第31話 なんか面白いことに誘われた

 準備体操も終わり、応援合戦など体育祭に力の入れていない我が校ではやらないので、すぐにテントへと戻って、ブルーシートの後方で腰を下ろした。


 やっぱりこの時期の長袖ともなると、少し動いただけで汗が滲む。

 身体の後ろに左手を着いた俺は、右手でジッパーを開けてハタハタと下に来ている半袖を仰ぐ。


「脱げばー?」

「出番になったら脱ごうと思ってるんだがなぁ……」

「でも暑いんでしょ?」

「まぁ……」

「なら脱いだら良いじゃんー」

「……うっす」


 不承不承に頷いた俺は、付いていた左手を離して長袖をゆるりと脱ぐ。

 正直、半袖はあまり好きではない。そのへんの野球部やらサッカー部と違って筋肉量も少ないし、防御力が低くてソワソワしてしまう。


 長袖をくるくると適当に畳み、膝の上に置く俺は、今度は両手を後ろにつく。


「涼しぃ」

「やっぱり長袖はまだ早いよね〜」


 長袖着てるやつが何を言ってる?なんて言葉を言おうとしたが、タイミングよくアナウンスが流れ始めてしまった。


『徒競走に出る生徒は集まってください』


 次の競技は徒競走。クラスで5人が出場する競技であり、チームへの得点がかなりある競技だ。


 ちなみに俺らのクラスは赤チーム。他に2クラスあり、美緒とあの男のクラスは青チームで、知り合いの誰も居ないもう1つのクラスは緑チーム。


 これも昨日突然伝えられたことなので、どれだけ体育祭に興味ないかがよく分かる。


 けれど青春イベントではある以上、生徒たちは盛り上がり、なんなら自分たちで応援団を設立させてしまうほど。


 1、2年生の女子が3年生の男子を応援するなんてザラだし、同級生の名前を付けたうちわを持ってくる女子だっている。


 男性の野太い応援がそのへんを飛び交ううちの学校は、そろそろ体育祭に力を入れて良いのではないかと思う。


「んじゃ行ってくるね〜」


 呑気に言葉を口にする千明は立ち上がり、やっぱり長袖は脱がずに靴を履いてトラックへと出ていく。

 先ほども述べた通り、徒競走という個人技はかなりチームの得点を左右する。


 お世辞にも千明の足が早いとは思っていない。だから心配ではあるのだが――


「なーんでそんな心配そうな顔するのー?僕、足は速いよー?」

「50メートル何秒だ?」

「えーっと、何秒だっけ?」

「……心配だなぁ!」


 別に俺が得点を競っている訳では無い。

 だが、このクラスには心の底から勝ちたいと思っている男子やら女子がいる。だからもし、この徒競走でビリを取り、そいつ等のいじめの標的にされたらと考えたら心が痛い。


「信じてよ〜」

「……信じるけどさぁ」


 そんな情けない俺の言葉を最後に、急かされる放送によって千明は背中を見せた。


 まるで我が子を見るような視線を背中に送り続ける俺は、背後から近づいてくる女性に気がつかなかった。


「ねぇ」


 ちょん、と触られた肩を勢いよく跳ねさせる俺は、慌てて身を引いて声の主のことを見やる。


「それ2回目……」


 なんて、呆れ果てたようなため息を吐く驚かせた張本人は、佐野さんと一緒に俺の顔を見てくる。


 あまりにも突然のことに目を見開いていると、今度は佐野さんが口を開いた。


「今日の体育祭、面白いことがあるんだよね」

「面白い……こと?」


 本当になんの突拍子もない会話に、思わず首を傾げて聞き返してしまう俺は、藍沢の方に目を向ける。


 しかし、藍沢も藍沢で目を見開いて佐野さんのことを見ていた。


「藍沢も知らないのかよ……」


 なんて言葉を零す俺は、引いていた身体を戻してまじまじと佐野さんの目を見る。


「んで、面白いことというのは?」

「それは秘密だよ」

「……秘密っすか」


 ならなんで言ってきたんだ?なんて言葉は口の中だけに閉じ込め、相変わらずの美形で人差し指を立ててくる佐野さんに、俺は細めた目を向ける。


「それで、その面白いことを善田くんにやってほしいなぁってね」

「俺に?なぜ」

「うちのクラスで一番モテているのは君だぞ?」

「はぁ……。面白くない冗談をいいますね」

「ホントなんだがな……」


 うちのクラスにはサッカー部の副キャプテンもいるし、背番号を持っている野球部だっている。そんな中、俺が一番?そんな冗談が通用するわけがない。


「ちなみに夕姫も出るから」

「えっ私!?」

「藍沢も今言われたのかよ……」


 相変わらず目を見開いて、驚きを隠せていない藍沢に言葉をかける。


 俺とは違い、有無を言わせない言葉で藍沢を出させることにした佐野さんは、こちらに目を向ける。


「だから善田くんも出てくれない?内容は言えないけど」

「まぁ……いいっすけど、命はかからないっすよね?」

「流石にないよ。ただの体育祭だよ?」

「ならいいっすけど」


 どうしても佐野さんは俺に出てほしかったのか、承認すると安堵のため息を吐きながら胸を撫で下ろした。


「じゃあ、最後のリレーが終わったらまた呼ぶからよろしくね」

「はーいよ」


 俺が軽く返事を返すと、靴を履いた佐野さんは走って放送テントへと向かっていく。


 なにかの係に認定されているのだろうか?それとも選手宣誓の延長線?

