第29話 なにゆえ剣の修羅はするに至ったか

 雅命が怯えたように後ずさる。かと思うと歯を食いしばってうつむいた。


「ああ、そうだよ。僕は博士たちが恐ろしくて仇をとろうともしない臆病者だよ。それがどうしたっていうんだ。」


「いえ、ただ哀れだと思いまして。」


「哀れ?」


 雅命が疑わしげに眉をひそめる。


 嘘ではない、わたしはほんとうに雅命に同情しているつもりだった。わたしも人を斬りたくても斬れない、そんな苦悶を知っているのだから。


 その訳が怖れであれ人の道であれ、苦悩は平等である。


「わたしが思うに、雅命さんは命をなげうつには若すぎます。人生というものは長いのですから、また博士を恐れることなく斬ることができる時もくるでしょう。」


「……だから死ぬなと? だから僕にこの地獄を生きながらに味わって苦しみ続けろというのか?」


「わたしはどうとも言えません。雅命さんが殺されたいというのならそれもかまいませんが、斬るのはわたしではないでしょう。」


 暗く沈んだ顔の雅命は、わたしの言葉にうちひしがれたようだった。


「そうか、友人だと信じていた僕が馬鹿だっただけなんだな。秋継に斬ってもらえないのなら、誰も殺してくれないさ。」


 わたしは雅命を友人だと思っているのだが。


 ともかく、雅命は裏切られたかのような顔つきでそのまま障子のそとへと飛んでいった。わたしは闇夜に消えた雅命のゆくえを知らない。


 雅命が死を望んだのかどうかは神のみぞ知るところであった。





 陰陽頭にかなう剣を身につけるというわたしの研鑽は、絶え間なく続けられている。いつ陰陽頭と殺しあいをできるのかわからないのだから。


 目と鼻を布で巻きつけ、ただ耳のみをすませてわたしは剣を握っていた。


 己が身を捧げているようにもみえる愚かな学生に妖たちが群がりだす。それはどれもかつて陰陽寮にて命を落とした亡者たちであった。


 死んでからずっと懐にしまっていたのか、虫食いとかびだらけの呪符をとりだした亡者が、やがて怪しげな陽炎を飛ばしてくる。


 ぼんやりと青白いその陽炎に蛾がたかったかと思うと、すぐにしおれて床に落ちてしまった。ゆらゆらとゆらめく陽炎が迫ってくる。


 陰陽道の呪というものは姿をもたない。


 姿をもたないからこそ陰陽道のほかでは破れない。ゆえに、わたしは常に避けるなりあえてうけるなりして呪をかわしていた。


 だが、それではたりない。


 飛びぬけて優れた陰陽師と戦うとなって、かけられても死なない呪も避けられる呪もむけられるはずがなかった。


 勝羅の陰陽師と博士たちの戦いをみればわかる。


 この世ならざる業をおこす陰陽師には、こちらもこの世ならざる業にて抗うほかないのだ。それが陰陽道の常である。


 だが、わたしはそれが嫌であった。


 わたしは剣の道を生きている。剣でも陰陽道でも勝った者が強いというのはわかるが、それでもわたしは刀を愛していた。


 そんな甘いわたしにとって、剣で陰陽道を斬れぬというのはあまりにも苦しい。


 わたしは呪を斬ってみたかった。呪を斬れなければわたしの剣の道はいったいどうしようというのか、わからなかった。


 耳をすます。


 呪は不思議な音をしている。ぼわんぼわんと聞いたことのないような音をしている。聞こえるということはつまり、斬れるということだ。


 わたしはそっと剣をかまえた。


 刀は、おなじくこの世ならざるものである妖を斬り血を流させることができる。ならば陰陽の術でもおなじく斬れるはずだ。


 わたしは、迫る陽炎が奏でる調べに耳を傾けた。


 音に導かれて、剣をふるう。ふいに呪の音がしなくなったことに気がついたわたしは、目にかかった布をほどいた。


 もう、あの不気味な陽炎の姿はどこにもない。


 亡者たちが信じられないものでもみたかのようにわたしをみつめている。わたしは、ようやく己が陰陽術を斬ったことを知った。


 つねに目をふさぎ、鼻をおおって暮らしてきた。


 たとえそれが剣で妖と戦う時であっても、入り組んだ陰陽寮のなかを歩いている時でも、わたしはただ聞くだけで生きてきた。


 そのような研鑽の果てが、これであった。


 わたしはまた目を布で巻く、亡者たちがつぎの呪符をかざしていたからだ。もっともっと陰陽術を斬らなければならない。


 神にさずかった耳をもとに、飛びかう呪いを斬っていく。亡者たちの呪がつきるまで、わたしは剣を振るった。





 雅命が闇に消えてから、ずいぶんと月日がたつ。


 わたしは雅命のことが気がかりではあったが、それでも剣への愛に勝るものではない。剣の研鑽に励むなかで、ともすれば雅命のことは忘れがちであった。


 そんなあくる晩のこと、雅命はひょっこりとわたしに顔をだす。しかも、そばには不思議なつれ人があった。


「雅命さん、お久しぶりです。それにしても、いったいどうして旭人といらっしゃるのですか?」


「うん、久しぶり。旭人には僕が無茶しているところを助けてもらったんだ。」


 雅命はつきものがとれたような晴れやかな顔をしている。わたしにはそれはどうも面白くなく思えた。


 もっと剣呑な、殺しあいにもつきあってくれそうなかつての雅命に親しみを感じていたからかもしれない。


 なにはともあれ、わたしは雅命の話に耳をかたむけた。


 どうやら、雅命はわたしと話した後にそれでも死を望んだらしい。ゆえに、陰陽寮の奥にて妖の手にかかって死のうとたくらんでいた。


「でもまあ、そんなところで旭人と会って。死のうとする僕を幾度となく止めてくるし、それにしては陰陽道はてんでなってないしでね。」


 己を死なせまいとしてくる旭人のあまりにもお粗末な術に、思わず雅命は口を挟んでしまう。そうして旭人とすごしているうちに、雅命は考えをかえたのだという。


「いままでずっとこだわっていた陰陽道が急にくだらなく思えてきちゃって、もう勝羅の悲願は忘れることにしたんだ。」


 苦笑しながらそう話す雅命に、わたしの心は冷えていく。


 なんだ、それは。旭人がどんなことを吹きこんだかは知らないが、わたしは雅命への情が薄れていくことに抗えなかった。


 剣の道と陰陽の道。


 それぞれ歩むものは違えども、わたしは雅命を友と思っていたのに。


 にぎやかに語らう雅命と旭人から、わたしはそっとはなれた。わたしはここにはいられない、そんなふうに感じたからだ。


 どうして、旭人も雅命も道を歩むのをやめてしまうのか。わたしは冷たい孤独に襲われて、ひとり身を震わせた。

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