第26話 なにゆえ剣の修羅は学生に嫉妬するに至ったか
「僕の祖父はここの呪符博士だった。」
雅命が口を開く。一族の誇りであったその祖父は、雅命の父が幼子の時に殺されたのだという。
「祖父は焦っていたらしい。由緒ある貴族たちに嘲られ疎まれても、陰陽寮にて名を残そうと陰陽道の研鑽に励んだ。だけど、陰陽頭に目をつけたのが最後だった。」
祖父は、陰陽頭だけが究める天文道を学ぼうとして、陰陽頭に迫った。すると、陰陽頭は勝負をもちかけたのだという。
「その術くらべで、祖父は殺された。亡骸は帰ってこずに陰陽寮の奥に封じられ、怨讐に囚われた祖父はそれから妖に身を堕とした。」
呪符博士を失った勝羅家は所領を失い、みるみるうちに没落していった。一門の柱を奪われその弔いもできない、その憎しみは一門を復讐に駆りたてる。
「陰陽寮の博士たちはそのほとんどが有力な家の者ばかりだ。式神博士に真言博士、あるいは神祇博士に至っては皇族。そんなの、間違ってる。」
「はあ。ですが、どうやってそれを正そうというのですか。」
雅命の話を聞きながら、わたしは首を傾げた。身分のひくい一門が陰陽寮のほかの由緒ある家に疎まれて没落し、そのことに恨みをもっているのはわかる。
だが、それを正そうとなるととんでもない権威がなければ無理であろう。
陰陽寮は朝廷の命も意味をなさない、まさに陰陽道の総本山である。しかも創始者たる陰陽頭がいまだ君臨しているとなればなおさらだ。
「陰陽寮には、陰陽道にて倒された博士はその位を襲撃者に譲ったものとみなすという決まりがある。一門の者は、それを狙ってるんだ。」
「そんなことを、わたしに話してよろしいのですか。」
「ほかにも博士の命を奪おうとたくらむ者は山ほどいるからね、問題はないさ。それに、秋継にとっていい話があるからこそこんな風にうちあけているんだ。」
雅命がわたしにむきなおる。その瞳には真剣な色があった。
「恥を忍んでお願いしたい。我が一門に力を貸し、雪辱を晴らすのを手伝ってはくれないか。その暁には博士の座をお贈りしたい。」
「いいですよ、ただし誰を殺すかは希望があります。」
わたしはすぐに頷く。あっけにとられたように雅命がわたしをみつめた。
「ほ、ほんとにいいのか。陰陽寮の博士だぞ、それこそ陰陽道の達人たちばかりだ。生きるよりも死ぬほうがありえる。」
「わたしに声をかけたということは、門人だけでは手が足りないのでしょう。でしたら友人のよしみです、いくらでも手を貸しましょう。」
それに、大義名分を得て斬りかかることができるというのなら願うところである。わたしもちょうど博士を斬ってみたいと考えていたところだった。
「あ、ありがたい。それでは、どの博士を殺したいのか希望を聞いてもいいか。」
「天文博士で、お願いします。」
ぱあっと晴れていった雅命の顔が曇るのは、あっという間だった。からかわれているとでも思ったのか、雅命がわたしを睨んでくる。
「冗談はよしてもらいたい。あの陰陽頭に喧嘩を売るほど、勝羅一門が愚かにみえるのか。」
「ですが、祖父を殺したのはほかの誰でもない陰陽頭です。ほかの博士が祖父を強いたとしても、真に復讐すべきは陰陽頭ではないのですか。」
わたしは雅命の考えこそわからなかった。
雅命たちが復讐に生きるというのなら、それは陰陽寮の博士たちの皆殺しによってのみしかなされない。ならば、なぜ陰陽頭をのぞくというのか。
「……勝てるわけないだろう、あんな化け物に!」
「博士もまた、雅命さんにとっては勝ち目のない敵であろうかと考えます。ならば、どちらにしろ殺さなければならないのですからやってみればいいではないですか。」
「死んだらどうする!」
「復讐を歌っておいて、いまさら生死を気になさっておいでですか。」
わたしの言葉に、雅命が唇を噛み締める。
剣の道において、生死は気にするものではなかった。そんなことを考えていれば至ることなど無理に決まっているからだ。
死んだら死んだで、そこまでであったと晴れやかに逝くのが剣。
ならば、それは復讐でも同じではないのか。いずれ謀略をもって息の根を絶つというのならまだしも、初めから殺すのを諦めていては世話がない。
「それでも、無理だ。まだ巨岩に頭をぶつけて死ねというならいい、わずかでも岩を砕けるのなら。だが、陰陽頭にはいっさい傷もつけられない。」
「その、わたしに命じるというのではいかがでしょうか。わたしに陰陽頭を殺せと頼んだということにして、そちらに迷惑はかけませんので。」
