第10話 ラブラブオムライス

 なんとなく気まずい雰囲気になってから数分が経った頃。

 隣の席に座るカップルの元に店員さんがやってきた。


 俺たちよりも前に入ったはずのカップルが、俺たちよりも後に注文するのは聊か不思議だが、会話を楽しんでいたのだと考えれば納得もできる。


 周りの声も相まって、2人の声を聞き取ることはできなかったが、彼氏が紙を指さしているのを見て注文をし始めたということだけは分かった。


 一応こちらを見られてもバレないように、席に座った瞬間に開いたメニュー表を立てて、顔を隠しながら見ているがこちらに気づく気配は一切ない。

 それほどあのカップルたちは自分たちの世界に入っているということだ。


「……怪しからん」

「んね。私のことを差し置いてあんなに笑顔で話してね」

「んな。俺というものがいながら楽しそうに話してな」


 いつの間にか至近距離にいる藍沢に狼狽することもなく、気まずい雰囲気もなくなっている俺たちはいつものように羨む目をカップルに向ける。


 そうしているうちに注文を終え、ついにその時が来たのだ。

 口づけをする時が。


 あのカップルの前に立つ店員さんは、先ほど俺たちのことを対応してくれた女の人。

 俺の質問に対し、あの人は『私の場合はキスですね』と断言していた。チェンジもできないと言っていたということは、今からあのカップルたちはキスすること。


 ……小癪な男め。この世に迷惑という言葉がなかったら俺は今にも邪魔をしてやるところだぞ。


「それでは、カップルであることを証明してください」


 注文の声や話し声は何一つとして聞こえなかったが、店員さんのその言葉だけはたしかに俺の耳に届いた。

 瞬間、美緒たちは顔を見つめ合い、まるで慣れているかのように微笑みを浮かべながら――をしたのだ。

 もう一度言う。恋人繋ぎをしたのだ!


「確認できましたので、ご注文の品を繰り返します」


 店員さんも店員さんで、その行為に疑問を抱くことなく淡々と注文を繰り返し始める。

 そんな姿に俺と藍沢は呆けた口を閉じることができなかった。


「手を……繋いだ、だけ?」

「俺が口づけした意味は……?」


 店員さんが軽く頭を下げ、カップルたちの席から過ぎ去ろうとした時、メニュー表から目だけを覗かせる俺達に、一瞬だけ顔を向けてくる。

 そしてその目には『面白かったですよ』と言いたげな笑みが浮かんでいた。即ち――


「――俺たち、騙された……?」

「嘘、でしょ……」


 藍沢もどうやら店員さんの目に込められた意味に気がついたようで、メニュー表と一緒に机に突っ伏してしまう。


 多分、あの店員さんには俺たちがカップルではないことがお見通しだったのだろう。

 まだ、騒ぎ立てず、お店から追い出されないだけマシという見方もできるが、俺たちの頑張りは何だったんだ……。


 手の甲にデコを乗せ、自分の行いに対して大きくため息を吐く。


「ちゃんと看板を読んでいなかった俺たちが悪いけどさ……。俺の唇を犠牲にする必要はなかったじゃん……」

「犠牲って言い方はなによ」

「初めて人の肌に唇を付けたんだぞ。犠牲だろ」

「それを言ったら私も犠牲だし。初めて唇を肌につけられたんだから」


 覇気のこもっていない言葉はフラフラになりながらもお互いの耳に入り、また口から吐き出される。


 俺たちがそんなことを繰り返している間も、隣の席ではこちらに気がついていないカップルは微笑み合いながら楽しげに話すばかり。

 キスをしなかったから心の傷が深くまで抉ることはなかったが、それでもやっぱり恋人繋ぎを見れば、付き合っているのだなということが再確認できる。


「てか、俺たちはなんでここに来たんだっけな」

「イチャイチャするのを防ぐため……?」

「……防げたか?」

「んーん。全然防げなかったし、初めてを奪われた」

「おい言い方」

「意味合い的にはそうでしょ」

「そうだけれども」


 やっと顔を上げたと思えば、勘違いをされそうな言葉を漏らす藍沢。

 その言葉に顰蹙を向けていると、すぐに注文したオムライスとソーダがやってきた。


「おまたせしました。こちらが『ラブラブオムライス』と『ラブラブキラキラソーダ』です。ごゆっくりどうぞ」


 トレーに乗せて持ってきてくれたのは、先ほどの女性とはまた別の人。注文を聞く係と届ける係がそれぞれ決まっているのだろうか?という思考が脳裏に過るが、それ以上にボリューミーなオムライスに目が向いた。


 見た目は外の看板で見たハート型のオムライス。ライスの方を作るのも難しそうだが、その大きさの卵焼きをどうやって作ったのだ?という疑問も浮かぶ。


 そして今俺の目の前にあるオムライスの大きさを的確に表すとするならば、横にしたティッシュ箱を縦二つ、横二つに並べたぐらいと言えばいいだろう。

 そのティッシュ箱をハート型にしたものが、今俺たちの目の前にあるのだ。


「ごゆっくりどうぞ〜」


 机の上にソーダとオムライスを置いた店員さんは軽く頭を下げ、あっという間にキッチンへと帰ってしまう。

 それを見届けた後、ソーダに目を向けた。


 やっぱりと言わんばかりに刺されたストローは、一本の枝から二本に分かれるような形をしており、クルッとハート形を描いて顔に向けられる。


 一緒に飲もうものならおでこがくっつくのではないかと思うほどに長さは短く、ストローに合わないほど容器が大きく、鮮やかな水色が写真映えする。


 そんな色々とすごいソーダからゆっくりと視線を上げ、藍沢を見やる。


「藍沢って、大食いだよな……?」

「どこからの情報よ……」

「もしかして少食?」


 そんな俺の言葉に、藍沢は気まずそうな微笑みを浮かべ、小さく頷いてくる。


「……できるだけ食えよ」

「分かってる」


 壁側にある箱からスプーンを取り出した俺は、一つを藍沢に渡してオムライスに手を付ける。


 贅沢にも、卵の上には何重にもケチャップで描かれているハートがあるが、騙されたことの恨みを晴らすように塗りつぶしてスプーンに乗ったオムライスを口に放り込む。


「うっま」


 見た目もいいし、味もいいし、量も多い。

 質より量派だとか量より質派の論争なんて、このオムライス一つで収まるのではないか?と思えるほどに味が美味しく、危うく笑みが零れそうになる。


「そんなに美味しいの?」

「まじでうまいぞ。これなら全然行けるかも」

「ほんとかな……」


 疑いの目をこちらに向けながらも、藍沢はスプーンでオムライスを掬って口の中に入れる。


「えっ、美味しっ」

「だろ?まじでうまい」

「これなら私も行けるかも」


 その藍沢の言葉を最後に、食べることに集中する俺たちの間からは会話が消え、ただただ美味しいオムライスを頬張るのだった。

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