第27話 なにゆえ剣の修羅は血の匂いを嗅ぎつけるに至ったか
狛に窘められてからというもの、わたしは陰陽寮の奥をいく日もかけて旅することはなくなった。
あいかわらず授業にはでていないが、それでも陰陽道については勉強している。また旭人たちとも言葉をかわすようになった。
だが、それでも私の心はいつも剣に縛られている。
夜、わたしは湖のほとりにて剣を握った。ただひたすらに剣をふるい、己の腕を高めていく。
がむしゃらに妖に挑みかかるのではなく、いかにしてあの陰陽頭を倒すのかを考える。狛の言葉はたしかにわたしの心に刻まれていた。
まるで職人が道具にそうするように、わたしはゆっくりと技を研いでいく。
その瞑想とも思えるような時のなかでひたすらに陰陽頭ほどの力を身にするための術を考えた。足もとでは赤権太がまるまって寝ている。
狛の言葉のおかげで、わたしは休息をとるようになった。
陰陽頭は呪符道、神祇道、真言道、式神道、どの陰陽術をとってみても右にでる者はいない。だが、恐れるべきはそんなつまらない有象無象の術ではない。
天文道。天を巡る星を読み、その力を操る陰陽頭の秘儀。
はるか昔のおとぎ話でしか読むことのかなわない古き術である。陰陽頭はその天文道をさらに高め、最強の陰陽師の名を馳せているのだ。
時として海を割り、山すらも砕くとされるその術に、剣ではあまりにも心細い。
わたしはなんとかして天文道と渡りあうための剣を編みださなければならなかった。頭を悩ませるわたしに、無情にも時はすぎていく。
気がつけば、すでに朝日が昇りきっていた。
「秋継、久しぶりだな。まったく姿をみなかったから気にしてたんだ。」
「これはこれは、旭人さん。お元気なようでなによりです。」
ほっとした顔で旭人が駆けよってくる。その後ろをむすっとした顔の葛がついてきていた。
「それで、大丈夫なのか? 俺が悪いんだが、あの骸骨の妖と戦った時から秋継の様子がおかしいような気がして。その、勝負とか俺に言いださなくなったし。」
「ええ、問題ありませんよ。ただ嫌がる旭人に無理強いはよくないかと思いなおしまして。」
まったくの嘘である。どこか嬉しそうな旭人にわたしは心が痛くなった。
武人としてより強き者に己の宿敵が心を奪われてしまうほどの屈辱はない、もしも旭人が真実を知れば悲しんでしまう。わたしは浮気でもしているような気分だった。
「というか、あんたらはまったく気にしてないようだけど。秋継、あんたなんで目を布でぐるぐる巻きにしてるのよ。」
「あ、そういえば。秋継がおかしいのは今に始まったことじゃないって気に留めてなかったや。もしかして怪我でもしたの。」
じとっと睨んでくる葛が、わたしが鼻や目に布を巻きつけていることを聞いてくる。旭人はまた気づかわしげな顔になった。
「いえ、今まで目に頼ってきたのでこれからは耳を鍛えようかと。もし目を抉られたり鼻を削がれても、剣の道を諦めるわけにはいきませんから。」
「あ、ははは……。秋継はいつも努力家だね。」
「どうせ、そんなことだろうと思った。」
旭人に苦笑される。
やはり、こんな浅知恵では陰陽頭には敵わないのであろうか。いや、やってみないことにはわからない。
わたしはまた決心を新たにする。目と鼻を封じたわたしをいい獲物だと思ったのか妖が襲ってきたが、さっさと斬ってしまった。
神から頂いたこの耳を頼るのは己の未熟の証である。だが、今のわたしには手段を選ぶ暇などなかった。
「雅命、どうしたんだ。はやく次の教室にいこうぜ。」
「いや、すこし話をする時間が欲しくてな。また夜に会うことはできるか。」
「夜の陰陽寮って妖がひしめいてんだから、そんなことできるわけないだろ。寝ぼけたこといってないで、とっとと山のお堂にいくぞ。」
わたしたちからすこし離れたところで、雅命とその友人たちが歓談をしていた。すこし妙な言葉を口にする雅命に、友人が呆れている。
だが、わたしはその言葉が己にむけられたものであることを悟った。
誰にも気づかれないよう、かすかに頷く。それを目にして満足したのか、雅命の足音と声は遠ざかっていった。
「それじゃ、秋継も授業にいこう。お堂は遠いからはやくしないと遅れてしまう。」
「いや、わたしは失礼させてもらいます、剣の腕を磨きたいと思いますので。申し訳ございませんが、またどのような授業だったかを教えてください。」
旭人があきれたように声をあげる。
「やっぱり、会った時よりももっと剣に狂ってるじゃないか。」
「それで、話とは。」
夜の陰陽寮。誰もいないようにみえる湖の橋のうえでわたしは口を開いた。
しばらくのうち静寂ばかりが続いていたが、やがて暗闇を裂いていくようにして雅命が暗がりから現れた。
「よく気がついたな。あれからもっと呪符は研究したつもりだったんだが。」
「耳がいいもので。」
目はごまかせても、わたしの耳が雅命の息づかいをはっきりと聞いていた。雅命が悔しげにわたしを睨む。
「音もかき消したはずだったんだが。」
「それは失礼しました。」
気を害してしまったらしい雅命に頭をさげる。ため息をついた雅命は、べつの話をするためか咳ばらいをした。
「ともかく、明晩にあれがある。秋継がいるといろいろと乱れてしまうから、その日の晩は陰陽寮を歩かないでほしい。」
「ええ、いいですよ。」
わたしはなかば知っていた雅命の話に頷く。
簡単な話、湖で剣を振るっている間に陰陽寮のそばに潜むなじみのない気配については気がついていた。恐らくは雅命の一門の者なのだろうとも。
「ありがとう、ほんとうにありがとう。ようやくだ、これでようやく勝羅の悲願が満たされる。」
「まだ成ったわけではないのですから、気を緩めてはいけませんよ。」
「ああ、わかってる。」
どこか感慨深げな雅命に、わたしは友人としてのよしみから諫めた。勝羅の宿願を叶えるためにはむしろこれからこそが山場であろう。
「わたしからしても、陰陽寮の博士を降すというのは無理難題の域にあります。くれぐれも気をつけて、ご武運を祈ります。」
「ありがとう、秋継のおかげで僕も陰陽道の腕に磨きがかかった。この恩は、かならず返すよ。」
きつく唇を結んだ雅命が橋から去っていく。ひとり残されたわたしは思わず天に座する月をあおいだ。
明日、勝羅の術者と陰陽寮の博士がぶつかる。
その場にいられないというのは、実に口惜しいものがある。だが、わたしも陰陽頭のことで頭がいっぱいで、手がまわりそうにない。
まったくもってままならぬものである。
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