剣の修羅、狂気にて

第23話 なにゆえ剣の修羅は妖の血でずぶ濡れになるに至ったのか

 ぴくぴくと小鬼の指が動いている。


 まるで助けを求めるようにさしだされたそれを、わたしは勢いよく踏みつけた。血が流れだし、肉片が飛び散る。


 小鬼が恐怖にひきつった顔でわたしをみつめている。


「タ、タスケテクダサイ……。」


 どこで覚えたのか人の言葉を口にした小鬼に驚きながら、わたしは剣を振りおろした。耳ざわりな悲鳴がしだいにか細くなり、やがて首を貫かれた小鬼が死ぬ。


 わたしはそのまま剣をひき抜いて、腰をぬかしている隣の小鬼の頭をふたつに割った。止まっていた時がまた動きだしたかのように小鬼たちが襲いかかってくる。


 棒きれや鉈を握りしめておきながら、小鬼たちはどこか怯えていた。


 わたしが剣をひと振りするだけで、小鬼たちはみな胴をわかたれて無様に転がっていく。ひとりずつ確実に命を奪いながら、わたしは不満だった。


「こんなに弱いとは思いませんでした。人を襲うのだから、それなりに腕に自信があるものと考えていたのですが。」


 十数もの亡骸のまんなかにたちながら、わたしはため息をつく。


 これでは腕試しにもなりはしない。命を奪いにくるのだ、人の時間を無駄にしないよう己を鍛えておくのは礼儀であろう。


 なによりもこれではまったくあの陰陽頭に敵わない。


 ふたたび夜の陰陽寮を血で汚しながら歩きだしたわたしは、せわしなく殺しあうための妖を目で探していた。





 わたしのわずかばかりの父への義理など、あの陰陽頭への羨望とくらべれば芥子粒のようなものだ。わたしはもう陰陽寮に気をつかっている暇はなかった。


 ただ殺しあいのなかでずっと剣を磨き続ける。


 命の応酬をいくつもくぐり抜けたその先をして、ようやくあの陰陽頭との戦いが叶う。そのことだけを考えて、今のわたしは妖を殺してまわっていた。


 もうどれほどの月日がたったかもわからない。


 殺して、寝て、また殺してを続けるわたしは気がつけばここ数日のあいだはまともに横になったこともなかった。柱にもたれてかすかに目を閉じるだけである。


 ともかく、妖を殺さなければ。


 わたしは剣を抜いて、障子を斬り裂く。化けていた狐が血をべっとりとふきかけながら倒れこんでいった。


 もっと、もっと。


 血で赤に染められボロボロになった狩衣で、ただひたすらに夜の陰陽寮を流浪する。剣は飢えるばかりで、いっこうに満足しようとしなかった。


 瞬間、呪符が飛んでくる。


 虚空で武者の影法師となったその呪符は、わたしの首を刎ねようと薙刀を振りかぶってくる。わたしはため息をついた。


 つまらない、こんな偽の槍など剣を振るうまでもない。


わたしは薙刀の柄を手で掴むと、そのままひっぱって武者の足を崩す。倒れこんでくる武者の喉を拳でしたたかに打ちつけた。


 とたん、もとの呪符にもどってしまう武者に、わたしは剣をまた握る。


 さっと剣で呪符をまっぷたつにしてしまったわたしは、こんなつまらない呪いをよこした陰陽師はどこの誰かと目をやった。


 遠くに、狩衣を身にまとったひとりの老人がみえる。


 いや、あれは幻だろう、わたしの耳は老人に心音がないことを教えてくれる。わたしは後ろにふりかえると、そのまま駆けだした。


 焦ったのか、姿のみえない陰陽師は呪符の雨あられを降らせてくる。


 わたしはそのすべてを呪いとなるより先に斬りふせて、陰陽師に迫っていった。障子を開けて畳のうえにあがると、祀られた仏像の首を折る。


 じんわりとあたりが歪み、幻がはじけて解けた。


 薄暗い影に、息を潜めていた陰陽師をみつける。わたしは逃げようとする陰陽師の足をはらって転がし、その首に刃をあてた。


「ひっ、妖と間違えたんだ! 許してくれ!」


 久しぶりに聞いた人の声に、すんでのところで剣を止める。わたしが顔をあげると、そこにいたのはひとりの陰陽寮の学生であった。





