閑話 なにゆえ陰陽寮の学生は一族の悲願からとり残されるに至ったか

 勝羅家の雪辱、怨恨、悲願が果たされるはずの晩。


 陰陽寮の博士の息の根をとめてやると意気ごむ僕にとって、当主である父が告げた言葉はあまりにも聞き入れがたいものであった。


「どうしてですか、父よ。僕はこの晩のためにこれまで陰陽道の腕を磨いてきたのです。それを今さら襲撃に手をだすことはできないとは理解できません。」


「勝羅の血を絶やすわけにはいかん。そもそも未熟者のお主に期待しておったのは陰陽寮の密偵のみ、殺しあいは大人にまかせて隠れておれ。」


 冷たく語る父に、後ろにひかえる家人たちが頷く。誰もかれも僕が幼いころからずっと親しんできた家族と呼んでもよい者ばかりだった。


「っ、父は僕にここで一族の者が生と死の境に挑むのを指をくわえて待っていろというのですか! 嫌です、僕も戦います!」


「駄目だ、お主のような未熟者がいたところで揺らぐほど陰陽寮の博士たちは柔くはない。それに、わしらが死ねどもお主が生きていればまた勝羅は蘇る。」


 固い声の父に、僕は顔をうつむかせた。


 家族が戦っているのに僕ひとりだけがみているだけなんて、そんなの臆病者じゃないか。僕だって勝羅の端くれ、戦いたい。


 不満を隠しきれない僕の頭のうえにぽんと優しく手がのせられた。


 顔をあげると、父が優しくほほ笑んでいる。そのまま懐かしい手つきで僕の頭をぐしゃぐしゃとなでながら、力強い声で語りかけてきた。


「そうふくれるな、すぐに帰ってくるさ。わしらは強い、勝羅の呪符道の絶技をお主は呪符越しにみておけ。」


「はい……。」


 唇を噛みながらも首を縦にふった僕に、父が苦笑する。そしてそのまま背後の家人たちにむきなおった。


「わしら勝羅の偉大なる先代はあの陰陽寮の悍ましい博士どもの妬みと欲によって貶められ家も落ちぶれた。今、雪辱を晴らし勝羅が陰陽寮を手にするのだ。」


 父の声が陰陽寮のはずれの森に響く。家人たちはらんらんと光る目でそれぞれ博士たちのもとへとむかっていった。


 残されたのは僕だけだ。


 家人たちにかけた呪が僕のそばの水たまりにその姿を映しだす。祈るように手をあわせながら、僕はその水たまりに釘づけになった。





「ふ~ん、ふ~ん、今日はどこで寝よっかなっと。」


 神祇博士が鼻歌を歌いながら、暢気に硫黄の煙がたちこめる谷を歩いていた。その手には陰陽寮からくすねてきたらしい唐菓子がいくつか握られている。


「斎宮さま、間食はおやめになったほうがよろしいかと。また泣きながら医者に叱られることになってしまいますよ。」


「いいじゃんいいじゃん、ちょっぴりぐらいさ。ん、ミヤビな満月をみながら食べる菓子マジサイコー!」


 そばにひかえる女官にたしなめられても、神祇博士の手は止まらない。ぼりぼりと菓子を口にしながら神祇博士はそばの岩を指さした。


「今晩はここがいいかな。月みえるし、風キモチいいし。晴れるらしいから屋根はつけなくてもいいよ~。」


「わかりました、それとこの唐菓子はこちらで頂きます。」


 女官が手を叩くと、わらわらと下人が現れて寝床をととのえてしまう。菓子を奪われた神祇博士は不機嫌そうにそのまま布団へと飛びこんでしまった。


「まったくもう。また朝に迎えにあがりますからね。」


「はいは~い。」


 神祇博士が去っていく女官たちに手をふる。そして大きなあくびをするとそのまますやすやと眠りだしてしまった。


 そろりと、闇のなかを人影が動く。


 呪符を指に挟んだ男が、黒染めの姿で神祇博士の様子をうかがっていた。男は勝羅のなかでも幻の呪に優れ、闇討ちに才がある者である。


 襲撃する博士は寝床が陰陽寮から離れていて助けが来ないだろうという考えで選ばれた。神祇道は威力がけた違いであり、暗殺がもっとも好ましかったのである。


