剣の修羅、鐘楼にて
第28話 なにゆえ剣の修羅は学生の心のうちに踏み入るに至ったか
ああ、実に満足のいく戦いであった。
わたしは昨晩の勝羅家の陰陽師と博士たちの戦いを思って、ほうっと幸せなため息をついた。
まさに陰陽道の王道ともいえるだろう術の数々を披露した勝羅の陰陽師もさることながら、博士たちの陰陽道のえたいの知れなさは人智を超えている。
障子を開け戦いのゆく末を耳にしているだけで、わたしの胸は躍った。
陰陽寮の博士たちでさえこれほど化け物染みているのならば、その奥にて君臨する陰陽頭はいったいどれほどの力をもっているというのか。
恋をしたかのように己の頬が赤らんでいくのを感じる。わたしは、はやく陰陽頭と戦いたかった。
「それじゃ、神祇道の授業、はっじめまーす! みんな元気してた? あーしはね、ちょっと寝ぼけて術つかって着物焦がしちゃってマジ鬱なんだよね~。」
まったく落ちこんでいるとは思えない明るさで神祇博士が騒いでいる。陰陽寮は昨晩の勝羅家による襲撃などまるでなかったかのようであった。
戦った博士の誰もあの勝負のことを話さない。
隠しているわけではない。陰陽寮にとって、その座を狙って襲いかかってくる野良の陰陽師を博士が殺すことはとりとめのないことで、口にするまでもないのだ。
亡骸でも食っているのか、やけに忙しげに沢蟹がゆきかう。
そういえば、とわたしは気がついた。雅命をこの昼は目にしていない、いつもならばどこかしらで顔をあわせるものだが。
まあ、肉親を殺された後に、その仇から陰陽道を教わるというのは酷だろう。わたしはすこしばかり雅命を哀れんで、そして剣のことで頭をいっぱいにした。
「あれ、秋継がまじめに授業にでてるなんて珍しいな。いったいどうしたんだ?」
「いえ、たまには赤権太に楽をさせてやろうかと……。」
旭人が不思議そうに聞いてくる。まさか博士の殺しぶりをみて斬りたくなってしまったなどという無作法な考えだったとは答えられないわたしは笑ってごまかした。
夜、狛の言葉をわたしはきちんと守っている。ほぼ眠らずに陰陽寮の奥を歩いていたのは遠い昔、わたしはちゃんと横になって寝るということを学んでいた。
潜りこんできた赤権太に抱きつきながら、わたしは目を閉じる。はやく朝になって、剣の技を磨けますように。
赤権太のなぜか荒い鼻息を子守歌に、わたしは泥のような眠りについた。
なにやら妙な夢をみている。
黒染めに身をつつんだひとつの影がそろりそろりと窓からわたしのそばまで忍びよってくる、そんな夢だ。しとり、しとりと畳を踏む音がやけに生々しい。
いきなり斬りかかるのもどうかと考えて、わたしは思わず吹きだした。
これは夢なのだから、どれだけ好きにしてもいいではないか。わたしは抱いていた赤権太の首にそっと指をそえる。
それだけで頭のよい式神はわたしの心をくみとってくれたようだった。
瞬間、手のひらに冷たい布の感触が伝わる。あっというまに刀へと姿をかえた赤権太を片手に、わたしは飛びおきた。
未だあっけにとられて固まっているその影の足をはらう。
いともたやすく崩れた影を床に叩きつけ、その首もとに刃をつきつけた。わたしはそのままその首をかっさばこうとする。
だが、あまりにもはっきりとした感覚に眉をひそめた。
もしかして、これは夢ではないのではないか。わたしは己の頬をつねると痛いことに気がつき、恐る恐る影の顔をのぞいた。
わたしが倒していたのは雅命である。
まるで虚ろな瞳で、雅命はすこしも暴れることなくじっと天をみつめていた。まるで幽霊にでも魅入られたようである。
「す、すみません。つい癖で殺してしまいそうになりました。」
わたしが慌てて飛びのいて頭をさげても、雅命は無言だった。ゆっくりと起きあがって、手のひらをみつめている。
