第29話 好きな人に甘えられてもねぇ……
かれこれ電車に揺られること1時間。
眠気を耐え凌ぎ、時々手に力が込められるのに驚きながらも肩から聞こえる寝息を聞いていた。
正直なところ、心臓が高鳴って仕方がない。
脳裏に美緒のことを宿しておかないと、きっと今頃俺もこの手を握り返していただろう。
あくまでも今は手から力を抜いている状態であり、握り返してはない。
ここで握り返してしまえば、確実に俺はこいつを意識してしまう気がした。風呂に入っている時も、ベッドに居る時も。
俺は寝てもないし、ましてやロボットでもない。
自分の意思で動き、考えて手を動かす。
さすれば俺の気持ちの何処かにはこいつのことが気になっていて、もしかしたら好きなのかもしれないという気持ちが心を蝕む気がした。
「んぅ……」
そんな唸りが耳元から聞こえ、帽子の間から見える藍沢の顔を覗くと、緩ませる頬が目に入る。
どんな夢を見ているのかは知らないが、悪夢ではないことはわかる。どうせこいつのことだしあの男の夢でも見ているのだろう。
『お出口は右側です。足元に気おつけてお降りください』
視線を暗くなった対面のソファーに向けると、アナウンスが電車内に響く。
外の景色は見覚えがある建物ばかり。少し遠くには俺達が通っている高校すら見える。
手の繋いでいない逆の手で藍沢の袖を摘み、クイックイッと引っ張る。
「起きろー」
次の駅で降りるので、そろそろ起こさなくてはと思ってかけた言葉なのだが、声量がなかったのかびくともしない。
「藍沢さんー?起きてくださいよー」
先ほどよりも声量を強め、袖を引っ張るだけではなく、手首を掴んで横にふる。
すると、再度唸りをあげる藍沢の手には力が宿り、まだ寝ると言いたげに頭を肩に擦り付けてくる。
……こいつ、家でも絶対こんな感じだろ。
「親にあんまり迷惑かけるなよ……?」
なんてことを独りごつ俺は、手首を持っていた手を離し、帽子を取って藍沢の肩に添える。
そして手首のときよりも強く左右に振った。
「おーきーろー」
座っていない頭が左右に揺られるに連れて明らかに藍沢の表情は険しくなる。
なんでこの状況でまだ寝れているのかは分からないが、そろそろ起きるだろうしもうちょっと続けてみるか。
「んん……」なんていう唸りを何度もあげる藍沢は更に手に込める力を強くする。
というか、無意識だからこの手が許されているだけであって、意識的に手を繋いできているのなら今すぐにでも頭を叩いてるからな?
そんなことを考えていると、やっと藍沢の目がうっすらと開かれて辺りを見渡し始める。
自分が電車内で寝ていることを忘れているのだろうか?それとも状況がつかめていないだけなのだろうか。
「おはよ」
肩から手を離した俺は藍沢を見ながら言い、離せと言わんばかりに繋がれた手を持ち上げた。
寝起きだからか、ボーっとする藍沢はこちらを見上げ、手に力を込めたままコテンと小首をかしげる。
「なんで善田がここにいるの……?」
ふにゃふにゃになっている言葉は細く、発車した電車の音にかき消されてしまうほど。
けれどしっかりと俺の耳には届いているので、逆に首を傾げながら答える。
「一緒に電車乗ったからだろ?」
「そうだっけ……」
「なぜ忘れてるんだ……」
寝起きは嘸かし弱いのだろう。
藍沢のあやふやな記憶は脳内をぐるぐると回っているのか、瞳を天井に向けて記憶を整理し始める。
俺は俺で、早く離してくれねーか?という意味を込めて手を振るのだが、やっぱり離してくれない。
持ち上げているから藍沢が力を抜いたら落ちるはずなんだけどな。
「善田と私が遊園地を出て……バスに乗って……電車に乗った……」
「そだ」
「喧嘩してた……?」
「うんしてた」
「どっちが悪かった……?」
「藍ざ――……俺だね」
「そうなんだぁ……」
ここで藍沢と言ったらどうせまた小競り合いが始まる。
だから思ってもいないことを口にしたのだが、藍沢はなぞに笑みを浮かべた。
その笑みが出てきたのは俺が悪いって認めたからなのか、それとも他に理由があるのかは全く持ってわからんが、前者ならデコピンでもお見舞いしてやろう。
「なんで笑っ――」
ジトッと問い詰めるような視線を向けた俺は口を切ろうとした。
だが、言葉を言い切る前に藍沢が割り込んできたのだ。
「――もう1回寝るね……」
「おいバカ。寝んな」
こちらにもたれかかって来ようとする藍沢の肩を慌てて支える俺は、当然のように揺する。
藍沢の顔は笑みとはかけ離れた真顔が広がり、目を閉じている。
「寝させてよ……」
「もう駅着くんだぞ?てかもう1時間ぐらい寝てるぞ?十分だろ」
「私、10時間は寝ないとダメ……」
「めっちゃ寝るじゃん……」
そんな会話を藍沢は目を閉じたまま、俺は肩を揺すりながら続ける。
すると、アナウンスが流れ、駅に到着することを知らせてくるのだ。
「ほら、駅着くぞ?起きろって」
「まだ寝たい……」
「んなこと言ってられるか」
藍沢の肩から手を離した俺は立ち上がり、繋いでいる手を利用するように力を込め返して立ち上がらせる。
『利用する』だから大丈夫なはずだ。
こんなに喋れるならもう起きているだろうと思って立ち上がらせたのだが、藍沢の口は起きてても体は起きていなかったらしい。
崩れそうになる藍沢の腰に腕を回し、ゆっくりとソファーに座らせる。