 男が呪符を風にのせて、ふわりと飛ばす。


 親指の爪ほどしかないその呪符には、象を十ほど殺しても殺したりないほどの呪いがこめられていた。そんな迫りくる死をすぐそばにして、神祇博士は眠りこける。


 男は復讐がなったのを確信した。


 いかな陰陽師といえども、寝ていれば呪いを防げるはずもない。博士として陰陽寮で教鞭をとる姿を妄想して男はにやりと笑みをうかべた。


 そして、そのまま蒸発する。


 大地に、太陽があった。まるで昼のように明るく照らされた山々がありあまる熱で溶け蒸発していく。


 手でふさいでも瞳に焼きつく極光のまんなかで、神祇博士はため息をついた。


「あ~あ、せっかくのオキニの着物だったのに。蒸発しちゃったらもう着れないじゃん。女官ちゃんも巻きこんじゃったな、死んだろうな~……。」


 着物が焼ききれ、生まれたままの姿の神祇博士はゆっくりと光をおさめる。残ったのはみるも無残な荒涼たる景色であった。


 地獄の釜かのようにぐつぐつと煮えたぎる大地を、ところどころ溶け残っている岩のうえを飛び乗って歩いていく。


 斎宮とは、神に愛されその恩寵をうけた陰陽道の才ある皇族のことである。神祇博士はそんな斎宮であり、愛されたのは太陽を司る女神であった。


「いくらなんでも山ごと蒸発させるのはやりすぎだって。だからあーし、こんな山奥で寝なきゃいけなくなるじゃん。」


 ぶつくさと神祇博士が文句を口にしている。もちろん、男も呪符もとっくのとうに蒸発して天に昇っていた。





 ぬめぬめとした鍾乳洞の奥で、鬼が式神博士の頭を掴んで岩にたたきつけていた。そばには殻を砕かれた沢蟹が転がっている。


「ずいぶんとあっけなかったな。これで陰陽寮の博士とは笑わせる。」


 女は、己の式神たる鬼にいいようにされる老婆を嘲った。ガシャガシャとうるさいだけの沢蟹が、古の妖たる鬼に敵うわけがなかったのだ。


 むしろ、女にとっては沢蟹などというくだらない妖を従える者がどうして式神博士などと敬われているのかわからなかった。


 もう式神博士の指は動いていない。


 女は鬼にいいつけて、式神博士から手を離させた。カチカチと耳ざわりな音をたてて沢蟹がたちふさがるも、すべて女に踏み砕かれていく。


 そばにきて初めて、女はおかしなことに気がついた。


 式神博士から血が流れてこないのだ。足で転がして式神博士の顔をみた女は悲鳴をあげかけた。


 式神博士の顔にあったのは傷などではない。まるで落としてしまった陶磁器のようにひび割れが無数に走っていて、そしてそのひびの奥からなにかがのぞいていた。


 沢蟹だ。


 やけに人間臭く慌てた沢蟹が、式神博士の顔にあいた穴をまたふさいでいく。しばらくして起きあがった式神博士は、顔が背中をむいていた。


 カチカチという音とともに、首がぐるりとまわってくる。


「まさか、こいつ……、式神に己を喰わせたのか?」


 女の声が震えている。だが、その考えはまったくもって正しく、式神博士はすでに死んでいた。


 今ここにいるのは陰陽師を喰って人のふりをしている沢蟹だけである。


「は、はやく沢蟹を皆殺しにしてしまえ、こいつら狂ってる!」


 怯えたように女が叫ぶ。そんな女の顔をのぞきこんできた鬼の瞳の奥から、沢蟹が顔をだした。


「あ、ああああ!」


 ただただ悲鳴をあげることしかできなくなった女に沢蟹がどんどんとやってくる。逃げだそうとして、女は足が動かないことに気がついた。


 瞳に沢蟹のちいさなはさみがみえる。


 あんなにうるさかった沢蟹の音はすべて己のなかから聞こえていたのか。そう女が気がついた頃にはなにもかも遅い。


 ついには脳を喰われた女はそのまま死んだ。





「憎悪であるか。哀れな煩悩であるな。拙僧が輪廻の苦しみから衆生を救わん、悟りをえるがよい。」


