第22話 なにゆえ剣の修羅はより深淵へと沈んでいくに至ったか

 斬る、斬る、斬る、斬る。


 ただあの童女の肉を斬り裂き、心臓を抉りだし、四肢を大地に縫いつける。その衝動だけが頭のなかで喚き散らしている。


 わたしは竜巻のように剣を振るって、屋敷の柱をすべて斜めに斬りつけた。


 まるで紙をずらしたかのように屋敷が屋根ごとずり落ちていく。陰陽頭が慌てて飛びあがった。


 呪符が舞い散り、わたしの四肢を封じてこんとする。


 貼りついた呪符を、わたしは己の肉ごと斬り捨てた。陰陽頭の顔が驚きと怒りで歪んでいる。


 わたしは剣をもってその童女目がけて吶喊した。


 呪符が生み出した人の海を、すべて首を刎ねながら駆ける。老若男女問わずわたしは陰陽頭と己との間にたつ者を皆殺しにした。


 陰陽頭が舌打ちをして、また呪を興す。


 墨にてあちこちに呪の記号が刻まれた腕をのばし、陰陽頭はこちらを嘲るように笑った。閃光が瞳を塗りつぶす。


 わたしはまたあの魔京へときていた。


 だが、猿のようにおなじ呪いをかけられたとていったいなんだというのか。命乞いをしてくるお父様の首を刎ねながら、わたしは次の生者を目で追った。





 呪いにかかりぐったりとうなだれるわたしに、陰陽頭がふくみ笑いをする。そして、大地に崩れ落ちようとするわたしを掴みあげようとした。


 呪いがたっぷりとこめられた陰陽頭のその手は、触れるだけでわたしを殺すであろう。


 だから、わたしはその心臓を貫いた。


 陰陽頭の瞳が、驚愕でひらかれる。わたしはその隙を逃さずに陰陽頭、いや骸骨を十字に斬り裂いた。


 白い骨がガラガラと畳のうえに転がる。


 髑髏のみになってしまった骸骨が、カタカタと顎を震わせながら転がって逃げようとする。わたしはそれを踏みつけにした。


 ああ、これがもしもほんとうの陰陽頭であればどれだけよかったことか。


 わたしはどんどんと足に力をこめていった。髑髏にひびが走り、骸骨がばたばたと悶える。


 陰陽頭ならば呪いにかけたからといって油断せず、すぐにわたしの息の根を止めようとしたに違いない。骸骨のように嗜虐が顔を覗かせることもなかったはずだ。


 斬り落としたはずの骸骨の腕や足が飛んできて、髑髏をわたしから救おうとする。骸骨の無駄な抗いに、わたしは剣をもってこたえた。


 そもそも、陰陽頭ならばおなじ呪いをかけるなどという愚を犯すことはなかっただろう。恐らくはもっと強力でもっと深い呪いをわたしにかけたに違いない。


 足りない、まだまだ剣の腕が足りない。こんな骸骨を敵にして傷を負っているようではあの陰陽頭に挑むことすらおこがましい。


 ふと我に返って、わたしは髑髏を踏みつけにするのをやめた。


 足を退けると、クシャグシャに砕かれた髑髏の破片が畳のうえに飛び散っている。黒いもやのようなものが、絶叫とともに天に昇っていった。


 どうやらあの骸骨は死んだらしい。


 あの陰陽頭に挑むというのなら、そんなことなどどうでもよかった。なんとかしてあの童女を殺したい、それだけが心を占めている。


「秋継、問題ないか?」


「はい? 問題ありませんとも。」


 気づかわしげにわたしに声をかけてくる旭人に、わたしは頷いた。問題などない、ただ己のなすべきことを定めただけである。


「もう陰陽寮のほうにもどりましょうか、ここには用はないでしょう。薬品庫などもどうせあの骸骨の嘘だと思いますよ。」


「あ、ああ。そうだな、帰ろうか。」


 わたしはもうこんなところに興味などなかった。ぎこちなく歩く旭人たちの後ろをついていきながら、わたしは考えに耽った。


 いったいどうすればあの陰陽頭を殺すことができるだろうか。


