第9話 なにゆえ剣の修羅は物の怪と死闘を演じるに至ったか

「あなた、いったいなんのつもり?」


 そのあくる晩のこと。わたしは妖と戦える喜びに顔をほころばせながら、屋敷の離れで狛のことを待っていた。


 狛が不機嫌そうにわたしを睨む。だが、そんなことなど今のわたしにはどうでもよかった。


「殺してしまったあの陰陽師にかわって今晩よりわたしが姫の身を守ります。狛さまにおかれましては、心安らかにお休みいただくがよろしいかと。」


「……なに? わたしが摂政の娘って知ったから媚びでも売りにきたの?」


「いえいえ、滅相もございません。わたしはただ高貴な姫が妖に苦しめられるのに目を閉ざすことができぬだけでございます。」


 もちろん、嘘である。わたしが気にしているのは狛の身などではなく、それを狙う妖たちであった。


 にこにこと笑みを深めるわたしに狛が怪訝そうに眉をひそめる。だが、すぐに興味をなくして離れへとあがっていく。


「なんでもいいけれど、今のうちに逃げたほうが身のためよ。わたしを襲う妖の恐ろしさを知らないから強がれるだけ。すぐに怯えて口もきけなくなるわ。」


 そう言い残して狛は格子をばたんと閉じてしまう。こうして辺りは暗闇と静寂が支配するようになった。


 さて、どのような妖が姿を現すというのか。夜だというのに興奮で目が冴えてすこしも眠くない。


 しばらく太刀を抱えて妖を待っていると、どんよりと濁った風が頬を撫でた。


 わたしは静かに剣を抜く。庭の暗がり、草木の影からガサゴソとこの世ならざる妖が迫ってくる気配がした。


 やがて、無数のムカデがその足を蠢かせながら飛び出してくる。


 わたしはその数に目を丸くした。ぱっと目に入るだけでも千はくだらない、いや万を超えるか。


 なるほど、これでは陰陽師たちが匙を投げたのも頷けるというものだ。


 すぐに飛びかかってきた気の早いムカデどもをすべて両断する。気味の悪い毒の液を飛び散らしながらムカデの死骸が転がっていった。


 だが、そんな数匹殺したところで妖どもはちっとも減っているようにみえない。


「あ、あああ……。」


 その無限ともおもえる妖たちに、わたしは絶望するでもなくただひたすらに歓喜した。


 思えば老人のもとで剣技を学んでから、斬っていない。


 そんなもので満足がいくわけがなかろう。わたしは己が思っていたよりも血に飢えていたことに気がついた。


「試し斬りにはちょうどよいでしょう。あっさり死んでもらっては困りますよ、いざ尋常に真剣勝負としゃれこもうではないですか。」


 怒涛のようにおしよせてくるムカデの波に、わたしは恍惚として頬を染める。





「おかしいわ、どうして昨晩は妖にいたぶられなかったのかしら。いつもならこんなにぐっすりと眠ることなんてできなかったのに。」


 気を失っていたらしいわたしは不思議そうにしている狛の声に目を覚ました。


「そういえば、あの客人はいったいどこに……。なっ!」


 狛が唇を震わせながらわたしをみつめている。ゆっくりと体を起こしたわたしはいつのまにか清々しい朝日が顔を覗かせていることに気がついた。


 もう朝なのか。


 わたしは体のうえにのしかかったまま絶命しているムカデの死骸を退けた。散らばったままの妖の死骸の山を眺めて、胸が満たされていくのを味わう。


 昨晩は、実に心ゆくまで剣を振るうことができた。


 なにしろムカデたちは斬っても斬ってもどんどん姿を現すのである。わたしはまさに永遠と技の試し斬りを続けられた。


 蔵で読んだだけではやはり技というのは身につかない。真剣勝負に身をおいて技を放たなければ技の理というものはどうしても掴めないのだ。


 だから、わたしはムカデとの戦いが楽しくて楽しくてしかたがなかった。


 剣を振るうたびに、わたしはわたしが剣の道を駆けていくのを感じる。身に先人たちの剣が染みついていくのを感じる。


 それはわたしにとって代えがたい幸福であった。


 その余韻に浸りながら、わたしは狛に頭をさげる。狛は慌ててわたしのもとに駆け寄ってきた。


「狛さま、言葉を守って妖どもからひと晩は姫を守ってみせましたよ。これからもよろしくお願いいたします。」


「そ、その傷……。」


 顔を青ざめさせた狛が震える指でわたしをさす。なにを狛がそんなにうろたえているのか理解できなかったわたしは、ようやく察した。


「ああ、この血ですか。なに、ただのかすり傷です。」


