第33話 応援されているのは俺じゃない
そうしてやって来たのは、男子全員出場の綱引き。
前髪を前に垂らし、おでこにハチマキを巻く俺は靴を履いてトラックの内側へと向かう。
「千明って筋力に自信あるか?まぁあれだけ足が速かったら想像はつくけど」
頭の後ろで赤色のハチマキを結び終わった俺は、腕を伸ばして背伸びする千明を見下ろす。
すると、長袖なのにもかかわらず、汗一つ流さない千明はこちらを見上げ、二頭筋に力こぶを浮かべ――いや、出てないな……。
長袖で隠れているだけかもしれない、という思いで恐る恐る千明の腕を触ってみるが、少し膨らんでいるだけで、細い腕が服越しにわかる。
「割とある方でしょ?」
「ねーよ……」
どこからそんな自信が湧いてくるのか、千明はふふーんと鼻を鳴らして胸を張る。
徒競走で1位を取って調子付いているのだろうか。
まぁでも実際すごかったし、今だけは良いか。
なんてことを考えながら視線をそらし、配置されている綱を見下ろす。
そしてクラスメイトが集まる場所へと向かい、腰を下ろした。
俺等の対戦相手になるのは2年の他2クラス。即ち、あの男と擬似的にだが、戦うことになる。
どうせあの男のことだ。ここに来る前に美緒におだてられていい気になっているに違いない。
その伸びきった鼻をへし折ってやるからな!ちょっとおだてられて鼻の下伸ばしてんじゃねーぞ!!
別に伸びていない鼻の下に睨みを向ける俺は、勝手に闘志を燃やす。
「崇くんの隣、あっついね」
「あいつが火に油を注いできたからな」
「自分が注いだだけじゃなくて?」
「いーや!あいつが注いだね!」
「そうなんだ……」
初めて暑そうにハタハタと袖を仰ぐ千明は、困り果てた顔をこちらに向けてくる。
もちろんそんな千明に気がつくわけもない俺はあの男に睨みを送り続けた。
すると、放送部部長の声がトラック内を包み込んだ。
『青組と緑組。位置に着いてください』
和気藹藹と綱の下へと歩いていく男子たち。
所々に「本当に男子高校生か?」と思いたくなるような腕の持ち主もいれば、千明のように細い腕の持ち主もいる。
「まずは様子見ってところかな」
手を組み、あぐらをかく俺は縄を持ち上げるあの男を見やった。
あの男は千明と同じように長袖を着ていて腕の太さまでは見えない。
おまけに長ズボンという、一人だけ冬の中にいるのかと思いたくなる服を装着するあの男は、後ろの男子と楽しそうに話す。
「余裕ぶっこいてんな?今に見てろ。その余裕、俺がへし折ってやるからな!」
「僻み拗らせ過ぎじゃない〜?」
「いーや、これは男と男の戦いだ」
「他の人もいるけど?」
「俺以外のやつが頑張ったら勝ってくれるからな。非常にありがたい」
「無手勝流……?」
意味のわからない四字熟語を並べる千明なんてよそに、スターターピストルが鳴ると同時に引っ張られる綱を見た。
スタートはどちらも同等で、真ん中を記す赤い布がどちらにも引っ張られていない。
どちらにも筋肉モリモリのやつもいるし、ほっそい腕の人もいるからこその負けず劣らずなのだろう。
布から視線を左にずらした俺は憎たらしいほどに踏ん張っているあの男を見る。
身体を後ろにそらし、力を入れているのか入れていないのかわからない手が綱を引っ張る。
「そうだそうだ。もっと力を使え。そして俺に有利な状況にしろ!」
「言ってることが悪だねぇ」
手をすり合わせながらもっと力を込めろと念じる俺に、千明は一周回って面白いと言いたげな笑顔を向けてきた。
もちろんそんな顔に反応することもなく、赤い布に視線を戻した。
「――頑張れ〜!三鶴〜!」
微かだが、だけどはっきりと俺の耳には届いた。
その言葉が、鮮明に、俺の耳に伝わって頭に響いた。
慌てて振り返り、その声の主を探す。
左から1年、真ん中には2年、右には3年と見えるその中から、2年だけに絞り込んで探す。
「ふれ〜!ふれ〜!」
またあの声が聞こえてきた。
でも次は見逃すことはなく、テントの下で、青色のぽんぽんを振る女子生徒――美緒の姿が視界に入った。
俺が振り返った理由に、千明は気づいていない。
多分、あの美緒に気がついているのは青組の女子と俺――そしてあの男だけだ!
