第20話 なにゆえ剣の修羅はひとり魔界の京を彷徨うに至ったか

 まぶたを開ける。


 わたしはいつのまにか人ひとりのいない真昼の京にたっていた。鳥のさえずりも虫の鳴き声もしない、まったくの静寂である。


 わたしは心を躍らせる。


 あの骸骨はかつての呪符博士だという。その博士があれほど大がかりな呪いをかけてくれたというのなら、期待しないほうがおかしかった。


 わたしは剣の柄に手を触れ、ただひたすらに呪いを待つ。


 しかし、いくら待てども暮らせどもまったく恐ろしい呪いが降りかかる様子がない。ついにわたしは痺れをきらして京を歩きだした。


 賑やかであるはずの大路には、ぽつんとわたしだけである。


 築地塀を登って誰かの屋敷に忍びこんでも、誰もいない。口をつけられることのなかった昼餉からほのかに湯気がたっていた。


 しばしあてどなく京をさまよう。


 気がつくと、わたしは五十神家の屋敷までやってきていた。なかから親しみのある声が聞こえてくる。


「秋継、どこにおる! 返事をせぬか!」


 庭に顔をだすと、父が怯えたようにうずくまっていた。


 わたしの姿を目にして父の顔にほっとしたような安堵の色がひろがる。わたしも笑顔で駆けよった。


「おお秋継よ、気がつけばこの屋敷におる者はわしのみになってしもうた。だが、秋継がおるのならば問題はなにもない。」


「いいえ、問題はありますよ。」


「は?」


 わたしは剣を父の腹に刺す。


 だらだらと狩衣を染めていく血に気がついた父は、わたしを信じられないようにみつめた。崩れ落ちながらわたしの袖にすがってくる。


「ど、どうして父を殺す。もしや、いまだわしが秋継の剣を軽んじたことを憎んでお許してはくれておらなんだのか。」


「お父様、ここは呪いのなかにございます。」


 ここは骸骨の呪いのなかだ。ならばわたしの目に映る父が本物であるかは限りなく疑わしかった。


 父がわたしの腕のなかで息だえる。


 わたしはそんな父の亡骸を剣の先でおして転がした。どろりと腸が漏れだしてくるのをじっとみつめる。


 だが、いつまでたっても父の死骸は父のままだった。


 もしかすると、わたしの考えは間違っていたのかもしれない。この父はほんとうにわたしの親であったのかもしれない。


「まあ、そんなことはどうでもいいですね。」


 わたしはそれっきりこの父にみえる者のことを忘れることにした。





「秋継、今度もわたしを助けてくれるのよね?」


 狛の姿をしてすがりついてきた者をわたしは頭から両断する。梟が涙を流して嘆いていたのでそれもまた斬った。


「かかか、跡継ぎ殿。剣の道の調子はどうであるかの?」


 自害したのと同じように、山の老人の首を刎ねる。ついでに怯えた葵が半狂乱で震えていたので孫も老人のもとにおくってさしあげた。


「おいらは食ってもうまくないですし、式神なので殺さないでくれますよね。」


 媚びる色をあらわにした童女の手を斬り落とす。狸の姿で死んだので狸鍋としゃれこみたいところであったが、美味しくないそうなので遠慮した。


 親しい者、顔を知っている者をどんどんと殺していく。


 みな鬼気迫った様子で命乞いをしてくるものだから、わたしはこれが現なのか幻なのかわからなくなってきた。演技ならばそうとうのものであろう。


 どちらにせよ、斬るのだが。


 そうして人の亡骸の山をわたしは築いた。山のうえに腰かけて、今度はいったい誰のふりをした者がやってくるのか考えてみる。


 だが、目ぼしい知人は誰もかれも殺してしまって、新しいものが思いつかない。


 骸骨のしかけた呪いも困ったのか、だんだんとわたしに話しかける者の顔がぼやけていく。最後にはぼやぼやとした影がわたしのまわりを囲んだ。


「どうしたのですか、こないのですか。」


 わたしは首を傾げる。


 どうみてもその影はわたしを殺すためにやってきたはずなのに、すこしも動こうとしない。そちらから歩いてきてもらうと歩く手間がはぶけて助かるのだが。


「己の親しい者を殺めて、貴様は恥じないのか。」


 ぼそりと、影のうちのひとりが口を開く。


「この人でなしが。貴様のような薄情者など死んでしまえ。」


「あんなに幼い子の命まで奪うなど、貴様は実に下劣なやつだ。必ずしや天罰が降ることであろう。」


 それにつられたのか、どんどんとわたしを糾弾する声が影のあいだに伝わっていく。わたしは剣の血を拭いながら聞き流していた。


