第25話 また好きでもない女に初めてを奪われた

 開園して間もないからだろう。いつもは最後尾にある待ち時間を知らせる看板はどこにもなく、列も短い。

 この調子だとほんの10分でこのジェットコースターに乗ることができるだろう。


 藍沢に楽しませると助言してから少しの時間が経過した。

 助言した割には俺達の間に会話はなく、シナシナになっていた顔も戻ったものの、それはここからあのカップルが見えないから。


 ジェットコースターに乗り終わった後、再度あのカップルを見たらまた俺達の顔からは力が抜けるだろう。


 それを避けるためにもここで俺が藍沢のことを楽しまなくてはならない。

 藍沢が楽しいと感じてくれたら多少なりともあのカップルから意識が逸らされるだろう。


 ……まぁ、その楽しませる会話を考えていたらあっという間に8分が経っていたわけなんだけど。


「藍沢ってジェットコースター乗れるのか?」

「やっと口を開いたかと思えばそれ……?嘘でしょ……?」


 呆れ果てた声が心の底から漏れたのだろう。

 眉間にシワを寄せる藍沢は若干引き気味に言ってくる。


「それってなんだよ。乗れるか乗れないかは大事だろ」

「聞くのは並び始めた時。もしくは遊園地に来る前。何が何でも今は遅すぎです」

「めんどくせぇ……」

「……私のこと楽しませる気ある?」

「もちろんだとも」

「……そうには見えないけどなぁ」


 なんて会話をしている間にもジェットコースターとの距離が近くなり、結局質問の回答を聞けずに会話は終わってしまう。


 そして肝心の藍沢も不服そうに顔を顰め、もの言いたげに俺の顔を見上げてくる。


「なんだよ。俺は面白くない男だと言いたいのか?それともバカだと罵りたいのか!?笑いたきゃ笑え!」


 そんな藍沢に嫌味を返すように視線を下ろし、八つ当たりのように口を開く。

 すると藍沢も負けじと身長を背伸びで補い、届かないのにもかかわらず視線を合わせようとしてくる。


「まだ何も言ってないじゃん!バカとも面白くない男……は多少思ってるけど!でもまだ何も言ってない!」

「思ってるのに変わりはねーよ!」

「ていうか考えて会話しないで?いつもの善田と違うから気持ち悪い!」

「はぁ!?おまっ、折角楽しませてやろうと思ったのに何だその言い方は!」

「だって面白くないんだもん!三鶴と無言で歩いたほうがもっと楽しもん!!」

「うーわ。こういうところで別の男の名前を出してくる辺り、嫌な女感じるわぁ」

「そうやってすぐ口に出すところも嫌な男って感じする!」


 なんの言い合いをしているのだろうと、冷静になれば思う。

 でもそれと同時に、いつもの俺達を思い出せた気がした。


 多分さっきは美緒のことを見て――というよりも、あの男のことを見てプレッシャーを感じていたのだと思う。


 俺もいい男にならなくちゃ。隣の女子を楽しませてあげなきゃ。

 なんてことを無意識に頭の隅で考えていたのだろう。


 藍沢の言葉を最後に、再度俺達の間には沈黙が訪れる。

 それと同時にスタッフさんにジェットコースターへと案内された。


 ジェットコースターの先頭には美緒の姿が見られ、俺達は数十個並ぶ車体の最後尾。

 ギリギリ同じジェットコースターに乗ることができたが、あまりいい気はしない。


 ずっと手を繋ぐ美緒たちは楽しげに安全バーを下げ、肩と肩が触れ合う。

 そんな二人とは別に、俺達の間には人一人分の間が開いている。


 あの二人と俺達二人の明確な違いと言えば、付き合っているか付き合っていないかの違い。

 そしてもう一個述べるのなら、会話の量と質だろうか。


 眉間にシワを寄せ合って言い合いをする俺達とは違い、前方の二人は常に楽しそうに微笑み合う。というか、話してないときですら微笑みを欠かさない。


 どうやらその違いに藍沢も気がついているらしく、ポツリと口を開いた。


「私さ?実はジェットコースターに乗れないんだよね」

「へー乗れないんだ……。――は!?乗れない!?」

「うん。乗れないんだよね。三鶴と遊園地に来る時は、毎回コーヒーカップや食べ歩きだけ。その時も常に笑ってくれてたけど、あの笑顔を見たら偽物だったのかなぁって思う」