 なんてことを考えているのもつかの間、ずっと目を見開いている藍沢はこちらを見てきた。


「え?私の拒否権は?」


 もちろんそんな藍沢に慰めの言葉なんてかける気がサラサラない俺は微笑を浮かべて言う。


「んなもんねーよ。選ばれたんだから素直に出ような」

「えぇ……」


 見るからに嫌な顔をする藍沢の言葉とともに、徒競走の走り出しの合図であるスターターピストルの音が運動場を包んだ。


 はじめにスタートしたのは1年生で、100メートルもの距離を15秒とかからず走り抜けてしまう。


「はっやぁ……」


 思わずそう口にしてしまうほどにみんな速く、あっという間に4グループが走り終わってしまった。


 うちの学校はどこかの部活がこれといって強いってわけではない。野球部も甲子園に行けているわけでもないし、陸上部も全国に行く人がたまにいるぐらい。


 それでもやっぱりクラスに数人は足の速い人がいるのだ。

 小学生なら女子から引く手数多だろうが、ここは高校。足が速いぐらいで女子の心を射抜けるわけがない。


 そう思って1年生のテントを見れば――うん。1位になれば引く手数多だな。これ。


 遠目からでもわかるが、黄色い歓声が飛び交っている。

 なんならうちのクラスでも「あの男の子イケメンじゃない?運動もできるってかっこよくない?」「あっ!あの子性格もいいよ!」なんて会話が聞こえてくる。


「千明大丈夫か……?」


 そんなものを見れば自然と口からそんな言葉が溢れ、カラーコーンの後ろに立っているであろう千明に心配の目を向けてしまう。


 遠目に見る限りでは勝つ気満々のように見えるけど、心配でならない。

 俺だけは味方だからな……!


 なんてことを考えているとあっという間に1年生の部が終わり、千明が腰を上げてトラックの上についた。


 レーンは1で、ここからだとよく見える。

 奥に5人がズラッと並んでいるのを見ると心が締め付けられた。


「何度でも言う。俺は千明の味方だからなぁ……」

「さっきから何言ってるの……?」


 やっと面白いことを受け止めれたのか、藍沢は訝しむ目をこちらに向けて言ってくる。


「千明って徒競走出てるだろ?それで心配してんだよ……」

「50メートルの時いなかったの?千明くんすっごい速いよ?」

「――えぇ?」


 藍沢が発した言葉に顔を向けると、スターターピストルが鳴り響いた。

 辺りからは声援が聞こえ、慌てて声とともにそちらへと視線を戻す。


 現在の地点は40メートルといったところだろうか。

 スタートダッシュを見ることはできなかったが、なぜか千明が先頭で赤色のハチマキを靡かせているのがしっかりと目に写った。


 顔のブレなんて見せない完璧な走りはグングンと後ろの選手を離していき、あっという間にゴールテープを切ってしまう。


 今年の50メートルの当日、俺は風邪で寝込んでいて知らなかった。千明の足が速いということに――というよりも運動ができるということに!


 体育では毎回のように人にボールをなすりつけ、自分は動こうとしないんだぞ?そんなのを見れば運動ができないって思うだろ!


 清々しいほどまでに手を広げる千明は、スピードを徐々に緩めるために流しを行い、そのままトラックから抜けてこちらへとやってくる。


「崇くんちゃんと見た〜?」

「え、あっ……おう」

「速かったでしょ〜」

「……だな」


 未だに信じがたいものを目にした俺はあやふやな言葉を並べる。


 そんな俺の言葉を聞きながら、頭からハチマキを外す千明は手と一緒にポケットに入れてゴールテープの方へと戻っていく。


「千明くん可愛いしかっこよくない!?」

「なにあのギャップ!」

「千明くんって性格すっごく良かったよね!」


 なんて言葉がテントから聞こえ始める。

 そんな女子に一時の迷いに身を任せるな!と言いたいところだが、正直ギャップも感じたし性格もいいからなんとも言えない。


 遠のいていく千明の背中は謎にかっこよく、ポケットに手を入れているのも相まってか様になる。

 だからだろう。所々で女子が「わたし、好きになったかも」なんて言葉を溢してしまったのは。

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