第9話 好きでもないやつに初めてを奪われた
店内に入ると、やっぱりというべきか男女のカップルがわんさかいた。
別にカップルでもない男女が入店して来ても、あの二人もカップルなんだなぁと勘違いされてもおかしくないほどにカップルしかいなかった。
でもそんなのを気にしている暇はない。
「いたか?」
「んーん。見えない」
店に入るや否や、目を凝らして辺りを見渡すがそれらしき人物たちは一人として見当たらない。
奥にも席があるから、きっとそこにいるのだろう。
「いらっしゃいませ。2名様でお間違い無いでしょうか?」
「あ、はい」
「かしこまりました。ではお席にご案内いたしますね」
辺りを見渡す俺達に声をかけてきた店員さんは淡々とマニュアルであろう言葉を並べ、多分美緒たちが座っている奥の席へと案内される。
その間も目を凝らして周りを見たが、やっぱりいなかった。のだが、席に座わる頃には歯を食いしばっていた。
「なんで……!なんで隣の席なのよ……!!」
確かに俺は奥の方にいるだろうとは予測していた。
予測していたのだが、たった今藍沢が言った通り、俺達は美緒たちの隣の席に案内されてしまったのだ。
あんなに見渡していたのが嘘かのように目の前にいるのだ。今、美緒たちが何を話しているのか聞こえるほどの至近距離に!
「まぁまぁまぁまぁ落ち着けよ藍沢。俺だって落ち着いてるだろ?」
「めっちゃ手震えてるじゃん」
「…………。気にするな。それよりも注文をしよう」
「それはそうね。私達だって一般客だもんね」
「そだ。俺達は一般客だ」
ただ料理を食べに来た一般客。そう考えれば気も楽になり、震えていた手は一瞬で収まり、その手でメニュー表を開いた。
メニュー表を真ん中に置き、二人で文字に顔を覗かせ、どんな料理があるのかと目を通していたのもつかの間――
「失礼します。お水とおしぼりです」
店員さんが席の前に現れ、お盆からコップと袋に入ったタオルをそれぞれの前に置き、続けて口を開く。
「本日はカップル限定となっていますので、メニュー表ではなく、そちらの紙をご覧ください」
「紙?」
なんてことを口にしながら俺は首を傾げ、店員さんの指差す方を目で追いかける。
すると壁にはお店の前にあった看板と同じ絵と文字が書かれた紙が貼られていた。
「あーじゃあオムライスと……ラブラブキラキラソーダ?を一つ」
「畏まりました。以上でよろしいでしょうか?」
「あっ、私も同じのを――」
そう藍沢が口にしようとした瞬間、トレーをお腹の前で持つ店員さんが納得したかのように言葉を割り込ませてくる。
「――そういうことでしたか。こちらのメニューはかなりのボリュームになっております。思春期まっさだ中の男子高校生様でも、こちらのオムライスをお一人で平らげるというのは少しばかり難しいかと」
「なるほど。ではオムライス一つと飲み物一つで――」
カップル限定の料理なのだから2人で食べることに考慮し、それぞれの料理にボリュームがあることには納得した。
だから人差し指をピンと立て、食べ物と飲み物を一つ頼もうとした。だけど、再度店員さんは口をはさんでくる。
「――限定メニューについての情報が曖昧なようなので、少しご説明いたしますね」
「えっ、あ、はい」
そんな店員さんに困惑しながらも、立てた人差し指は気まずさから下すことができず、指と同じように店員さんの顔をジッと見つめる俺と藍沢。
「本日のカップル限定イベントでは、お客様にカップルであることを証明してもらわなくてはなりません。そこの紙にも書いてある通り――なんならお店の前の看板にも書いてある通り」
「「あっ……」」
立っていた指は萎れ、店員さんのことを見ていた視線は藍沢の方に向き、交差する。
そうだ。完全に頭から離れてた。学校でも考えていたことが完全に頭からすっぽ抜けていた。
この拍子抜けの顔を見るに、藍沢も考えていなかったのだろう。
カップルらしいこと。即ちハグだとか手を繋ぐだとか――キスだとか。
その言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、背中に冷や汗が流れるのを感じた。
相手は藍沢。なんなら俺はキスをしたことがない。というか隣には現在進行形で好きな美緒の姿がある。
「ちなみにですけど、その証明方法というのは……?」
「そうですね。それぞれの店員さんによりますが、私の場合はキスですね。場所指定はありませんよ」
よりによってキスか……。
質問のために店員さんに向けていた目を、チラッと藍沢に向けて様子を窺う――ことすら意味がないほどに顰めっ面を浮かべてこちらを見ていた。
「他の店員さんとチェンジってできますかね」
「え?できませんよ。もしかしてカップルじゃないんですか?」
「カップルです」
「ではキスをお願いします。場所指定はありませんので、手の甲とかでもいいんですよ?」
店員さんの提案に、それだ!と思った俺は尻目ではなく、顔も藍沢に向けてどうかと聞こうと思った。けど、その必要はなさそうだった。
「ほら。早くやれば?」
「……なぜに上から目線」
いつの間にか差し出されていた藍沢の右手は俺の前にあり、口調からも分かる通り早く終わらせてという意思を感じる。
案外あっさり手を出してくるものだから、驚きを表情に出してしまいそうになるが、そうすれば店員さんに疑われかねない。
だから俺も何食わぬ顔で藍沢の手を取り、そっと唇を当てる。
「これで大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。では、注文を繰り返します。『ラブラブオムライス』をおひとつ。『ラブラブキラキラソーダ』をおひとつ。でよろしいでしょうか」
「はい」
「畏まりました」
そう言った店員さんは軽くお辞儀をし、なにも見ていなかったかのように無表情で席を離れていった。
藍沢の顔を見ればわかると思うが、嫌そうな顔――ではなく、真っ赤になった頬が目に映る。
多分俺も赤くなっているだろうな。
「……やる側の身にもなってほしいよな」
「それ、どっちの意味で言ってる?」
「両方だよ。初めて手の甲にキスしたんだぞ」
「私だって初めて手の甲にキスされたわよ」
あくまでも手の甲に、というのを知らしめるために強調して言うが、俺たちの存在に気が付いていない隣のカップルは楽しそうにはにかみ合うだけ。
傍から見ればただの照れ隠しをしているカップルに見えかねないが、決してそうではない。
俺たちにはあのカップルを近くで見てやらないといけない、という使命があるからこういうことをしただけあって、そういう気を起こしているわけではない!俺は美緒一筋だ!
「え、気まず……」
「んなこというなよ。俺だって気まずいわ」
「その赤くなってる顔を見ればわかる」
「別に言わなくてもいいだろ。そっちだって赤いくせに」
「それだって言わなくてもいいじゃん」
「お互い様だ」
なんとなく目を合わせることができず、周りとは違う気まずい雰囲気が流れる我が席では、藍沢はおしぼりを取って手を拭き、俺はコップに口をつけて水を含む。
その動作に特に深い意味はない。別にこれと言った深い意味はない。のだが、さっきの事がとにかく脳裏にチラついて仕方がなかった。
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