「駄目だ、すこしでもつながりがあれば族滅してくる。陰陽頭はそれぐらい血に飢えている。」
だが、雅命の考えは固いようであった。首をふる雅命にわたしは残念な気持ちでいっぱいになる。
せっかく陰陽頭に斬りかかる口実があったというのに、無駄にしてしまった。
だが、雅命たちの復讐は雅命たちのものである、わたしが口出しできるものでもない。そう考えているのなら、わたしはただ黙ることしかできない。
「この復讐劇についてはいっさい口を閉ざすと誓いましょう。ご武運をお祈りしています。」
「ああ、ありがとう。」
わたしと雅命とは道を分かつことにした。雅命はこれから博士への襲撃で忙しくなるらしい、わたしにとってはよだれがでるほど羨ましい話である。
そうして、わたしはまたひとりで陰陽寮を放浪することとなった。
息絶えた虎の皮のうえで、わたしは空をみあげた。
あいかわらず屋敷のなかというのに夜空には星が瞬いている。まったくもって不思議なことだ、やはり陰陽道というものはそこが知れない。
虎の肉は筋が入っていて美味しくない、そう考えながらも口にする。
というよりもこの世で美味しい肉など鴨や魚をのぞけばほとんどなにもないのだが。わたしはがっくりと肩を落とした。
「秋継……。」
ふと、聞こえるはずのない声が耳に入る。顔をあげたわたしは、いるはずのなかった狛の姿を瞳にとらえた。
思わず目をまるくしてしまう。
狛はみるも無残な姿をしていた。艶やかな髪はぼさぼさに荒れていて、鮮やかな狩衣はみる影もない。
「狛さま? いったいどうなされたのです、ここは危ないですからはやくお帰りください。」
「秋継、帰るわよ。」
狛が固い表情でわたしの腕を掴む。その腕からたらりと伝わる血の冷たさに、わたしはめんくらった。
「お怪我をなされているではありませんか、狛さま。はやく布でも巻かないと。」
「うるさい、とにかく帰る。」
わたしを狛がひきずっていこうとする。だが、わたしは足を地に縫いつけたかのようにまったく動かさなかった。
このまま帰る? それでは妖を斬れなくなってしまうではないか。
陰陽頭と戦うためには、まだまだ足りない。もっともっと妖を殺して、もっともっと傷を負って、それでようやく陰陽頭に剣をむけられるのだ。
「いいえ、わたしはここに残りますよ。まだ妖と戦わなければならないものでして。」
「なら、わたしも残るわ。」
まるで聞きわけのない童のようだった。ほとほと困り果てたわたしの腕を狛が掴んで離さない。
「あなたはわたしのものよ、なんでもしてあげるからわたしの傍から離れないで。死んだんじゃないかって気が気でなかった。」
「すみません、剣のことがあるので。」
どこか涙がかった声で狛が懇願してくる。だが、残念なことにわたしはその言葉に頷くことはできなかった。
ぐっと涙をこらえている狛に、わずかばかりの倫理が痛む。
だが、わたしの剣への執着がその罪悪感を斬って捨ててしまった。いっこうに首を振ろうとしないわたしに、狛が思いつめたように唇を噛む。
「……ならこう言えばいいのかしら。今のあなたは陰陽頭を虚仮にしているようなものだわ。なにも考えずただ妖を斬っていれば勝てるなんて、最高の侮辱だもの。」
「それは……。」
「休息もとらずに鈍った腕で妖を殺して、それで強くなっているつもり? 陰陽道もすこしも学ばず、そうして戦うなんて陰陽頭になんの得があるのかしら。」
今度の狛の言葉は、たしかにわたしも頷いてしまうものだった。
ともすれば、わたしは考えることからあえて逃げていたのかもしれない。妖を斬ってまわれば強くなるなど、まったくもって勝負してくれる敵に不敬でないか。
確かに、斬りかかるわたしは楽しいかもしれない。
だが、陰陽頭にたって考えてみればどうであろうか。陰陽道の陰の文字もしらないような学生が剣で襲ってきて、それを片手間に倒したとて満足いくだろうか。
わたしはとんでもない過ちを犯していたのかもしれない。さっと顔から血の気が胃いていった。
そんなわたしの心の揺らぎを逃さなかった狛が、わたしの手をひく。
「わかった? なら帰ること、いいわね。」
「は、はい。」
狛に手をひかれるまま、わたしは陰陽寮の奥を後にする。狛は、どこか覚悟をきめたような顔でわたしの先を歩いていた。
「けっしてあなたのそばを離れない。剣だけの人になんてさせてやるものですか。」
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