「あのまま殺してくれたらよかったのに。」
そう、ぼそりと呟いた。
「どうせ秋継はすべて知ってるんだろう。僕が未熟者だと父においていかれ、ひとりむざむざ生き残ってしまったことを。」
「ええ、耳にしました。」
あれだけ陰陽寮の博士への憎しみで瞳を輝かせていた雅命はどこにもいない。わたしと話す雅命は、絶望しきってうちひしがれた廃人だった。
「生き残って恥をさらすぐらいなら、あのまま家人と肩をならべて戦って死にたかった。こんなつらい目にあいたくなんてなかった。」
「はあ、そうですか。」
「なんでもいい、なんでもいいから死にたいんだ。」
いきなり襲いかかってしまった負い目もあって、わたしは雅命に耳を傾ける。どうやら雅命は恥から逃げたくて死を望んでいるようだった。
哀れではあるが、わたしにはどうしようもない。
そんな目でみつめるわたしに、雅命は懇願するようにすがりついてきた。いまだ剣に化けたままの赤権太をちらちらと目にしながら、口を開く。
「なあ、秋継。人殺しがしたいんだろう、だったら僕を斬ってくれないか。もう僕は生きたくない、生きるのにつかれたんだ。」
「お断りします。」
わたしはすぐに雅命の頼みを断った。
断られるとは思わなかったのか、目をまるくして雅命がわたしをみつめてくる。困惑したようにその口は閉じたり開いたりをくりかえしていた。
「ど、どうして。陰陽師も妖も殺してきたんだ、だったら僕ぐらい殺してくれてもいいだろう。」
「わたしは命を奪うのが楽しいのではありません、殺しあいを好むのです。今、わたしと戦おうともしない雅命さんを殺したいなどと思うわけもありません。」
わたしは命を奪おうと技や力を互いにふりしぼって戦うのが好きなのだ。だから、雅命のように死にたがっている人を斬る道理はない。
べつに殺してもいいが、それで厄介な目にあっても困る。
さすがに友人といえどもそんなにちゃらんぽらんにほかの人の命を負えない。それがわたしの本音であった。
「な、なんでだ。友達だろう。」
絶望に染まった顔で雅命がうめく。そんな雅命に、わたしはふと気になることがあった。
「友人といえども限りがあります。死にたければ己で死ねばいい、簡単な話です。ですが、雅命さんにはそうしたくない理由があるのではないですか。」
「や、やめてくれ。」
わたしの言葉に雅命の顔が歪む。
「雅命さんは己の肩にのしかかった勝羅の悲願を捨てることに罪を感じているのではないですか。ですから己では死ねず、殺されたがっている。」
「あ、あ……。」
雅命がずりずりと後ずさっていった。
雅命は、一門が絶え生き残りとなったことに耐えられないが、さりとてこの世でたったひとりなすことができる勝羅の悲願を放っておくこともできないのだ。
そんなわたしの考えはあっていたようで、雅命はみるみるうちに顔を青ざめさせていった。わたしから隠れるように、顔を膝にうずめる。
わたしは言葉を続けるかためらった。
とどのつまり、雅命とわたしとは他人である。ならば死にたがる雅命をあえて斬ってやるのが人の道なのかもしれない。
だが、わたしは雅命がこうまで苦しんでいるかに心あたりがある。ならばそれを口にしないというのもまた情がないのではないか。
「ではなぜ、雅命さんは誰でもいいから博士に襲いかからないのでしょう。悲願に挑み、また死ぬこともできる。聡明な雅命さんなら思いついていたはずです。」
ではなぜ、雅命はそうできないのか。
「やめて、やめて……。」
ちいさな声ですがってくる雅命に、わたしは呟いた。
「博士が恐ろしくて恐ろしくて、挑むこともできないのでしょう?」
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