閑話 なにゆえ式神の狸は剣の修羅を畏怖するに至ったか

 赤権太は西国における狸の大頭目、権左衛門の一門の下っ端も下っ端である。ろくな仕事もまかされず、ただひたすらに愚痴ばかりこぼしていた。


「おいらもいつか伊達男の陰陽師を捕まえて、思うがままにいい思いをしてみてぇな。式神にさえなっちまえば後は化けてたぶらかせばいいんだしな。」


 そんな欲望に忠実な赤権太が権左衛門の庭で草むしりをしていた時であった。腹がつねられたような気がして、赤権太が顔をあげる。


 気がつけば、赤権太はどこぞの薄暗い鍾乳洞にいた。


 すぐそばには女とみまがうほどに線の細い陰陽師の見習いがわたしをみつめている。益荒男というわけではないが、なかなか美しい顔だちをしているではないか。


 赤権太は己がとっさに妖艶な美女に化けていたことに感謝した。


 どうやら己を式神として呼びだしたらしいこの陰陽師の少年をさっさとたぶらかして欲望をぶつけてしまおう。喜び勇んで赤権太は少年にしだれかかった。


 だが、赤権太は欲に目が曇ってしまっていた。


 にこにこと柔らかにほほ笑む少年の瞳の奥には冷たい光がじっと抜け目なく赤権太をみつめていたのだ。気がついた時にはすでに頭のうえの葉をはらわれていた。


 化け狸は頭に葉っぱをのせておかなければ化けることができない。


 あっという間に盗み食いでまるまると太った腹を晒した赤権太は、主を騙そうとしたことを冷や汗をかいて悔やむことになる。





 まず、少年はたいしたことのない陰陽師であったがその許嫁は違った。そこはかとない神々しさを漂わせる白蛇を侍らせた狛という少女がにこりと笑う。


「呼びだされた時に秋継になにやらつまらないことを謀っていたようだけれど、わたしは許嫁なの。これってとてもぶしつけなことだと思わないかしら。」


 狛はどうやら少年に異常なほどにご執心のようだった。狛が優しく撫でる白蛇が、ちろりと赤い舌を覗かせている。


「この子、お腹がすいていて妖の肉を口にしたいらしいの。もしもわたしがよく思わない狸がまるまると太っていたら、食べてしまうかもしれないわ。」


 笑顔で首をぎりぎりと絞めつけるように掴んでくる狛に、赤権太は恐怖で気を失ってしまいそうだった。


 まさか妖に嫉妬する許嫁がいるなどとは赤権太は考えていなかったのである。


 あんな恐ろしい陰陽師の不興をかえばいったいどんな呪いをかけられるか考えるだけでも恐ろしい。赤権太は青い顔で震えた。


 次に、騙そうとした少年は赤権太のことをひどく信じていないようだった。


「やはり、いつかは鍋の具にしてしまいましょうか。」


 ことあるごとに冗談めいた声で、しかし笑っていない瞳で少年が赤権太をみつめてくる。童の戯言と聞き流せない冷たいなにかが、その言葉にはあった。


 このままでは少年かその許嫁のどちらかに殺されてしまう。


 そう悟った赤権太は少年を化かそうと考えることはなくなった。それに、従順でいれば少年は優しいのだ。


 夕餉ででてきた刺身をそっと赤権太に渡してくれたり、あるいは日長ずっとごろごろと横になっていても苦笑いされるだけで文句をつけられない。


 そんなこと、権左衛門のもとで働いていた時には考えられなかった。頭をさしだせば撫でてくれるし顎をさしだせば掻いてくれる、まさに極楽である。


 そんなゆったりとした少年が主でよかったとまで赤権太は思っていた。


 だが、なによりも寝ている美少年の胸に堂々と潜りこめるのが赤権太のお気に入りである。やはり赤権太は赤権太であるようだった。





 もうひとつ、赤権太がひそかに誇っていることがある。


 それは、少年が剣の技にひたすらに秀でていることであった。それこそそこらの陰陽師には負けないほどの腕である。


 少年が龍を式神にしたほかの陰陽師見習いに勝負をしかけたことがあった。


 水を司る大いなる力をもった龍に逆らうなどとんでもないと赤権太は震える。だが、ただひたすらに龍をみつめる少年はそうではなかった。


 なんと、赤権太の化けたなまくらの剣で龍に勝ってしまったのである。


 それは、赤権太をしていまだに信じられないことであった。龍というものは陰陽寮の博士でようやく戦えるかといったところであるのに、まさかの剣で勝ったのだ。


 ほかの学生たちはたいしてその恐ろしさをわかっていないようであったが、赤権太にしてみれば少年に信頼を寄せるには十分であった。


 とにかくこの優しい少年にすがっていれば、これからも平穏に暮らせるだろう。


 そう赤権太が考えるほどに、少年は強かった。それに、式神くらべで龍に勝ったというのは赤権太の自尊をくすぐったのも事実である。


 なにはともあれ、赤権太は少年の式神であることに満足していた。





 その日、夜遊びから帰ってきた少年は赤権太の知る少年ではなかった。


 たしかに赤権太がすりよれば笑みをたたえながら撫でてくれる。それどころかすこし噛みついても怒らなかった。


 だが、少年はどこか危うかった。


 まるでむき出しの太刀のような、そんな触れる者をいつのまにか静かに斬り飛ばしてしまうようなそんな恐ろしさがある。


 ただひたすらに剣を握るその姿は、赤権太には剣の修羅にみえた。


 それからのことである。少年は赤権太を己の姿に化けさせると授業にかわりにいかせるようになった。


 赤権太がわけのわからない神祇博士の話を聞いている間、少年がなにをしているのかはまったくわからない。


 だが、いつも少年は血で全身を濡らして帰ってきた。


 まるで幽鬼のようにふらふらとした足どりで暁に帰ってくる。倒れこむように眠ると、そのまま夜に陰陽寮の奥へと姿を消すのだ。


 赤権太は平穏な日々がだんだんと崩れていくのを感じていた。


 少年がどんどんと剣にのめりこんでいく。それを赤権太はじっとみつめることしかできない。


 赤権太とて止めようとしたこともあった。


 だが、少年の冷たい瞳にみつめられると言葉がでてこない。まるで斬りつけられたような恐怖を覚えるのだ。


 もちろん赤権太にはなんの害もない。


 少年が始めた夜遊びに口出しをしなければ、少年はずっと赤権太の記憶のなかの優しい主のままだった。刺身もくれるし、ぐうたらにしていても怒らない。


 だというのに、赤権太はどうしてかそんな少年をみたくなかった。


「誰?」


「秋継さまの式神、赤権太でございます。お話があってまいりました。」


 気がつけば赤権太はあれほど恐れていた許嫁のもとへとやってきていた。墨でとぐろを巻いている白蛇に縮こまりながら、赤権太は狛に声をかける。


 つまるところ、赤権太は少年の式神であった。

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