第21話 なにゆえ剣の修羅は呪いを打ち破るに至ったのか
「あの骸骨めはわしが天文道の才がないと考えたことを恨んでおったらしくてな。教えてくれぬのならば殺すと脅してきた。だから、わしが命を奪ってやった。」
陰陽頭の背を追って、わたしは大路を歩く。陰陽頭のちいさな頭がゆらゆらと揺れていた。
「じゃが、わしは間違っておらんかったろう? この悪趣味な呪いをみるに、妖に身を堕としてもあやつは確かにあやつなのじゃな。」
陰陽頭が、わたしの殺した死体の山に目をやって鼻を鳴らした。そして、どこか愉快そうにわたしにふりかえる。
「憎悪と嗜虐に狂って、無駄な遠まわりをしておる。だから、命の奪いあいに慣れておる者になす術もない阿呆のような呪いになった。」
陰陽頭が嘲るように大地を蹴りつける。それだけで呪いに罅が入った。
パキパキと暗闇が京を飲みこんでいこうとするのを陰陽頭は掴んで無理やりに止める。そして、わたしを試すように陰陽頭が笑ってみせた。
「かようにもろい呪いなぞ頭をつかわんでも破れるが、それではつまらん。わしも博士であるのだから、学生の歩みを願うのもまた一興といったところか。」
陰陽頭が地面に走った亀裂に足をかける。わたしに言葉を投げかけて、その小さな体は消えていった。
「おぬしはまだひとり、殺さなければならぬ者を殺しとらん。」
まったく、陰陽頭というものは罪である。目と鼻の先にご馳走をぶらさげておきながら、さっと消えてしまう。
わたしは剣がうずいてしかたがなかった。
かつて剣を破り、陰陽術をこの世での常識とした陰陽師がわたしのすぐそばにいるというだけで血がたぎる。
陰陽術はこの世でもっとも優れた人殺しの術であり、陰陽頭は陰陽術にもっとも長けた人間である。ならば、もしも陰陽頭を殺すことができたのならば。
知らず知らずのうちに、口もとが大きく歪む。
あれほどまでに殺気をぶつけられていれば、いくら鈍いわたしでも気がつく。あの陰陽頭はわたしとおなじ類の人間なのだ。
わたしが剣の修羅だというのならば、陰陽頭は陰陽の修羅であろうか。
殺しあいを好み、ただひたすらに陰陽術を磨きあげたからこその力。わたしに初めて恐怖というものを教えてくれたほどの力。
陰陽頭を殺したい。
これほどまでに人殺しを切望したことはなかった。震える手で胸をおさえたわたしの心にドロドロの欲望が産声をあげる。
そういえば、まだ呪いから抜けだしていなかった。
わたしは濁った瞳で、剣をみつめる。今となってはあんな骸骨などどうでもいい、こんな呪いにも興味がなかった。
幸いにして、陰陽頭の言葉でわたしはこの呪いを理解した。
今までわたしは顔をあわせたことのある者は親も式神もふくめて皆殺しにしたと信じていたが、考えてみれば確かにまだわたしを知る者がいる。
わたしは剣を首にあてた。
まったく、今まで気がつかなかったことが恥ずかしいぐらいである。己の愚かさにあきれながら、わたしは剣をひいた。
喉から血が噴き出る。首を斬り落としたわたしは、ゆっくりと倒れゆく己の四肢をじっとみつめた。
わたしを知るわたしがまだ生きていたことに気がつかないとは不覚である。
「っ、葛。そっちが狙われてる、俺が呪いで足止めしているうちに逃げろ。」
「ちっ、言われなくても分かってるわよ。」
うるさい。幸せな夢を遮られたような気分で、わたしはまぶたを開いた。
おおきくうねった呪符の流れが、暴れ狂っている。黒い狩衣をまとったかつての呪符博士、骸骨の妖はまるでいたぶるようにふたりの学生を追いつめていた。
落ちこぼれの陰陽師学生といまだ未熟な龍ならばここまで奮闘していることが驚天動地の奇跡なのかもしれない。
だが、そのほとんどは骸骨の嗜虐で説明がついた。
カラカラと笑いながら、骸骨がじわじわと葛を追いつめていく。まき散らされた呪符が幼い子の姿をとって葛にしがみついていった。
