曰く『走り終わったらテントに帰る』とのこと。


 どうやら男子の時だけ物ではなく、人物を連れて来るらしいので邪魔にならないための配慮だとのこと。


 最下位のことに不服なのか、頬を膨らませる藍沢は千明の筆箱を握りしめて背を向けた。


 一瞬だけ目を合わせてみたのだが、やはり気まずい。

 でも疲れ切っている藍沢には気まずさはないようで、まじまじとこちらを見ていたのだけれど。


 各々の借りてきたものを返し終わった女子生徒たちを見届けた後、放送室の隣に立つ教師が3つの箱を入れ替えて赤い旗をあげる。

 すると、ピストルを持った教師が引き金を引いた。


『スタートしました!』


 なんて言葉を耳にしながらゆったりと走り出す。

 隣には3組の男子とあの男が居る。先ほど目があった気まずさも相まり、少し距離を開けて走っていたのだが箱の前に来ればその間も縮まる。


 身体だけは触れ合わないように細心の注意を払いながら箱の中に手を入れ、1枚の紙を握る。


 そして慌ててあの男から距離を取って紙を開くと――


「……まじで?」


 そんな言葉を溢した俺は、重い足を動かした。


 俺が開いた紙には『今頭の中にいる人物』と記されていた。

 もちろん今一番頭の中にいるのは、2組のテントの方へと一目散に走っていったあの男なのだが、当然走者なので連れて行くこともできないし、連れて行きたくもない。


 じゃあ他に誰が居る?と自問自答した瞬間、あの女が浮かび上がってきたのだ。

 無駄に印象に残る言葉を残した女。そしてなぜか気まずくなっていたあの女が。


「おい藍沢。さっさと行くぞ」

「え、私?」


 癪なことを隠す気もない俺は眉間にシワを寄せ、たった今靴を脱いだであろう藍沢に手を差し伸べる。


「おめーだ。他に藍沢ってやつが居るか?」

「……なんでそんなイラついてるの」

「美緒じゃなくてお前が頭にいたからだよ……!」


 藍沢が悩みがあるなんてことを言わなければ俺の頭には美緒がいたはずだった。

 もちろん今からでも頭の中を美緒一色に染めて美緒のところに行こうと思えば行く。が、直感で頭にいたのは癪なことにこの女なのだ。


 慌てて靴を履いた藍沢は手ではなく、手首を握って立ち上がる。

 苛立ちを前にすれば気まずさなどなく、視線が交差する中、藍沢は口を開く。


「頭に私がいたってどういうこと?」

「俺のお題が『今頭の中にいる人物』だったんだよ。藍沢が悩みがあるなんて言わなかったら俺の頭の中は……!」

「なんで私のせいみたいになるのよ!勝手に考えてるの自分じゃん!」

「いきなり藍沢が俺への態度を変えるんだぞ?意識しないって方が無理だろ!」


 理由が理由だったのか、藍沢も苛立ちを顕にし、ゴールへと向かう俺達は言い合いを繰り広げる。


 さっきまでの気まずさが嘘かのように目を見て、いつものように毛を逆立てる。

 けれど掴んだ手首を離すことはなく、振り払うこともない俺達は一番乗りでゴールテープを切った。


「お題はなんですか?」


 あの放送部部長がマイク越しではなく、直接話しかけてきたことに一瞬目を見開く俺は手に持つ紙を渡す。


「『今頭の中にいる人物』ですね。癪なことにこいつですが」

「ほー。かの有名な善田くんが、これまた有名な藍沢さんを連れてくるとは」

「え、俺って有名なの?」


 シャー!と爪を立てて今にも引っ掻いてきそうな藍沢に目を向けて問いかければ、表情そのままに頷く。


「このお題発表します?一応決定権はあなたにありますが」

「どっちでも良いけど……変な誤解生まれそうだしやめとくか」

「えぇ。私ですら誤解してますからね。実は付き合ってるんじゃないかと。懸命な判断です」

「付き合ってませんから」


 俺が言葉を返すと「おほほ」と奇妙な笑いをあげた部長はカラーコーンを指差し、


「他の組が来るまでそこで立っててくださいね」

「あ、はーい」


 若干引き気味になる俺は、相変わらずに歯をむき出す藍沢にデコピンを入れる。


「そろそろやめろ?根に持つタイプは好かれないぞ?」

「すぐ暴力を振るうやつもモテない!」

「はいはいモテませんよ」


 手首は離してくれないが、やっと歯茎をしまってくれた藍沢はこちらを見上げる。

 ソワソワとした様子もなく、ジッと俺の目を見てくるのだ。


「な、なんだよ」


 先ほどのギャップもあり、動揺を表せてしまう俺は、藍沢から半歩身体を離して目を見やった。


「悩みが取り除けた気がする」

「いきなり?」

「うん。いきなり」

「なぜに」

「なんか、モヤモヤした気持ちがあったんだけど、今はスッキリしてる」

「ほんとになぜ?」

「わかんない。冷たい態度を取れば治ると思ってたモヤが、いつもの接し方にすればすぐに治った」

「……裏目に出てるじゃねーか」

「うっさい!私だってこの感情がよくわからないの!」


 ブンブンと俺の手首を振り回してくる藍沢は、きっと俺だけに見せるのであろう表情を浮かべる。


 藍沢の悩みも解決した……と言って良いのかは分からないが、ある程度は取り除けたと言って良いだろう。


 純粋に藍沢のことを魅入っていたこの目も一時の迷い……一時の……あれ?一時の迷いだよな?


 ――パァンッ。


 瞬間、終わりを告げるピストルの音が肩を跳ねさせた。

 混乱する俺の頭を一瞬にして整えさせ、藍沢のことを見ていた目を振り向かせる。


 3組はいつの間にかゴールしており、最後にゴールテープを切ったのは2組のあの男だった。

 微笑ましそうに笑みを浮かべるあの男の左手には華奢な手が握られてあり、その手をたどっていけば自然と奥歯が噛み締められた。


『言っていいとのことなので発表します!2組の……お名前は?』

「三鶴です」

『三鶴さんの紙には『好きな人』と書いてありました!これは公開告白というやつですか!?』

「いえ、付き合ってます」

『なんと!付き合ってるらしいです!』


 マイクを左手に、右手に持つ紙を振り回す部長は目を見開いたまま口を動かす。

 頬を赤らめる美緒は恥ずかしそうなのだが、嫌な顔一つなく、逆に嬉しそうな顔まである。


「クソが……」

「ねぇ!なんで!なんで公開しちゃうの!」

「俺の美緒だぞ……」

「私の作戦が全部消えた!!」


 俺の手首を振り回す藍沢と、ジリジリとした目を向ける俺は悔しさを零すのだった。

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