 今の剣ではまったくもって速さも強さも巧さも足りない。もっともっと剣の腕を磨かなければならない、死と生の狭間を彷徨って道をみつけなければならない。


 そういえば、あの骸骨は陰陽頭ほどではなかったが強かった。


 ああいった骸骨を斬りつけていけば、いつかは陰陽頭の高みに手が届くのであろうか。妖を殺して殺して、その先に剣の道がひらけているのだろうか。


 わたしは、考えるのをやめた。なにはともあれ、斬ればわかるだろう。





 旭人とわかれて、わたしは朝ぼらけの陰陽寮を己の部屋にむかって歩いていく。そんなわたしの後ろをすっと小さな影が駆けた。


 しばらく歩き、わたしは人気のない湖にかかる浮橋までやってくる。


「そろそろ話をしませんか、そこのカワウソさん。」


 わたしは、さっきから後ろをつけてきている旭人のカワウソに声をかけた。獣のくせに顔を青くしたカワウソがじりじりと湖から這いあがってくる。


「お願いします、もう旭人さんには近づかないでください。」


 濡れた体をぶるぶると震わせて、カワウソが頭をさげた。カワウソのかん高い声であるのにもかかわらず、その言葉はよく聞こえる。


「拙は、旭人の剣の師匠でございます。拙は、旭人にあなたのような剣の修羅にまで身を堕として欲しくありません。あなたの狂気はいささか危うすぎるのです。」


 カワウソが橋の板に頭をこすりつけた。喋るカワウソなど珍しいものをみたとばかりに沢蟹がこちらに目をむけながら過ぎていく。


 こちらの顔をうかがうカワウソに、わたしはすぐに頷いてみせた。


「かまいませんよ、わたしはもう旭人に興味はありませんから。」


 旭人よりももっと心から殺したい人間をみつけたのだ。こんなところで油を売るつもりはない、はやく剣の腕を磨きたかった。


 そんなわたしをカワウソが驚いたようにみつめている。


「お待ちください、拙はあなたが旭人に殺しあいを乞う姿をみました。あれほど執着していた旭人をなぜこうも易々と諦めるのです。」


 話はすんだとばかりに去ろうとするわたしを、カワウソが呼び止める。すこし苛つきながら、わたしは振りかえった。


「わたしとて人です、ほかに極上の馳走をみせられれば目が逸れてしまうこともあるでしょう。」


「その言葉を信じてよろしいのですね、今後はけっして旭人に声をかけないと誓っていただくと、それでほんとうに……。」


「わたしから声をかけることはないと誓いましょう。これでよろしいですか。」


 わたしはしびれをきらしていた。はやく話を終わらせて、あの陰陽頭の命を奪う術を考えなければならないというのに。


 わたしはカワウソの瞳をじっとみつめた。


「わたしもひけ目を感じないわけではないのですよ、葵さん。あなたから祖父と平穏な日々を奪ったことは承知しておりますから。」


「な、なんで、いつから気づいて……。」


 カワウソが恐怖の色で目を染めて、後ずさっていく。わたしはつまらなさを噛み殺しながら答える。


「はじめからですよ。いくら獣に身をやつしていても、染みついた五十神家の剣は拭いきれませんよ。」


「そ、そんな馬鹿な。わたしはもうあんな殺人剣など捨てている。」


 剣術を捨てたというカワウソの言葉に、わたしは眉をひそめた。まったく苛ついてしまう、身に染みついた剣の技というものは地獄まで持っていくものだ。


「そう思っただけで今までの歩みを消しさることなどできません。なにをそんなに嫌がっているかは知りませんが、五十神の剣はずっと葵さんに影を落としています。」


 うつむくカワウソは、そのまま湖に飛びこんでいった。わたしはそれきり喋るカワウソなどという珍獣のことを忘れてしまう。


 ともかく、今は陰陽頭を殺すことだけを考えなければ。

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