第24話 なにゆえ剣の修羅は鬼殺しを成すに至ったか
陰陽道の祖神、術の賢老、あの世の怪。
その童女の姿をした陰陽師を呼びあらわす言葉は星のようにある。そのどれもが陰陽頭の偉業を賛辞するか、忌避するものであった。
剣と槍との世で、はじめ怪しげな呪術としか考えられていなかった陰陽道をここまで究め隆盛を興したのはすべてあの陰陽頭である。
数百年の時を生きるその陰陽師は、まさしく最強の名をほしいままにしていた。
「あの陰陽頭には確かに敵わないさ、誰もあんな化け物とひとりで戦って勝つことなんてできやしない。でもいくつかの優れた陰陽師で挑めば……。」
雅命がどこか悔しそうに呟いている。陰陽寮の博士などたいしたことがないと言いのけてみせた雅命ですら、陰陽頭はどうしようもない敵のようだった。
ともかく、それならばいい。
わたしと雅命はどんどんと陰陽寮の奥へとすすんでいった。かつて旭人と足を踏み入れた時よりもずっと深く沈んでいく。
「秋継はいつもこんなところまできてるのか。」
地蔵がずらりとならぶ暗い夜道に、雅命が怯えたように聞いてくる。陰陽寮のなかにいるはずなのに、空には星々がちらちらと瞬いていた。
陰陽寮は奥にいけばいくほどなにもかもが古くなっていく。
数百年は誰も訪れなかったのだろう、苔むした石碑にははるか昔の日が彫られていた。いくつものしめ縄で囲われたなかへと入っていく。
「まて、秋継。ここはなにかを封じてるんだ、外に逃げださないよういくつもの結界をはって。そんなところに入ってしまったら……。」
雅命の足がはじめて止まった。べつにはぐれたとしても問題はないので、わたしは歩き続ける。
しばらくしめ縄とわたしとをみていた雅命は、覚悟を決めたようにわたしの後を追ってきた。
「ほんとうに危なくないんだろうな。」
「危ないか、危なくないかと聞かれれば、命を奪われるやもしれないとしか口にできません。ですからついてこないほうがよろしいかと。」
ひきつり笑いをする雅命に、わたしは踵をかえすよう返す。絶句した雅命は、それでもわたしについてきた。
「だが、秋継はそうするんだろう。だったら僕だけが逃げるわけにはいかない。」
わたしは雅命に逃げてもらったほうが獲物を独り占めできて嬉しいのだが。
そんな本音を心の奥にしまう。真っ暗な竹林を歩いたわたしはいつしかひらけた野原へとやってきていた。
風が吹くたび、草花がさわさわと揺れる。
そのまんなかに、ちいさな祠があった。不思議なことに、その祠を避けるようにして竹はまったく生えていない。
まるで、心をもたないはずの草木ですら祠にひそむものを恐れているような。
命乞いをしてきた妖に聞いたままだ。わたしはじわじわと口の端がもちあがっていくのを感じた。悍ましさを心で悟ったのか雅命はぶるぶると震えている。
妖は、陰陽寮の奥には尋常でない妖たちが封じられていると語った。歴代の陰陽寮の博士たちが四道を駆けて戦った妖が、いまだ生かされているのだと。
陰陽道の探求のため生かさず殺さずを強いられたあげく忘れられた妖たちは人の血肉に飢えている。間違いなく命がけの殺しあいができるといっていたのだ。
ようやくここまで来た。
わたしは感極まって涙を流しそうだった。そんなわたしの後ろで雅命がすこしずつ後ずさっていく。
「こ、こんなの聞いてないぞ。こんな化け物が陰陽寮にいるなんて聞いてない、ここにいたら殺される。」
だが、もう遅かった。
わたしの体につけられた傷から、たらりと血の滴がこぼれ落ちる。ふわりとかぐわしい血の香りに、祠のなかでなにかが目を醒ます。
祠から、杉の幹ほどもある腕が飛びだしてきた。
どうやって納まっていたのかと問いかけたくなるほどの巨体が現れる。まるで風と雨に晒され続けた岩のような肌に、荒くうねったぼさぼさの髪。
それは、ひとりの鬼だった。
鋼の体躯を駆り人をまるでおもちゃのようにひきちぎる、怪力の代名詞たる妖が久しぶりの人の肉に咆哮する。だらだらとよだれを垂らして鬼は飛びかかってきた。
剣を抜き放つ。
だが、鬼の手に握られているものを目にして考えをあらためた。まともに打ちあえばこちらが負けてしまうであろう巨岩が落ちてくる。
土煙とともに振りおろされた岩が、鬼の怪力に耐えきれずぼろぼろと崩れていく。鬼の股下までやってきたわたしは足の腱を斬りつけんとした。