瞬間、スターターピストルが運動場に鳴り響いた。
スピーカーからは青チームが勝ったことが知らされ、スタート時は一切動かなかった赤い布を見てみると、いつの間にかあの男側へとよっていた。
チラッとあの男のことを見てみると、袖で汗を拭いながら、はにかんで親指を立てる姿が見える。
もちろんその親指を立てている先にいるのは、頬を赤く染めた美緒の姿。
恥ずかしそうにぽんぽんで顔を隠し、けれど彼氏の勇姿が見たいという気持ちが相まってか、目元だけはチラチラと彼氏を見る。
「……美緒は可愛いな」
「どうしたの?まるでハンカチでも噛みしめるような顔して」
「だって美緒が応援してるんだぞ?あの男にぽんぽんを振ってるんだぞ?恥じらいながらも出した声はあの男に向けられたものだったんだぞ?今もなお恥ずかしそうに顔を赤らめているのはあの男のせいなんだぞ!悔しくないわけがないだろ!嫉妬しないわけがないだろ!!」
「すっごい熱量だね……」
一周回って面白いという笑みなんてどこへ行ったのやら。また困り果てた表情が千明の顔に宿り、俺が見る視線の先に顔を向けた。
「僕には何も聞こえなかったんだけどなぁ」
「俺には鮮明に聞こえたね。頑張れって言葉が。そしてあの男の名前がな!」
「そっか〜」
キリッとあの男に睨みを飛ばす俺を宥めるように、立ち上がった千明は背中を撫でてくる。
それと同時に放送で、赤チームと青チームが入れ替わることを命令される。
「崇くんには僕がいるよ?」
「……なんだよいきなり」
「ん〜?こう言ったら機嫌直してくれるかなぁ〜って」
「残念ながら治らない。俺はこの妬みを糧にしてあいつに勝つ」
「かっこいい風に聞こえるけど、ただの憎悪なんだよなぁ……」
そう言葉を残した千明はハチマキを靡かせながら綱の下へと歩いていく。
それに続くように俺も立ち上がり、千明の後ろに立って移動する。
全員が移動し終わることを確認したスターターピストルを持つ教師は、どこまで引っ張れば勝ちだということを説明してくる。
そして綱を握るように指示を出し、ピストルを上に掲げる。
手から力を抜き、足も少し踏ん張る程度。
帰宅部である以上、クラスのみんなの力を借りようとも持久戦になれば崩れてしまう。
だから、瞬発的に力が入れやすいよう体の力を全て抜き――
――パンッ!
