第31話 なにゆえ剣の修羅は陰陽頭と戦うに至ったか

 はじめ、勝負は静かにはじまった。


「はて、まずは慣らしからいかねばならんであろう。」


 陰陽頭が手をたたく。にやりと笑う童の後ろ、巨大な山からひとつ目の巨人が顔をだした。


「オオオオオオオオォォォォォ……。」


 顔にぽっかりと大きな空洞があく。それを巨人の口と理解したころには、ありとあらゆるものを吹き飛ばす暴風がわたしをうちつけていた。


 木々をなぎ倒し、山をもうち崩す。


 そんな神の祟りにあってもなお、いかなる術かはわからぬが陰陽頭の黒の狩衣はすこしたりともゆれていない。くすくすと笑っている。


「あれはわしがかつて倒したものよ。山岳の奥で忘れ去られておったまつろわぬ神だ、はたして剣の修羅にあの巨人は斬れるかの。」


 巨人が足を降ろすだけで谷がきざまれ、湖が湧きでる。


 踏み潰された命が奪われるとともに、そのわきで神の威をうけた木々がまるで時を流すかのようにどんどんと生い茂っていく。そんな緑に鳥のさえずりが聞こえた。


「ああ、ああ……。」


 陰陽頭に降されて呪に封じられるほどになってなお、それは神である。夷勢穂の屋敷で戦ったかの神に勝るとも劣らない、かつて人に祀られたこの世ならざるもの。


 ああ、はやく斬りたい。わたしは感激でにじむ瞳をぬぐって、笑った。


 巨人がゆっくりと歩いてくる。大地を砕き、海を割り、死をまき散らし生を産みながら神がわたしにやってくる。


 わたしは瞳を閉じた。


 雲にもとどくこの巨人に目など無駄である。そもかの巨人はわたしの戦ったいかなる妖よりもなお至大である、ならば学んできた技では足りぬ。


 わたしは耳を閉ざした。


 もはや巨人の鳴らす音は嵐となってわたしの脳をゆらしている。木々の裂かれる音、岩の砕かれる音、水の溢れる音の混じったものなどもう意味をなさない。


 ただひたすらに技を極めなければならない。


 蔵にて学んだ技がどんどんと頭をかすめては消えてゆく。未だかつて、こんな巨人を斬った技などない。


「ならば、この一撃にて新たなる境地に至るのみ。」


 そう、技がないのであれば編めばよい。


 先人の後ろをついてまわるだけで、剣の道を踏破できるはずなどもない。やがては誰も足を踏み入れたことなき荒野を歩いていかなければならぬ。


 熊を斬った男。岩を裂いた女。寺を割った妖。


 己の身に刻みこまれた技の数々が、どんどんと溶け揺らいでいく。ただ馬鹿でかいものを斬る、それだけの術理をもった技として混じりあっていく。


 わたしは目を開いた。


 巨人がすぐちかくにいる。頭は天高く雲に隠れ、わたしは拝むことすら叶わなかった。


「かつて人に崇められたりし、まつろわぬ神よ。いざ尋常に真剣勝負を願います。」


 満身の力をもって、わたしは剣を振り抜いた。


 大地に亀裂が走り、風の流れが断ち斬られる。もはや不可思議なほどの剣の技は巨人ごと空をふたつにした。


 股下から頭まで、両断された神が叫び声をあげる。


 ぴかぴかとした光とともにふたたび体をくっつけようとする巨人の試みをわたしは逃すわけにはいかなかった。


 剣がまた走る。


 虚空を斬り裂いたようにみえるその刃はしかし、確かに巨人の首を刎ね飛ばしていた。


 神の血が飛び散り、木々を焼いていく。どんどんと腐り落ちていく巨人の肉は山野を呑みこみ、やがてひとつの大きな湖となった。


「……ああ、神よ。問答無用にて斬り捨てたこのわたしの無礼をお許しください。わたしはただ、剣の道を歩みたかっただけなのです。」


 わたしは残った白い骨にむけて祈りを捧げる。わたしの言葉を聞き遂げるのを待っていたかのように、さらさらと風に流されて骨は消えていった。


「なるほど、なかなかに剣を磨いてきたとみる。」


陰陽頭がくつくつと笑う。その顔に塗りたくられているのはどうしようもないほどの歓喜であった。


 まるで恋人にするかのようにうっとりとした瞳でわたしをみつめる。


「試すようなことをしてすまなんだ。さあ、思うがままに殺しあおうぞ。」


 考えずともわかる。今、わたしはこの世でもっとも幸せな人だ。





「それ、どうする?」


 陰陽頭の軽やかに弾んだ声とともに、呪がいく重にもなって襲ってくる。


黒い絹のような呪に上下左右を塞がれたわたしは、ならばと呪を斬り捨てた。わたしののすぐそこまで迫っていた死が遠ざかる。


「ほう、ではこれはどうであるか。」


 陰陽頭は真言を口にすることもなかった。指を振るのみでわたしの手足を操りだす。


「ほれほれ、モタモタしておると己の首を刎ねてしまうぞ。」


 言われなくとも。


 わたしはかすかに残った腕の感覚をもって己のうちの呪のみを斬った。陰陽頭が感嘆するようにため息をつく。


「なんとまあ、わしとて長く生きておるが呪を斬られたのは初めてじゃ。なるほど、ただの陰陽師では荷が重い。」


「ですが、あなたは違う。そうでしょう?」


「ふむ、若人の期待というものは身にしみるよう。」


 陰陽頭が獰猛に笑って手のひらを握りしめた。途端、呪があたりをつつむのがわかる。


 斬ろうとして半ばまで断ったが、遅かった。


 体じゅうの穴から血が噴きだす。歯を食い縛り己の未熟を恥じるわたしに、陰陽頭は得意気であった。


「しょせんは剣、疾さでは陰陽道に劣るわ。斬られるというのなら、呪を気づかせなければよいというもの。」


「ならばその剣への考え、過ちたることをお教えいたしましょう。」


「おうおう、どんどん殺しあおうではないか。」


 陰陽頭がその童の姿らしい、無邪気で楽しげな笑い声をあげる。わたしもまた、笑顔がこぼれた。





 呪を斬る。斬って斬って斬り裂く。


 わたしはどんどんと呪を学び、陰陽頭もどんどんと剣を学んだ。たがいの研鑽されし技に、胸のうちにて賛辞をしあった。


 ただ楽しかった。


 だが、もう足りない。もっともっと激しく殺しあいたい。生と死の狭間を越えて、もっとむこうまで…!


「よかろう、ならば終幕じゃ! 我が秘技に酔って死に晒せ!」


 わたしも陰陽頭も、それを望んでいた。


 すなわち天文道、陰陽道の秘奥のなかの秘奥。

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