 ダラダラと血を流す裂傷のことを狛は気にしているのだ。だが、そんな傷などムカデとの戦いでの喜びと比べれば塵あくたのようなものである。


「では、また晩にお会いしましょう。」


 わたしは離れたところに転がる太刀を拾い、狛から離れようとした。


 この妖との勝負でいくつか己の未熟を悟ったことがある。すぐに修練を積んでその甘えを潰さなくては。


 だが、歩こうと踏み出したわたしの足はもつれていうことを聞かなかった。


「客人!」


 狛の悲痛な叫びを耳にしながら、わたしは地べたに倒れていくのを感じる。どうやらわたしは思っていたより無理を重ねていたようだ。


 蒼白な顔色の狛に抱えられながら、わたしは目を閉じた。





「なっ、なぜいるの! あなたはわたしを守ろうとして散々な目にあったばかりでしょう!?」


「また晩に会いましょうとお伝えしたはずですが。」


 その日の黄昏、いつものように離れにやってきた狛がわたしの姿を目にして叫んだ。なにを驚いているのだろうとわたしは首を傾げる。


「まだ傷が治りきっていないから安静にしているよう薬師にもいわれたでしょう、そんな布をあちこちに巻いた体で妖と戦うことなんて無茶よ!」


 狛の言葉にわたしはようやく納得がいった。わたしが満身創痍であるから、きちんと剣が振れるか不安なのだろう。


 だが、そんなものはわたしからしてみれば単なる侮辱でしかなかった。


「なるほど、ですがお断りいたします。狛さまをお守りする役は死んでも手放すつもりはございません。」


 確かに、今のわたしは体のあちこちに傷ができているし、折れた骨もある。だが、そんなことなどどうでもよい。


 わたしは待ち望んでいた真剣勝負を目にして剣を振るわぬわけにはいかないのだ。


 妖が晩の間ずっとひっきりなしに襲いかかってくるなどという幸運を逃すわけがない。わたしは狛のそばから意地でも離れるつもりはなかった。


「狛さまがなんといおうともわたしはここで剣を振ります。それがわたしの心からの願いなのですから。」


「な、なにを……。」


 狛が口をぽかんと開けてわたしをみつめている。その瞳は心から漏れだす感情の嵐に揺れていた。


 だが、しばらくして我に返ったように息をのんだ狛がわたしを睨む。


「ひと晩は生きのびた陰陽師など両手では足らぬほどいたわ。勝手にすればいいけれど、どうせあなたもわたしを厭う時がやってくる!」


 わたしのことが癪に障ったらしい狛が勢いよく格子を閉じる。


 なぜあんなに腹をたてているのかわたしにはわからぬが、ともかく妖を斬ることはできそうだ。わたしは安堵して胸をなでおろした。


 雲が月明りを遮り、今宵も妖が這い出てくる。


 昨晩はムカデであったが、今晩は蜘蛛である。なんとまあ、魔京では物の怪の類の数には困らないようだ。


 まったくありがたい話である。わたしは笑みを深めた。


「これはこれはわざわざご足労願い誠にありがとうございます。その労に報いていざ尋常に真剣勝負をいたしましょう。」





 その晩、わたしは腹に蜘蛛の卵を植えつけられかけることになる。蜘蛛の妖たちは器用で、糸を伝ってのあちらこちらからの攻撃でわたしを惑わした。


 だが、朝に生きていたのはわたしひとりである。あばら骨をいくつか折られて内臓に傷をつけられたとしても、勝ったのはわたしだった。


 朝、倒れるように目を閉じるとすぐに夜が訪れ、そして夜がくれば妖と戦う。そんな満ち足りた日々はまるで風のように過ぎ去っていった。


 その晩に襲ってきたのは蚊の嵐である。満月の光をも閉ざすその数の暴虐をわたしはすべて斬りつけた。


 だが、肌が毒で侵されようとも勝ったのはわたしだ。


 その晩に襲ってきたのはひときわ大きなカマキリである。その岩すらも切り裂く鎌を鞭のようにしならせてくるその技は練達の剣術家に勝るとも劣らなかった。


 だが、胸に袈裟懸けに斬りつけられようとも勝ったのはわたしだ。


 毎晩のように襲いくる妖に剣を振るう。蔵で知った技は戦いのさなかに磨かれ、わたしの血肉となった。


 妖との真剣勝負を経るごとにわたしはより深く剣の道に足を踏み入れていく。一日のすべての時間をかけて剣技に没頭した。


 妖との戦いが百を数えるころには、もう妖に傷をつけられることはなくなる。やがて朝がくるよりも先に物の怪を血祭りにあげるようになった。


 そして、わたしは蔵の剣術をすべて真に会得したのであった。

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