第30話 なにゆえ剣の修羅は陰陽頭に誘われるに至ったか

 どうも、雅命のことがあってから調子が狂いがちだ。


 あれほどこだわっていた勝羅の悲願をあっさりと捨ててしまった雅命に、わたしの心にどこか黒いわだかまりが残る。つまりは、わたしはひとりではないのか。


 むくむくと猜疑心が首をもたげてくる。


 妖とも、陰陽師とも戦ってきた。誰もかれも優れた技をもつ強者ばかりで、わたしは心の奥から喜びが湧きあがってくるような戦いだった。


 だが、その誰もがわたしを恐れた顔をして死んでいった。


 戦いというものを楽しむ、そんな狂人の仲間にわたしはついぞ会えていない。いつでも殺しあう敵はわたしとどこかずれていた。


 もしかすると、わたしは同胞をさがしていたのかもしれない。


 命の奪いあいのなかにしか幸福をみいだせず、人殺しの術を喜んで磨くようなそんな狂人がこの世のどこかにはいるものだと信じてきた。


 だが、戦えども戦えどもそんな人はみつからない。


 ならば、わたしの心がほんとうに満たされる日はやってこないのだろう。はたしてそんな世で人の道を守ることは大切なのだろうか。


 殺しあいたい、そんな欲を満たすもっとも単純な道をわたしは知っていた。ひとつの問答もなしに斬りかかればいいのだ。


 すなわち、こちらが殺そうとすれば敵も殺されまいと抗う。


 そうすれば、わたしは死ぬまで殺しあいを続けることができる。こんなふうに戦いを挑むための大義をさがして足踏みを続けることもない。


 そもそも剣の道と人の道はあいいれるものではなかったのだろう。


 剣に化けた赤権太を握る手にどんどんと力がこめられていく。殺しあいたいのなら、殺しにかかればいいのだ。


 人の道など、剣のさしつかえにすぎない。





「ほうほう、よい目をしておるな。」


 ふわりとした声が聞こえた。ふりかえると、陰陽頭が橋の欄干に腰かけてわたしを笑顔でみつめている。


 その幼い顔からは、深淵にたつ悍ましき陰陽師の気が滲みでていた。


「初めて呪のなかで会った時、わしはついに朋友を手にしたと歓喜したものよ。親しいものを容赦なく斬り捨てる、まさに剣の修羅であると。」


 陰陽頭がわたしに寄ってくる。無垢な童の姿で狂気をみせる陰陽頭は、どこか抗えぬ魅力をわたしにみせた。


「嬉陰陽頭になって千も桜の散るをみたが、誰もがわしを恐れて殺しにこん。来たかと思えば自暴自棄の輩ばかりで話にならなんだ。」


 まあ、みな殺しにしたんじゃが、そう陰陽頭は呟く。そして、わたしに恍惚とした顔をむけた。


 瞳の奥で狂気が踊っている。


 はねるように歩いていく陰陽頭に、わたしはついていった。まるで蝋燭の炎に誘われる蛾のようであった。


「だから、わしはたまらなく嬉しかった。わしを殺す、かような純粋な情をむけられて喜ばぬわけがない。わしは殺しにかかってくるのを待ち望んでおった。」


 深く恥じる。


 陰陽頭を期待させておいて、わたしはそれを待ちぼうけにしていたのだ。これならば、人の道などかなぐり捨てて殺しにゆけばよかった。


 陰陽頭はどんどんと鐘楼を登っていく。


「だが、待ち望んでおったものは人の道などにこだわって、いっこうにわしに手をかけようとはしてこん。それどころか、狛という童にさとされる始末であった。」


 鐘楼のうえは、わたしも初めて訪れた。ほこりの積もった鐘がひとつ、ぽつんとおかれている。


 その奥に、障子があった。


 それは、まったくもって不思議なことだった。障子のむこうにはなにもない、ただはるか下に湖がひろがっているのみである。

 

「あの狛とやらを殺してやろうかとも思ったが、やめておいた。修羅はしょせん修羅、やがては人の世で生きられぬことに気がついてわしのもとにやってくる。」


 陰陽頭が満足げに呟く。そして、障子を開けた。


 障子のむこうにあったのは、星の瞬く夜空であった。さらさらと流れる風が、咲き乱れるクチナシの花をゆらしている。


 昼から夜へ。だが、わたしは驚きはしなかった。


 この陰陽寮の奥にひろがる迷宮、そこには竹林や霧深い渓谷、そればかりか大海原までひろがっている。それらすべてがこの陰陽頭によるものであるのだろう。


「その甲斐はあった。瞳をみればわかる、修羅に堕ちた者というのは不思議なほどに澄んだ色をしておるからな。」


 まるで童が遊びに誘うように、陰陽頭が手をひいてくる。


 わたしはそれに身をゆだね、障子のむこうへと足を踏みいれた。わたしの後ろでぱたりと障子が閉じるのがわかる。


 息をのむほどに美しい星の海を背にして、陰陽頭は笑った。


「どうした、もう我慢せんでええのだぞ。斬りたくてたまらんだろう、わしの首を刎ねたくてたまらんだろう。人の道などかなぐり捨てて、わしを殺しにたもれ。」


 わたしの心は静かなものだった。


 まるでこの世に生をさずかるよりもはるか先に決まっていたかのような気持ちである。わたしの人生の意味とは、すべてここにあったのだと語りたくなるほどだった。


 数えきれぬほどくりかえした動作で、刀を抜く。


 もう、陰陽頭のことのほかはなにも頭になかった。親しい者の名はなにもかも忘れ、ただひたすらにこの世にはふたりしかいなかったかのように笑う。


 そうだ、人の道など剣にくらべればどうでもよい。剣の修羅なのだから、斬って斬ってそのまま斬り続ければよいのだ。


 陰陽頭が、嬉しそうに笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る