第30話 この時期はもう長袖だよな
そんなこんなでやって来たのは9月28日の土曜日。体育祭当日である。
体育祭があることに気がついてしまえば時の流れなどあっという間。力を入れようと思っていた夏休み明けテストも点数が見たくないほどにボロボロで、授業なんかに力が入るわけもなかった。
まだ日差しが強い太陽の下を長袖の体操服で投稿した俺は、クラスのテントの下に行き、いつもの通学用カバンをブルーシートの上に置く。
すると、先に来ていた千明がブルーシートを這いつくばりながらこちらへとやってくる。
「おはよ〜」
「おはよ……」
「朝からずいぶんげっそりだね〜」
アハハなんていう笑い声をあげながら千明はブルーシートから立ち上がる。
半ズボンから見えるほっそい足は本当に男か?と思えるほどで、長めの体操服から手の先だけ出す千明は背伸びをする。
「僕は割と元気なんだけどなぁ〜」
「こちとら振られた身なんだよ。こんな青春イベントを楽しめるかっての」
「そういえば振られたって言ってたね」
「……俺の振られ話はその程度ですか」
「だって未だに信じてないし」
「なんでだよ!」
なんて会話をしていると、背後から歩み寄ってくる女性に肩を突かれる。
思わず身体を跳ねさせる俺は後ずさりをしながら振り返った。
するとそこには平日なら毎日。というか最近じゃ一緒に遊園地に行った女がこちらを見上げていた。
「おはよ。善田」
「藍沢かよ……。おはよ」
藍沢も暑いのにも関わらず長袖を羽織っており、この3人だけを見れば夏の季節を感じさせない。
少し周りを見れば皆半袖で、長袖なのはほんの一部だというのに。
「床並くんもおはよ」
「おはよ〜」
背伸びを終えた千明は頭の上で手を組んだまま挨拶をした。
少しすると、放送部の部長が校内放送で運動場の中心に集まれと招集をかけた。
ブルーシートを土足で踏みながら運動場へと出ると、生徒によって立てられた砂埃が宙を舞う。
そんな視界が悪い空間の中、クラスが書かれているプラカードを探しながら歩く。
「あれ?もうみんないるじゃん」
首をかしげる千明は「おかしいなぁ」なんて言葉を続けて言う。
「昨日言ってたぞ?来たらすぐにプラカードの前に集まれって」
「そだっけ?」
「……聞いてないのかよ」
雑談をする俺達は特に急ぐこともなく、のんびりと歩いてクラスメイトの後ろに立つ。
荷物を置いていた藍沢はというと、少し遅れてこちらへと歩いてくる。
何の変哲もない、いつも見る藍沢の顔なのだが、どこか違和感を覚えた。
不満を隠しきれていない瞳というか……微笑みがぎこちないというか……。
そんな思考を過ぎさせる俺に、答え合わせをするかのように俺の後ろにたった藍沢は口を切る。
「なんで待ってくれなかったの?」
「……待つ?」
「私、荷物置いてたじゃん。待ってくれても良かったんじゃないの?」
「んなこと言われてもなぁ」
「そんなんだから振られるんでしょ」
「お前じゃなかったら待ってるわ」
「……尚更振られるでしょ」
やっと微笑みを解除した藍沢の表情は一瞬にして睨みへと変貌し、恨みを晴らすかのように横腹を突いてくる。
なんてことをしているのもつかの間、いつの間にか朝礼台に立っていた校長がマイクの電源を入れて咳払いをする。
「えぇ、今日は天気も晴れ、良い運動日和となるでしょう」
そんな言葉から入る校長先生に、どこからか「天気予報かよ!」というツッコミがコソコソと聞こえてくる。
こういうのって大体マニュアルがあると思うんだが、自分で考えたのか?
なんてことが脳裏によぎるが、長々と話すことなく朝礼台を降りた校長に入れ替わり、最近話した女子がマイクの前に立ったのだ。
「選手宣誓――」
スピーカーから放送部部長のハキハキとした声が聞こえ、マイクの前に立つ女子――佐野玲香が口を開き始めた。
「知ってたか?佐野さんが選手宣誓すること」
後ろを振り向きながら藍沢に問いかける――必要もなかったな。呆けた顔がすべてを物語っている。
少し口を開ける藍沢は朝礼台に立つ佐野さんに目を向け、勇ましい姿に見惚れているのか、はたまたただただ驚いているだけなのか、びくともしない。
「完全に思考停止してるねぇ〜」
「確かに驚くけど、こんなふうになるか……?」
「友達があの場に立ったらするんじゃないー?崇くんがあそこに立ったら、思わず笑っちゃうけれどね」
「……佐野さんみたいに勇ましくなくてすみませんね」
手を半分隠した袖を口元に持っていく千明はクスクスとからかうように笑う。
そんな千明に細めた目を向けていると、手をおろした佐野さんは一礼して、朝礼台から姿を消した。
瞬間、我に返ったかのように瞳を動かし始めた藍沢は、ガシッと俺の肩を掴み、強く揺すってくる。
「ねぇ見た!?玲香が宣誓してた!」
「…………見たよ」
「すごくない!?」
「うんうんすごいすごい」
千明に向けていた細めた目は遠くを見やり、感情の籠もっていない言葉だけが口から溢れ出す。
そうして、放送部部長の声によって一種目に含まれるのかどうかギリギリのラインである準備体操が始まった。
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