現代社会には馴染みのない銃声が耳に響く。
瞬間、全身のすべての筋肉に力を込めて勢いよく引く。
相手が連続で力を使っていたからなのか、はたまたこちらが強すぎただけか、中央にあったはずの布はあっという間にこちらに引っ張られた。
そして、ものの数秒もしない間にまたピストルの音が鳴り響いた。
こちら側にいる教師が赤い旗をあげ、それを見た放送部部長は赤チームが勝ったことをスピーカーで伝える。
後ろにいるサッカー部副キャプテンと野球部の男子は喜び、対面には膝に手をついて悔しがる男たちが目に入る。
「連続でやらされるのって酷だよね〜」
「んな。でもそのお陰で妬みがまだ消えてないよ」
「まだ言ってるよぉ……」
緑チームと青チームが入れ替わるのを見ながら、俺達はできるだけ身体を休める。
青チームも先ほど筋力を使ったとは言え、一試合分の休憩をしているのだ。
先ほどの緑チームの二の舞いにはならない。そういう気持ちをクラス中から感じる。
「はいはい立ち上がってー」という赤い旗を持った教師に指示されるが、極力休みたい運動部の人たちは適当な言い訳を並べて休憩を長引かせる。
俺は別にあの男を今すぐにでもボコボコにして泣けっ面を曝け出させてやりたいのだが、人には休憩というものが大切だ。
あちらとしても万全な状態で戦ってほしいだろ?な?だよな?彼女に良いところ見せてやりたいもんな!
「崇くん……。感情が顔に出てる……」
「出してんの」
「尚更質悪いよ〜……?」
俺の睨みに対して心配そうな顔をする千明は、後ろが立ち上がっていることに気がついて立ち上がる。
そして促すように俺の脇に腕を入れて立ち上がらせる。
「もう説明はしませんよ?」
なんてことを言うピストルを片手に持つ教師は、綱を握る両チームに視線を向け、反応がないことを確認してからピストルを掲げる。
「よーい――パンッ」
瞬間、力を込めて綱を引っ張ろうとする――
「三鶴〜!がんばれー!」
自分でもわかる。俺の力が明らかに強くなっていることが。
美緒が声を上げてくれたおかげだ。憎くも相手は俺じゃなくてあの男だが!
多分りんごを潰せるぐらいの握力で綱を握る俺は、地面が凹んでしまうのではないかと思うほどに足に力を入れる。
両者ともに一歩も譲らない攻防戦は、赤い布が行ったり来たりするだけで、あっという間に10秒が過ぎ去った。
遠くからは幾度となく美緒の応援の声が聞こえる。
その度に俺の力は強くなる――はずだった。
力を込めすぎたのか、妬みがスーッと身体から消え落ちたのだ。
即ち、怒りに任せていた脳は冷静になったのだ。
身体からスルスルと力が抜けていくのがわかる。
理由は、一生懸命に応援している美緒の声が耳に残るから。
あの声は俺に向けているものではないことは重々承知していた。
だからそれを妬みに変えていた……のだが、改めてその事実を受け止めるとひどく心が抉られる。
俺の力が抜けるに連れ、中央にあった赤色の布は相手側へと引っ張られ、数秒もしない間にピストルの音が鳴る。
「あぁ……!負けたー!」
「惜しかったなー!!」
なんて声が背後から聞こえるが、そんなのに耳を傾けることもなく、俺はあの男のことを見た。
相変わらず応援をされて嬉しそうにはにかみ、小さく手を振る。
そしてその手を振る先に目を向けると、慣れてきたのか、ぽんぽんで顔を隠さなくなった美緒の姿がある。
わざわざぽんぽんから手を抜いた美緒は、かっこいい姿を見れたことが嬉しかったのか、はにかみを返して手を振る。
「崇くんー?移動だよー?」
綱を置き、隣に立って言う千明は小首をかしげながら視界に入ってくる。
「――ちょっ!崇くん!?」
そんな千明に、身体の力を抜いた俺は全体重を預けた。
力を使いすぎたのもあるが、なによりもメンタルがズタボロにされたことが効いてしまった。
「テントまで連れて行ってくれぇ……」
「今回だけだよー?」
「頼むー……」
色々と気力を失った俺に、先ほどの慌てっぷりはどこへ捨てたのか、いつもの表情に戻った千明は俺を連れてテントへと連れて行ってくれる。
チラッと美緒の方を見れば、そそくさとテントへと戻ったあの男とグータッチしているのが見える。
そんな姿に、更に力を抜かせた俺はデカデカとため息をついた。
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