第19話 なにゆえ剣の修羅は骸骨の呪術に身を投げうつに至ったか

 陰陽寮は術の宝庫である。歴代の博士が時々に陰陽術を屋敷にかけていった末に迷宮となった陰陽寮の全貌を知る者は誰も生きてなどいなかった。


 もはや用いられなくなったその深奥などなおさらである。


 博士であれ学生であれ、陰陽寮で姿を消した者のほとんどは間違って迷いこんで現世に帰ることができなくなったからだとまで囁かれていた。


 そんな陰陽寮の奥にむかって歩くにつれて、どんどんと屋敷が荒れていく。


 穴が開いたままにされている障子に、埃の積もった畳。月の明かりすら届かないここでは油が燃える炎だけが頼りだった。


「ほ、ほんとに問題ないんでしょうね。あたし、こんなところであんたみたいな冴えない男と死ぬまで一緒なんて考えると怖気がするんだけど。」


「それはこっちの台詞だよ。ともかく道は正しいはずだ。」


 旭人が手にもつ草子に目を落とす。気味が悪いまわりを気にしている葛は怯えた顔をしていた。


 わたしはというと、退屈していた。


 もっと妖が蠢いている極楽だと思っていたが、これではかつての世でのちゃちなお化け屋敷ではないか。妖が出てこないのは話が違った。


 つまらないとばかりに剣の手入れをしていると、旭人がようやく歩きだす。


「まず左の障子を開け、次に右の障子、最後に格子を開けて小さな庭に出る、と。」


 旭人と葛が、まわりをぐるりと屋敷に囲まれた狭い庭にでた。庭にはひょろりとした松と、ちょっとした草花が生えている。


 格子越しにふたりを眺めていたわたしは、肌にピリピリとした緊張が走るのを感じた。この庭にはなにか、強い者がいる。


 わたしは喜んで剣の柄に手をかけた。


「よし、なんとかここまではこれたぞ。ここから秘密の薬棚にいけるはずだ。」


「なんか寂しいところね、さっさとみつけて帰りましょう。」


 吹きぬけた冷たい風に葛が体を震わす。首をひとしきりひねった後、旭人が松の幹に手をのばした。


「えっと、松の幹に両手で触れながらそのまわりをぐるりと三周まわる。それだけでいいらしい。」


「わかったわ、幹に手をあててまわりを三周ね。」


 旭人と葛がふたり仲良く幹に手をあててそのまわりを歩きだす。一周、まだなにも起こらない。二周、まだなにも起こらない。


 ふたりが三周目にさしかかったその時だった。


 旭人の瞳が信じられないものを目にしたとばかりに開かれる。葛が不思議そうに旭人の顔を覗きこんだ。


「なに止まってんのよ、つっかえてるんだからとっとと歩きなさい。」


「お父さん……?」


「は? なにボケたこといってんのよ、あんたの父さんは妖に喰い殺されたってこのまえ教えてくれたじゃない。」


 葛の言葉は、旭人の耳には聞こえていないようだった。旭人がちょうどわたしからは反対にある格子をじっとみつめている。


 格子のむこうには誰もいない。ただ暗闇が広がっているばかりだ。


「父さんが、俺を呼んでる。いかないと。」


「旭人、馬鹿なことを言ってないですぐに歩きだしなさい。さもないとずぶ濡れにするわ。」


 明らかに旭人の様子はおかしかった。まるで夢でもみているかのような覚束ない足どりでその格子にむかっていこうとする。


 止めようにも葛は両手を幹につけていなければならない。


 わたしが声をかける暇もなく、旭人が松の幹から手を離してしまった。瞬間、ぞっとするような怖気がわたしを襲う。


 格子のむこうに、なにかが現れた。


 松があっという間に枯れて、流れていたはずの水が止まる。庭にどんどんと闇が迫ってくる。


 旭人はようやく我に返ったように、幹から離れた己の手に気がつく。葛が鋭い目で旭人のすぐそばに駆け寄った。


 格子が、だんだんと開いていく。


 ごりごりと薬がすり潰されていく音がする。黒い狩衣を身にまとったひとつの骸骨が格子の奥にいた。


「……まさか、かつての博士が妖まで身を堕としたというのか。」


 狩衣をみてかすれた声で旭人が絶望をこぼす。その額には冷や汗がういていた。


 陰陽寮の博士に、落ちこぼれの旭人が戦えるはずがない。かの神に等しい力をもつとされる龍でさえ敵うかどうか。


「っ、なにが博士よ! 激流で吹き飛ばしてしまえば誰だろうが殺せるわ!」


 葛が巨大な水柱を骸骨にむけて迸らせる。だが骸骨がさっと手をかざすだけで、まるでみえない壁でもあるかのように塞がれてしまった。


「くそ、やるしかないか。」


 旭人が用意してきたらしい呪符を大量にばら撒く。


 だが、それは後に考えてみれば最悪の手であったとしかいいようがない。骸骨はまき散らされた呪符にカラカラと笑った。


 真っ白な骨の指をさっと横に動かす。


 すると、旭人の放った呪符すべてに墨が走った。とたん、骸骨にむけられるはずだった忌避の呪がすべて龍にむかっていく。


 たったひと筆で骸骨は旭人の呪符を乗っ取ったのだ。


「ぐっ、あんたいったいどういうつもりよ。呪符ってあんなにすぐに奪われたりするものなの。」


「そんなはずがない、そんな離れ業をやってのけるなんてまさかこの骸骨は呪符道の博士だったのか……?」


 そう口にして旭人の顔が青ざめる。骸骨が楽しそうに笑ったまま、わきの筆を手にとった。


 気づけば、いつのまにか松の木を囲むようにして薄い墨で呪が記されている。


「まさか!」


 骸骨の目論みに気がついた旭人が慌てて葛をつれて逃げだそうとした。だが、それよりも骸骨の腕のほうが早い。


 いまだ成っていない呪を筆のひと振りで終わらせる。死を悟った旭人は葛を庇いながら目をつむった。





「まったく、ひとり占めは感心しませんね。」


 もうわたしはいてもたってもいられなかった。こんなに楽しそうな勝負をのけ者にされてただ眺めているだけなんて、我慢できるはずがない。


 わたしはすぐに旭人たちのもとまで駆けると、そのままふたりを呪の外まで蹴り飛ばした。


「なっ、どうして秋継がここに!」


 旭人が驚いて声をあげる。わたしは優しくほほ笑んだ。


 なかなか面白い冗談である、わたしだけないがしろにした薄情者の言葉とは思えない。どんどんと光が強まって、ついに呪いは成った。


 がんじがらめに縛られたわたしはこの呪いから逃れられない。信じられないとばかりにわたしをみつめる秋継にわたしは溜飲をさげた。


 ほらみろ、人をのけ者にするとこうして美味しいところを持っていかれるのだ。


 やり返してやったと清々しい表情のわたしに、旭人が顔をくしゃくしゃにする。悔しがっているのだろう旭人を残して、わたしは呪いに飲みこまれていった。

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