「ふむ、わしとしてはお主が死んでくれれば救われるのだがな。」


 山のお堂にて、勝羅の陰陽師たちと真言博士は顔をあわせていた。


 数珠をじゃりじゃりと鳴らしながら瞑想にひたる真言博士に、勝羅の陰陽師たちは今か今かと襲いかかる時を待っていた。


 そんな陰陽師のひとりに、真言博士が指をさす。


「そこの哀れな衆生よ。幸せとはなんぞや。」


「は? 俺か、俺は飯を食ってる時が一番幸せだよ。」


 いきなり声をかけられて面食らったのか、男は思わず言葉を返してしまう。ほかの陰陽師たちが止める隙もなかった。


「それでなんだってんだよ、坊さんよ。俺たちに説法でも聞かせてくれんのか?」


「貪食であるか、くだらん。」


「は?」


 からかうように真言博士に声をかけた男が眉をひそめる。瞬間、男の腹が膨らんでいった。


「は、ひぃ、なにをしやがった!」


「どうした、馳走だぞ。食わんのか。」


 男の口から山海の珍味が溢れてくる。青い顔をした男が吐きだそうとしても焼き魚や鴨の肉、白米が喉をふさいで息もできなくなる。


「かふっ。」


 ちいさく悲鳴をあげてそれきり、男は黙った。


「この坊主が、ぶっ殺してやろうか!」


 激昂したように老婆が呪符をまき散らす。その老婆の瞳をまるで蟻でもみているかのようにみつめた真言博士がぼそりと呟いた。


「なるほど、金か。ならばくれてやろう。」


 老婆の指が、黄金にかわった。あうあうと声にならない声をもらした老婆が、呪符を張りつけてどんどんと身を蝕んでいく黄金を止めようとする。


 だが、なにもかもが無駄であった。


 腕をちぎっても削っても老婆はただひたすらに黄金となっていく。胸あたりまで黄金になってしまったころには、老婆は息絶えていた。


「それで、そこの衆生よ。悟りに煩悩はいらぬ、捨て去ってくれよう。」


「なにを……!」


 憎悪に燃える瞳で当主は真言博士を睨んでいたが、顎をあんぐりと開ける。そこにいたのは、幼きころに慕った父の姿だった。


「父様ですか……?」


 頭がこれは真言博士の術だと叫んでいる。だが、それでも目が、耳が、心が優しくほほ笑む男を己の父だと告げていた。


 涙があふれて瞳がうるむ。


 父ばかりではない。そこには息子の雅命も、亡き妻も、今ごろほかの博士たちと戦っているはずの家人たちもいた。


 みな、柔らかな笑みで当主に声をかけている。


「この一族の恥さらしが。せっかく慕ってついてきてくれた家人を犬ころのように死なせて勝羅家を没落させて楽しいか。お主のことを息子と考えたことなどないわ。」


「父はもっと強い人だと思ってました。こんな真言博士なんかの術に嵌まって、みっともなく涙を流す父なんて僕はみたくなかった。首をくくって死んだらどうです。」


「どうして、わたしを助けてくれなかったんですか。病に倒れたわたしをおいて、一族の妄執なんかに執着して。おかげでわたしは苦しみながら死にました。」


「当主様、生きながら沢蟹に喰われた恩はどれだけかかってもかえせません。地獄で会うのを楽しみにしています。はやく、来てください。」


 当主の頭が真言博士の手で掴まれる。だが、妄想に囚われた当主は指ひとつ動かさなかった。


「家族の情など、悟りの妨げでしかない。そんな煩悩など捨て、安らかに死ね。」


 真言博士は、救うべき衆生の頭を軽々と砕いた。





 雅命は吐いていた。


 親しかった家人が、父が博士たちにまるで畜生のように殺されていく。それは、雅命にとってあまりにも酷なものだった。


「あ、あああああっ!」


 もう、雅命に家族はいない。この世にひとりぼっちだった。

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