こいつ本当に寝起き悪いな。ちゃんと親の気持ちにもなってやれよ?どれだけ迷惑しているか知ってやれよ。
「まじで着くって。はよ起きろ」
「うーん……」
力を強めて言ってもなお、返ってくるのは嫌だと言わんばかりの薄っぺらい言葉。
そんな藍沢はまた寝ようとしているのかぐで〜っと頭の体重を窓に預ける。
「はぁ……。まじでどうするんだよこれ」
完全に打つ手がなくなってしまった俺は頭を掻き、うんざりとしたため息をもう一度吐く。
「あの男だったらどうするんかね。何だっけ?三鶴って言ってた――」
瞬間だった。
ホームが見えてくる窓に顔を向けていると、藍沢の手に力が宿ったのだ。
突然のことに肩を跳ねさせる俺は藍沢を見下ろす。
すると、しっかりと目を開いている藍沢は周りを見渡していた。
明らかにその見渡し方は情報を整えているものではなく、誰かを探しているもの。
というか「どこ?どこ?」って口にしてるし。
『お出口は左側です。足元に気おつけてお降りください』
そんなアナウンスが車内に流れるのと同時に俺は藍沢のことを引っ張り上げ、藍沢の荷物を手に持って電車を後にする。
藍沢のことだ。今起きているうちに出とかないとまた寝始めるかもしれない。
「ねぇどこ?」
相変わらず辺りを見渡す藍沢は、先ほどの支えなしでは立てない姿を彷彿とさせないほどに綺麗な二足歩行をしている。
何が理由で藍沢を起こしたのか。何を求めて辺りを見渡しているのか。そんなの、すぐに分かった。
「ねぇ三鶴はどこ?」
再度、電車にも負けず劣らない声をこちらにかけてくる藍沢に、俺はこめかみを抑えるしかできなかった。
なんでかって?それは――
「俺の苦労は何だったんだよ!」
藍沢を起こすためにしてきたことが、あの男によってすべて台無しになったのだ。
別に近くに居やしない男の名前で!こいつがいとも簡単に目を覚ましたんだぞ!?何も思わないわけなくないか!?
「ねぇどこ?三鶴どこ?」
「んなやつここにいねーよ!」
そんな悲痛な叫びとともに、藍沢の手を振りほどいた俺は改札口へと向かった。
俺に対して文句を言いたげに目を見開く藍沢なんて無視して、切符を通して駅を後にした。
「ねぇごめんって……。私が悪かったからさ……」
先ほど電車であった出来事を藍沢に話すと、目を伏せながら謝ってくる。けれど藍沢が謝っているのは、手を繋いで肩にもたれかかってしまったことだけ。
手を繋ぐのも肩にもたれかかるのも別に怒るってほどではない。というか何に対しても怒ってないし。
「別に怒ってない」
もちろんこのように俺は怒っていないよという意思表示をしている。でも藍沢は毎回のように、
「その言い方絶対怒ってるじゃん……!」
「だから怒ってないって」
ただ半歩前に出て歩き、ただいつもより数段トーンが下がっているだけで、別に何も怒っていない。
「じゃあ隣歩いてよ!」
「えぇ……」
「そんなわかりやすく嫌な顔する!?」
「別にしてないが?」
「してるよ!」
なんて言い合いをする俺達は学校の前を通る。
もうすっかり暗くなった学校を照らすのは街頭のみで、真っ暗な靴箱は怖気すら感じる。
チラッと後ろを見れば、眠気なんてすっかり無くなったのか、上目遣いにこちらを見上げてくる藍沢の姿。
「信じてないようだから言うけど、本当に怒ってないぞ?そこまで短気じゃない」
「……ならなんで隣歩いてくれないの?」
「また手を繋がれそうだから」
「繋がないよ!もう目は覚めてるから!」
「ほんとか……?」
「ほんと!」
訝しく睨みを向ける俺に、藍沢は身振り手振りで本当だということを示してくる。
そんな藍沢に、小さくため息を吐いた俺はスピードを緩めて隣に着く。
「家でもあんな感じなのか?」
「あんな感じです……」
「なんでお前が悲しそうにするんだよ。迷惑かけられたの俺だぞ?」
「この節は本当に申し訳ございません……」
街灯の下で立ち止まった藍沢は深々と頭を下げてくる。
もちろん前述した通り俺は怒ってなんぞいないので、一瞬藍沢のことを見下ろした後、すぐに目線を戻す。
「別にいいけど。減るもんじゃないし」
「でも、私の一面を見れて嬉しいでしょ?」
下げていた眉根はニヨニヨとした笑みへと変貌をとげ、いつもの藍沢を取り戻す。
俺としてはこのしょんぼりとしていた藍沢は大人しくて良いと思うが、とにかく調子が狂う。
明日もテストがあるし、しょんぼりとした藍沢を治すための策を考えるために脳を使いたくない。
テストが終われば数日後には体育祭もある――
「――ってそうだ!もうちょっとで体育祭じゃねーか!」
「……あっ、ほんとじゃん」
俺の言葉に一瞬だけ思考を停止させた藍沢は、記憶から体育祭の日程を引っ張り出してきたのか遅れて反応する。
ここ最近は濃い毎日を過ごしていたからか、完全に頭から抜けていた。
別に体育祭に力を入れていない我が学校では特に目立った種目があるわけでもなく、どの競技に出るかも夏休み明けテストが終わってパパっと決める程度。
高校最大の青春イベントではあるが、青春を失いかけている俺達には苦痛ったらありゃしないイベント。
そんなイベントがあるのだ。1週間後に!
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