「いや……え?乗れないのに黙ってたのか?今からでも降りれるか聞いてみるか?」

「ねぇ!今私しんみりしてるんだけど!?最後まで聞いてくれない!?」

「あっ、すまん」


 スタッフさんがマイク越しに注意事項を話していることすら耳に届かないほどに焦っていた俺は、藍沢に太ももを叩かれたことによって正気に戻る。


 それでもやっぱり藍沢がジェットコースターに乗れないことの心配が勝る。


「それでね?私、色々考えたんだけど、ジェットコースターを克服しようかなって思ったの」

「克服……?なぜに」

「なぜって……そりゃ三鶴と次来る時に楽しみたいからに決まってるでしょ?」

「あーなるほど」


 ポンッと納得した手を叩くと、タイミングよく車体が動き始める。

 瞬間、藍沢の肩がビクンと跳ねるのが見て分かった。


 流石に動き出してしまえば止めることなんてできない。藍沢もそのことについて重々承知しているだろう。


 車体が斜めになり、登り坂を軽々と登る。

 そのタイミングで藍沢は安全バーにしがみつき、身体を丸くした。

 そんな光景に俺は思わず失笑してしまう。


「お前、それであの男ともう一度遊びに来ようと思ってるのか?」

「な、なんで笑うの!?至って真面目なんですけど!」

「いやいや、滅茶苦茶しがみついてんじゃん。すっげーダサいぞ?」

「それは!そうかも……」

「だろ?なんかもっと可愛いことしろよ」

「例えば?」


 こちらに目を向けては来る藍沢だが、しがみつくことはやめない。


 俺が子供のときですらここまですることはなかったんだが、苦手な人はとことん怖いんだな。


 そんなことを考えながらも俺は手のひらを藍沢に見せ、半笑いを浮かべながら声を掛ける。


「手を繋ぐとかさ?腕にしがみつくとか色々あんじゃん」

「……その手は繋げって言ってるの?」

「別に言ってねーだろ。けど繋いでやってもいいぞ?諸説はあるが、手を繋ぐと怖さが和らぐらしいし」

「あんたが繋ぎたいだけでは……?」

「あーそーですか。そんな事言うならもういいです」

「あぁちょっと……。少しからかっただけじゃんか……」


 引っ込めようとする俺の手を、安全バーを手放した藍沢はギュッと両手で包みこんでくる。

 俺も少しからかっただけなのだが、まさか繋がれるとは……。


 あまりにも忽然な出来事に、思わず目を見開いてしまう俺だがその手を自分の太ももへと近づける。


 最後尾なのだから誰のも見られないということは分かっている。誰も後ろを見ないことなんて分かってるし、先頭にいる二人が後ろを振り向くことなんてないということもわかっている。


 けど、今の自分の気持ちを隠すように、この手も隠さないとダメだと思った。


「絶対に離さないで――きゃぁぁ!!!」


 ちょうど坂を登り終え、落下寸前の出来事だったので、藍沢の言葉は途中から絶叫のものとなってしまった。


 よく息が続くなと思うほどに藍沢は叫び続け、だけど風のおかげか耳には響かない。


 車体が傾き、藍沢がこちらによってくる。

 手を太ももに近づけていたせいでフニっという柔らかい太ももが手の甲に当たり、変な罪悪感が湧いてくる。


 慌てて身体を離そうとするが、手のひらだけでは足りなかったのか、腕にまでもしがみついてくる藍沢は絶叫をやめない。


「離さないでって言ったじゃんー!!」

「離してないよ!」

「今離れようとしたじゃんかー!!」

「それでも手を離すつもりはなかったよ!」

「いやぁーーー!!!」


 今度は藍沢側へと車体が傾き、慌てて安全バーにしがみついて身体がくっつくのを防ぐ――はずだったんだけどなぁ……。


 自分がジェットコースターから振り下ろされるとでも思っているのか、藍沢は本当に女子なのか疑うほどの握力で俺の腕をがっしりと掴んでくる。


「なんで離そうとするのー!!」

「してねーって!重力だよこれ!!」

「ひどいー!!」


 なぜか藍沢の中では俺が離そうと思っているらしく、涙目になる目をこちらに向けてくる。


 けどすぐに前方が心配になったのか、視線を前に向け直した。

 そんな姿を見ればどれだけジェットコースター――というよりも絶叫系が苦手なのかが分かった。


 これを治せるのか……?無理じゃないか?