剣と肉が奏でたとは思えないほどの鈍い音が、竹林に響く。
この鬼の体は剣ごときでは貫けぬらしい。思わず渋い顔をしてしまったわたしを鬼は逃さなかった。
ひとひとりの背ほどある脛が、わたしを蹴り飛ばしてくる。
剣で流すことを諦めたわたしは、あえて腱に飛び乗って吹き飛ばされた。鬼の暴威から離れ、ふたたび地に足をつける。
呪符が鬼へと飛んでいった。
がくがくと震えた雅命がそれでも放った術を、鬼はまるで羽虫であるかのように歯牙にもかけない。その鋼鉄の肌に、呪符はすべて叩きつけられて終わった。
己は傷つけられぬとばかりに鬼が叫ぶ。
剣で斬れぬあの肌をなんとかせねば、どうしようもない。わたしはいかにしてあの鬼に傷をつけるか、それだけを考えた。
そうしているうちにも鬼は待ってくれない。
ちょこまかと飛びまわるわたしよりも雅命のほうを獲物として定めたのか、鬼がくるりと踵をかえして雅命に顔をむけた。
ぎらぎらと殺意をむき出しにした瞳が、雅命を貫く。
「ひっ。」
短く悲鳴をあげた雅命は、それっきり動けなくなっていた。懐からでてきた狐の妖、恐らくは式神であるのだろう者がなんとかして雅命をひっぱろうとしている。
鬼が飛んだ。牛車ほどもある手のひらが、雅命を地の染みにせんと迫る。
わたしはとっさに雅命と鬼とのあいだに体を挟みこんだ。いまだ鬼への技を編み出せていないわたしにできることは、己の剣を信じてひたすらに流すことだけだ。
剣をかまえ、ひさしぶりの奥義を放つ。
それは、柔剣の極み。かつて京にて貴族の剣を教えていた老人が死の淵にあって至ったありとあらゆる剣をうけ流す守りの剣。
ありとあらゆる剣を流すその技は、しかしこれほどまでの暴力には無駄だった。
ぶちぶちと肩の肉が削がれていく音がする。地に流すことのできなかった鬼の勢いが、わたしの体を蝕んでいく。
苦悶の顔で、しかしわたしは鬼の手を逸らした。
鬼が倒れこんでいく。
わたしはその時、かつて斬りつけた腱にほんのわずかばかり亀裂が入っているのを目にした。雷のようにわたしは気づく。
斬れぬというのなら、斬れるまで斬り続ければいいのだ。
つまりは、わたしの剣が折れるか、それともそれより先に鬼の肌を削りとるが早いかの根くらべである。
勝機をみいだしたわたしは、深く笑みをうかべた。
悪くない、すくなくともこのまま鬼の手によってひき肉にされるよりはましである。わたしはいまだうずくまっている雅命の肩を叩いた。
「はっ、ひっ、食べないでくれ!」
「わたしは食べませんよ、鬼はどうかしりませんが。ともかくとして、足手まといになっていますので竹林に逃げこんでいただけませんでしょうか。」
わたしの言葉に頷いた雅命は、へっぴり腰で竹林へと駆けていく。
そんな雅命を瞳の端でとらえながら、わたしは起きあがってきた鬼と顔をあわせた。剣を握りしめ、勝負を挑む。
「遅くなりましたが、そこの鬼よ。いざ尋常に真剣勝負といきましょう。」
鬼が、咆哮する。それにあわせてわたしはその暴力の嵐へと飛びこんでいった。
鬼との戦いは、長いものだった。
ただひたすらに首目がけて剣を振りおろしすこしずつ肌を割っていくわたしと、そんなわたしを捕まえようとその剛腕をふるう鬼との追いかけっこは永遠に続く。
だが、それも百度ほど剣を振るった後に終わりを迎えようとしていた。
わたしの剣には罅が入っていた。これではあと一度振るうだけで砕け散ってしまうだろう。
だが、わたしは鬼の首がたしかにかすかに血を流していることに気がついていた。幾度となく斬りつけられた剣が、鬼の肌を削っていたのである。
あと一度の斬りあいでなにもかもが終わる。
わたしは鬼の懐へと飛びこんでいった。迫りくる死を悟ったのか鬼がそうはさせまいと怒りの形相でわたしへと腕を振りおろしてくる。
わたしはその腕に飛び乗った。
まるで軽業師のように腕を伝い、首にむかって駆けていく。慌てて鬼が腕を振り回した時には、わたしは肩にて剣をかまえていた。
鬼の首が飛ぶ。
血しぶきとともに崩れ落ちていく亡骸から飛び降りたわたしは、じっと鬼の最期を看とった。
「鬼よ。この真剣勝負、わたしに久しぶりに剣の道を思いださせてくれてありがとうございました。陰陽頭の首をまた土産にやってきましょうぞ。」
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