第25話 なにゆえ剣の修羅は学生と妖殺しの旅をともにするに至ったか
折れた剣をなでる。己の未熟でつらい目にあわせてしまった刀に目を閉じて陳謝していると、竹林の奥で吐く音が聞こえてきた。
青白い顔をした雅命が、わたしにつめよってくる。
「あんな無茶苦茶なことをして、なにを考えてるんだ。すこし間違えればあんたの命はなかったんだぞ!」
「殺しあいはそも命の奪いあいです。死を恐れているのならば、陰陽術であろうと剣であろうと人にむけるのは避けられたほうがよろしいかと。」
雅命の言葉がよくわからない。わたしは首を傾げた。
雅命が言葉につまって、顔をうつむける。わたしは祠に奉じられていた剣を手にとると、ぶんぶんと振って感触を確かめた。
恐らくはあの鬼を封じるためのものであったのだろうが、拝借してもかまわないだろうか。折れてしまった剣を祠におさめる。
そうして、わたしはさらに妖を求めて彷徨いだすことにした。ぼうっとたっている雅命にわたしは声をかける。
「それでは、わたしはここを去ります。ご健勝をお祈りしますね。」
「まて、僕もついていく。」
まるで生まれたての小鹿のようにぶるぶると足が震えている。だが、それでも雅命はわたしの背を追ってついてきた。
「今度こそ迷惑はかけない。僕は強くならなければならないんだ。」
あきらかに無理をしている顔つきで、それでも雅命は頑としてわたしについていこうとする。雅命がそう考えるのであれば、わたしも断るほど薄情ではない。
もしかすると、斬り甲斐のある陰陽師となってくれるやもしれないからだ。
深い渓谷にかけられた吊り橋のうえで、わたしは剣をかまえる。冷たい霧がたちこめる谷の奥から、ずりずりとなにか大きなものが這ってくる音が聞こえた。
やがて、それは姿をあらわにする。
巨大なかたつむりが、湿って苔の生えむした谷を舐めるようにわたしにむかってきていた。長い角がぬらぬらと粘った輝きを放っている。
陰陽寮の奥に潜んでいた妖だ。
わたしを目にして襲いかかろうとする鯨ほどはあるだろうその巨体に、呪符が次々と叩きつけられた。
爆音が谷に響き渡り、ガラガラと岩が崩れ落ちてくる。
雅命が式神の狐を肩にのせて、飛びだしてきた。恐怖でひきつった顔で、それでも陰陽術をくる手は止まらない。
「オン・バロジェクナ・シャク!」
かつてわたしが殺しあった陰陽師ほどではないが、それでもこれほどに強力な真言を学生が放ったのを目にしたのは初めてだ。
霧深い谷を閃光が塗りつぶす。
かたつむりの妖は煩わしそうに頭を振るに終わったが、それでもなかなか健闘したほうであろう。
わたしはそっと剣をぬいた。
もう鬼のような失態は演じまい。真に剣の道を得ているのであれば、斬るものが納豆だろうが金剛石であろうが刃こぼれなしに斬り裂けるはずである。
吊り橋から飛び降りたわたしはぬめぬめとしているかたつむりの頭に剣を刺す。
とたん、痛みに暴れだした妖の背をわたしは駆け抜けだした。その黄色がかった肌を斬り裂き、巨岩のような殻にさしかかる。
要するのは、つまりは集中とかすかな力加減である。
刃がすっとかたつむりの殻に入っていく。わたしはそれをまるで絹でも裂くかのように割っていった。
両断された殻が開く。なかからむき出しの身が飛びだしてきたかたつむりの妖は命が脅かされていることに気がついたのか、身をよじりだした。
「あああああっ!」
そこに、まるで童のように叫びながら呪符をばら撒いてくる雅命の姿があった。
血のにじむような努力で書きためられた呪符の数多くが、たったひとつの妖を殺すためだけに惜しみなく費やされる。黒い染みに侵された妖は悲鳴をあげた。
だが、雅命などではこの妖は揺らがない。