 あざとく『こわ〜い』と言いながら腕を掴むのはすっごく良いと思うけど、それをすべて崩しかねない叫びっぷりだからなぁ……。


 失笑してしまいそうになる口をなんとか堪える俺は、相変わらず隣で絶叫する藍沢の横顔を見る。

 でもこの顔だからなぁ……。案外許されるかもしれん。


 なんてことを考えていると車体は突然減速し、衝撃に備えていなかったのか、藍沢の頭が安全バーに当たりそうになる。

 別に安全バー如きに頭をぶつけても痛くもないだろうが、俺の手は反射的に藍沢のおでこを支えていた。


「あっぶな……」


 そんな言葉を発しながら俺はそっと藍沢のおでこを安全バーへとくっつける。

 忽然な出来事に頭の処理が間に合わなかったのか、藍沢の首は座っていない。


 車体が屋内へと入ると、スタッフさんのアナウンスが流れる。


 車体の動きが完全に止まるまで足元においている荷物は取らないでというアナウンスと、安全バーは自動で上がりますよというアナウンスだったが、今は藍沢のことで手一杯。

 荷物を取る暇も強引に安全バーを上げることもないだろう。


「おーい藍沢?大丈夫か?」

「……うん」

「絶対嘘だろ」


 まるで覇気の籠もっていない声は弱々しく口から吐き出され、耳を近づけてやっと脳へと届く。


 けど腕を掴む力だけは強く、握る手も――って……いつの間に恋人繋ぎしてんだ……?

 慌てて手をほどこうとする俺は大きく指を広げ、手首を引こうとする。


 だがその瞬間、目だけをこちらに向けてくる藍沢はやっと力が籠もった声で口を開いた。


「なんで恋人繋ぎしてるの……」

「おめーがしたんだよ」

「私、恋人繋ぎしたことなかったんだけど」

「俺だってねーよ」


 案外簡単に抜けた手にはまだ温もりがあり、やっと開放してくれた腕には柔らかいなにかの形が鮮明に記憶されてあった。


 案外押し付けられている時の記憶はなく、離されてやっと分かることもあるんだな。


「また善田の初めて奪っちゃった……」

「ずっと言ってるけど言い方どうにかしろ?」


 やっと終わったからか、それとも初めてを奪えたからか分からないが、はにかむ藍沢は顔を上げる。


 ピタッと太もも同士がくっついているのもあってか、その顔と俺の顔との距離も目と鼻の先。


 慌てて顔をそらすと車体が止まり、安全バーが上がるのを見ながら荷物を足元から拾い上げる。


 それは藍沢も同じようで、先ほどまで浮かべていたはにかみなんてそこにはなく、赤くなった横顔だけが目に写った。


 前の人が次々に降りていくのに続いて俺も車体から降りる。

 そして美緒たちが歩き去るのを尻目に、藍沢に手を伸ばす。


「……私のこと狙ってる?」

「狙ってねーよ!優しさだよ!」

「まぁ狙われても困るしね」


 そんなことを言いながらもちゃっかり俺の手を握る藍沢は車体から足を出し、手を離して肩にバックを掛ける。


 パッパッとズボンに付いたシワを伸ばすように太ももを叩く藍沢を俺は見下ろす。


「御礼の言葉はなしか?」

「今から言おうとしてたのよ……!ありがとう……!」


 語尾を強調させる藍沢は身体を起こし、睨みを効かせながらも歩き出す。

「子供かよ」なんて言葉を零す俺は藍沢の隣に付き、辺りを見渡しながら歩くのだった。

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