 学生が祈るようにわたしに手をあわせている。耳をすませたわたしは、これが妖の謀略でないことを確かめると刃をその首から離した。


 なんだ、斬れないのか。つまらない。


 わたしは残念に思いながら背をむける。また妖を探しにいかなければならない、そう考えてわたしはその場を去ろうとした。


「ま、待ってくれ。君もこんな陰陽寮の深奥にいるということは腕を試しに来たんだろう。だったら一緒にいかないか。」


 なぜか後ろからあの学生がついてくる。まるで志を等しくする者をみつけたかのように、学生は安堵の表情をうかべていた。


「気づかいは有難いのですが、遠慮しておきます。」


 わたしはなんとか笑顔をつくる。はやく妖を斬りにいきたいとばかりに、手もとの指はせわしなく剣の柄を叩いていた。


「ついていかせてもらうよ。僕も君も、お互いのためになると思うんだ。」


「はあ、そうですか。」


 とかく話をきりあげたかったわたしは頷く。たとえついてこられたとしても、どこかで離れ離れになればいい。


 陰陽寮は入り組んでいるのだから、不思議ではないだろう。


「それじゃ、よろしく。僕の名は勝羅かつら雅命がめいという。陰陽寮の生易しい授業には飽き飽きしていたところでね、腕試ししたくてうずうずしてるんだ。」


 雅命というらしい学生の言葉を聞き流しながら、わたしは剣を振るう。ちょうど隠れて迫っていた羽虫の妖を潰したわたしは、今度こそ歩きだした。


「うわぁ……。」


 畳のうえで臓物をまき散らして果てている妖を、雅命は口をおさえてみつめる。





 夜の陰陽寮をふたりして歩いていく。


「それにしても、はじめ目にした時はこの世のものでない物の怪が現れたと肝を冷やしたよ。ボロボロの狩衣だから、学生って気がつかなかった。」


 雅命はずっとわたしに話しかけてきた。なにが面白いのか、その声が絶える気配はまったくない。


「そういえば、秋継ってあの龍を剣で倒したっていう酔狂なやつなんだろう。そんな秋継からしてみて、陰陽寮の博士たちってどれぐらい強いかな。」


「……なかなか、誰もかれも一筋縄ではいかない強者ばかりだと思いますが。」


 雅命がひらりと呪符を振るい、天井にはりついていた妖を影に沈めてしまう。腕試しにきたというばかりのことはあって、なかなか陰陽術に秀でているようだった。


「そうかな、今の博士たちは僕に言わせれば腑抜けてるね。陰陽術の深奥に足を踏み入れようともしない、臆病者ばかりだ。」


 陰陽寮の博士について、雅命は思うところがあるようである。博士の話になると決まってその声は低くなった。


 どうやら雅命は陰陽術への博士のありかたが気に食わないらしい。


「そうですか、わたしは強ければそれでよいと考えるのですが。」


 陰陽道のことはよく知らない。わたしの剣の道では強ければ問題ないのだが、やはり学問としての陰陽道にはほかの大切ななにかがあるのかもしれなかった。


「はっ、あいつらが強いものか。家の者ならあっという間に殺せてしまう、上手くやれば僕だって勝てるさ。」


 雅命が吐き捨てる。


 雅命をまじまじとみつめて、わたしは博士がこの学生に負けるという光景がどうしても思いつかなかった。雅命の一門ならば、そうなのだろうか。


 博士への憎悪をあきらかにする雅命に、聞きたいことができた。


「雅命さん、それでは陰陽頭はどうなのでしょう。あのかたも確か天文博士ではなかったでしょうか。」


 ちらりと剣を鞘から覗かせる。もしも陰陽頭よりも強いと豪語するというのなら、勝負を挑ませてもらうことにした。


 雅命がたち止まる。しばらくして苦虫を噛み潰したような顔で口を開いた。


「……あいつは違う。あいつは古からずっと陰陽道の深遠に身をひたしている化け物だ。」

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