呪いを鋼の魂で弾き飛ばしたかたつむりが、地に足をついて逃げられない雅命を睨む。谷の下で雅命はただたちつくしていた。
かたつむりがゆらゆらと炎をおこす。復讐に燃えるその妖はしかし、あまりにも遅きに失した。
かたつむりのねばねばとした頭が、どしんと地に落ちる。
首を刎ねたわたしは剣にいっさいの傷が入っていないことを確かめると、そっと鞘におさめていった。
パチパチと、焚火の炎がはじける。
わたしと雅命はその炎を囲んで、殺したかたつむりの肉を口にしていた。かたつむりの味が気に食わないらしい雅命はしかめ顔である。
「妖の肉を食うなんて、僕には考えもつかなかった。秋継はずっとこうしてたのか。」
「ええ。陰陽寮の奥へと足を踏み入れたうえは、食物のために帰るなどという愚かしいことはしたくなかったものですから。」
火をとおしたかたつむりの肉は臭くて固くて、お世辞にもご馳走とはいえないだろう。だが、剣の道において味など気にしている暇はない。
「今度はもっと東のほうに人食いの虎が閉じこめられた山があるとのことです。二日は歩き続けることになるでしょうから、腹を満たしておくほうがよろしいですよ。」
腰をあげたわたしの言葉に、雅命が慌てて肉に噛みつく。
かつて三日もなにも口にせずに駆け続けたことがあったからか、雅命は食の有難みを理解するようになった。
「では、いきましょうか。」
火を消し、谷を後にする。
陰陽寮とは実にでたらめなところで、こんな風な渓谷があったかと思えばどこまでも続く樹海があったりと屋敷のなかとは思えないものであった。
谷の奥の寺の障子を開けると、またあの朱塗りの廊下がずっと続いている。わたしと雅命とは、またほかの妖を求める旅にでた。
「一緒にいてわかったよ、秋継はほんとに強い。それこそあの龍に勝ったのはまぐれでもなんでもないって。だから聞きたいことがある。」
数か月も妖退治につきあってくれている雅命は、だんだんと陰陽術の腕をあげている。そして、なによりももう陰陽寮の博士を馬鹿にすることはなくなった。
そんな雅命が、真剣な目でわたしに問いかけてくる。
「今の僕で、誰でもいいから陰陽寮の博士に勝てると思うか。お世辞はいいから秋継の思う本音を教えてくれ。」
雅命は博士たちに憎しみをもつ。その訳は知らないが、わたしは雅命の顔をじっとみつめて考えた。
この雅命が陰陽寮の博士と戦う、というのはどういうことなのか。
「無謀にもほどがあると言わざるをえません。博士たちは陰陽道の深淵を覗いた秘術のつかい手、ならば勝ち目は万にひとつもないでしょう。」
たとえば、わたしは剣を振るっている。そして、陰陽師はもちろんのこと剣の術理など知らない。
ゆえに、わたしはいかなる時であっても勝機はあるものと考える。
博士たちはわたしの剣を知らずわたしは博士たちの術を知らぬ。よって、殺しあいには常に不可思議がつきまとうからだ。
だが、これが陰陽師の雅命ともなれば話はかわる。
敵は陰陽道については海千山千の博士たち。おのおのその術においては右にでる者はないからこそ陰陽寮にて教職に就いているのである。
雅命の放つ技など、なにもかも知っている。知っていれば、容易く防げる。
ゆえに、わたしは雅命の戦いぶりを目にして勝ち目はないと評さざるを得ない。雅命はなにもかもが博士たちに劣っているのだ。
「そうか、秋継はそう思うか。ならば、それが真なのだろうな。」
雅命が唇を噛んでいる。それは、まるで今まで心の支えにしていたものがぽっかりとくりぬかれてしまったかのような顔だった。
「こんなにも、博士たちの背というのは遠いのだな。」
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