「そうですね、わたしは人にも劣る畜生で悪の権化です。なので、みなさんがわたしを殺してみればいかがですか?」


 しびれをきらしたわたしは影をじっとみつめる。


「天罰などいりません、その手でわたしの首を折ればいい。」


 まったく、はやく襲いかかってきてほしいものである。逃げる背を追いかけるのは弱い者いじめをしている気がしてわたしの趣味ではないのだ。


 わたしの言葉に、影は沈黙する。そして、霞のように姿を消していった。


「つまらないな。」


 これが呪符博士の呪いだというのか。


 もっと殺伐とした殺しあいを楽しめるかと思えば、ただひたすらに命乞いをしてくる人間を斬るばかり。戦わぬ者を斬るのは人道にもとるし、面白くない。


 無論こうして情に訴えかけて油断を誘う、そんな呪いを卑怯だとそしるつもりはない。ないのだが、もっとこうまっすぐに殺しにくる素直さを期待してしまった。


 わたしはたちあがる。


 もしかすると、まだ斬っていない者がいるのかもしれない。人間を探してわたしはふたたび無人の魔京を彷徨った。





 あれからいったいいくつの月日がすぎたことであろう。


 いまだわたしは呪符博士の呪いから逃れられずにいた。動く者はみな斬ってしまったので、この京に生きるのはわたしひとりである。


 これならばすこしばかり生かしておくのであった。そう後悔してもこぼれた水は盆にかえらない。


 幸いなことに腹はすかず、喉も乾くことはなかった。ただ退屈なだけである。


 暇をもてあまして、わたしはただひたすらに剣をふるって技を磨いている。はたしてこの腕がふたたび肉を斬り裂く時はやってくるのだろうか。


 そうしてわたしが洛外にてひとり寂しく草木を試し斬りしていた瞬間であった。


 ふと、遠くから人の歩いてくるのが聞こえてくる。かすかな足音が風に乗ってわたしの耳にまで届いた。


 わたしは顔をあげる。いったいどこの誰だというのだ、もう親しい者はひとり残らず殺しきってしまったのだからこの京にはいないはずだ。


「やあ、初めましてというべきかな。そこの若人よ。」


 黒い狩衣を身にまとったひとりの童女が、口が裂けそうなほどに笑った。





 その童女にわたしは覚えがなかった。ならば、まず間違いなく呪いがわたしを殺そうとしているわけではあるまい。外からやってきたのだ。


 この呪いから抜けだす術の鍵を握っているのかもしれない。


 だが、わたしはそんなことなどどうでもよかった。己の額に冷や汗がたらりと流れていくのを感じる。


 強い、神や陰陽寮のほかの博士などとくらべものにならないほどに。


 わたしは初めて怯えというものを知った。己の丈の半分ほどしかない童女に、わたしは恐怖している。


 カタカタと剣が鞘と触れあって耳障りな金属音を奏でた。足が己の意志に反して後ずさろうとする。


 だが、ああ。


 その恐怖が鮮烈であればあるほど、怯えというものを知った今だからこそ、わたしは身を焦がすような渇きに襲われた。


 斬りたい、殺したい、その心臓を抉りとりたい。


 なんと捻じ曲がった性根なのだろう。己の命がこの童女の手のひらの上にあるというのに、わたしはそんな童女に斬りかかりたくてたまらなかった。


 心に走りぬける衝動をこらえる。脂汗を流しながら刹那の感情を殺そうとするわたしの顔を、その童女は覗きこんできた。


「なるほど、わしが斬りたいか。」


 楽しそうな声色で童女が呟く。たまらず抜き放った剣が空を斬った。


「もったいないの、わしは呪いをこじ開けて己の幻をみせておるにすぎん。呪いの外と中とでは殺しあうことも叶わぬよ。」


 ゆらゆらと池にうつった月のように揺られながら、童女が笑う。わたしはこれほど呪いに囚われていることを後悔したことはなかった。


 恐らくこの童女とわたしとでは勝負にすらならないだろう。


 だが、それでもこの剣をこの童女にむけたい。この童女の手にかかって惨憺たる最期を迎えたい。


 そんなわたしの醜い欲望を悟ったのか、童女がクスクスと笑った。


「わしは陰陽寮の長、陰陽頭を務めておる。おぬしらに顔をみせてはおらなんだが、才のある者がおれば天文道の手ほどきをしておる。」


 わたしの耳もとに童女が囁く。


「そして、剣の武人を鏖殺した最初の陰陽師じゃ。」

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