「こいつ、っ。こんな気持ち悪い呪符しかもってないの。」
葛の体に手を触れた途端、呪符によって生まれた子が怨嗟の声をあげながらドロリとした泥となる。じわじわと龍の力を蝕んでくる泥に葛が悪態をついた。
「葛、体を縮こまらせろ。オン・ヤロマソロニカ。」
葛を助けるように旭人が真言を唱え、竜巻をひきおこす。旭人たちはみずからを吹き飛ばすことで骸骨から離れた。
骸骨が己から逃げていく旭人たちを嘲笑う。
そして、いまだぼんやりと戦いをみつめているわたしを抱きあげた。わたしの手足がだらんと垂れさがる。
よりにもよって骸骨はわたしを人質にとったのだ。
「まさか、この外道が! 秋継に指ひとつでも触れてみろ、八つ裂きにして……!」
旭人が激昂して飛び出そうとして、葛に止められている。骸骨がそれをからかうようにわたしの頬に白い骨の指をそわせた。
袖からこぼれ落ちた呪符がざわざわとわたしの肌を這う。
旭人が叫んでいるなか、骸骨はわたしの首に手をかけようとする。呪いから逃れたばかりのわたしは、ぼんやりとする頭で剣を握りしめた。
「ああ、うるさいな。」
剣閃が走って、骸骨の腕が斬り飛ばされる。
吹き飛んでいく腕を、骸骨があっけにとられたように目で追っていた。そのまま腰をひくくおとしたわたしが剣を振るう。
慌てて骸骨が後ずさる。だが、わたしの剣は確かにその片足をとらえていた。
カラカラと乾いた音をたてて斬り刻まれた骨が砂のうえに転がる。わたしはそれを踏みぬいて砕いた。
「秋継、無事だったのか。よかった、てっきり死んでしまったかと。」
ほっと安堵した表情で旭人が駆け寄ってくる。だが、わたしはそんな旭人のことなどどうでもよかった。
頭にうかぶのは陰陽頭の姿。
こんな剣であの童女に届くか、いや挑むのもおこがましいであろう。あれほどまで剣に命を捧げたといいながら、このような情けない剣なのか。
深い恥辱に襲われたわたしは剣をぎっと握りしめた。
「どうした、秋継。なんだか目が怖いぞ、まだ呪いにかかってるのか。」
わたしの顔を覗きこんだ旭人が顔を強ばらせる。恐る恐るといったふうに尋ねてくる旭人の言葉をわたしはもう耳にしていなかった。
陰陽頭と骸骨とを重ねあわせる。
瞬間、わたしは深く骸骨の懐に潜りこんでいた。骸骨が呪符をまき散らして幾重にもなる結界をはる。
そのすべてを一刀にて裂いた。
吹き飛ばされた骸骨が天井にはりついてわたしに怒りを露わにする。筆をとりだした骸骨が墨の雫を落とすと、あちこちに隠されていた呪符が黒く染まった。
これがあの陰陽頭ならばどうであるか。恐らくはひとつたりとも陰陽術の守りを破ること能わず、そのまま呪い殺されていただろう。
まだ足りない、あの童女に勝つに足るほど剣に狂っていない。
黒く染まった呪符が骸骨をつつみこんで、やがてひとつの影となる。そして、お父様の姿、狛の姿、旭人の姿と化けていった。
「気をつけろ、そいつは人がもっとも執着する人間に姿をかえるんだ。俺の時は母親に化けた。」
旭人が怒りをにじませながら、呪符を飛ばす。だが、そのすべては黒いもやに遮られて骸骨のもとまで届かない。
旭人の言葉を聞いて、わたしはすでに骸骨がなにに化けるのか悟っていた。
骸骨の体がどんどんと縮んでいく。やがて黒い霞のむこうから人の柔らかな肌がちらちとみえた。
あの、ゆるやかに弧を描いた口もとがすぐそばにある。
「え、童女? 秋継、あいつはいったいなにに化けたんだ?」
旭人のほけたような声が聞こえた時には、すでにわたしから理性は消え去っていた。陰陽頭の姿をした骸骨が、困惑したようにわたしをみつめている。
その姿を目にした瞬間、視界が赤に染まった。
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