剣の修羅、深奥にて
第18話 なにゆえ剣の修羅は陰陽寮の深奥に足を踏み入れるに至ったか
不思議なことに、旭人はいつのまにかあの龍に心を許されたらしい。笑いながら軽口を叩きあっているふたりをみて、わたしは驚いた。
「秋継のおかげで嫌がらせもなくなったよ、ほんとうにありがとう。」
「いや、いったいなんのことかまったくわからないのですが。」
旭人の言葉にわたしは首を傾げる。とくに己がなにかをした覚えもないのに感謝されるというのはむずがゆいものがあった。
「秋継がまさか刀だけで龍を倒してしまったものだから、学生のなかでは旭人の式神はたいしたことがないっていう噂になったのよ。」
興味なさげに狛が教えてくれる。どうやら学生のあいだでは五十神家の酔狂人が剣だけで勝てたのだから、あんな龍などどうでもいいということになったらしい。
「どのような妖であっても剣の技を極めればすなわち敵わぬことはないというわけですか。確かにそれはまさに真ですね。」
「んなわけないじゃない。あんた、ほんとうの剣狂いなのね。」
わたしがうんうんと頷いていると、葛というらしい龍の瞳に呆れたような色が現れる。旭人も葛とおなじ考えのようだった。
「ともかく、絶対に今度こそはあんたに勝ってやるからその首洗って待っておきなさいよ。」
「それはとても嬉しい話ですね。」
葛がズビシと指をさしてわたしに高らかにうたう。
わたしは龍と戦えるというのならこちらから願いたいぐらいであった。先の勝負ではあっけなく買ってしまって不満だったが、今度こそは楽しめることを祈る。
なにはともあれ、わたしは陰陽寮での暮らしを楽しんでいた。
まず、なによりも妖が尽きないのがありがたい。夜ごとに数十と首を斬り落としても、朝にはもう妖がひしめていて、実に試し斬りがはかどる。
それに、授業も面白かった。
陰陽術の話はあいかわらず興味がなくて眠気を誘ってくるが、それを教える博士たちはまるで極上の果実のようにそそる。
おのおの陰陽術の極みに至った博士たちはわたしが目にかかったことのないほどの強大な力を持っていて、そんな博士たちと戦うことを空想するだけで幸せなのだ。
それに、その知恵の深さにわたしは感嘆するばかりである。
陰陽術を修めることに興味はないといっても、それは学ばないというわけではない。特にこの世では強者はそのほとんどが陰陽師なのでなおさらであった。
敵の技を知ることは、勝負の喜びをより深めるのだ。
そんなふうに陰陽寮を満喫するわたしにもちょっとした不満があった。それは博士たちがまったく教えることが得意でないことである。
博士たちが好んでいるのは陰陽術であって、授業ではない。
つまり博士たちは己の探求の片手間に学生にその知を授けるのであって、教師として陰陽寮にいるわけではないのである。よって聞き苦しい授業も時にはあった。
「うーん、なんだかよくわかんないな。なにこれ、神棚になにを供えるかって儀式ごとに決まってるの?」
神祇博士が先代の記したという指南書に目をこらしながら、なにやらぶつぶつと呟いている。そうかと思うと、そのまま指南書を湖に投げ捨ててしまった。
「ま、いいや。こんなのよりあーしがやったほうが絶対に威力でるし。」
神祇博士はわたしたちと年のそう違わない少女で、この陰陽寮きっての問題児だ。
「いい、神さまに雨乞いとかする時にいっちゃん大切なのはパッション、気持ちだからこんな指南書なんてなんの意味もないの!」
ど派手な色の瞳がやけにキラキラと輝いている。もはや学生のほとんどは神祇博士の話を聞いていなかった。
真言博士のあの真言の唱和もなかなかに理解に苦しんだが、神祇博士のそれはこちらの常識を超えてくる。このまえなど食べかけの唐菓子で神に祈っていた。
しかも、それを成功させてしまうから駄目なのである。
「じゃ、みんなも元気でねー、あーしは昼ご飯は豪勢にシースーにするつもり!」
神祇博士が元気いっぱいな声で古びた草子のならべられた書庫を後にした。博士はあてにならないと独学で指南書を読む旭人は頭から煙をだしている。
そばによってみると、旭人は怨嗟の声をあげた。神祇博士が去っていった障子を恨めしげに睨みながら愚痴をこぼしている。
「あの博士は天才すぎて、凡人の気持ちがわかってないんだよ……。なんだよ、ぱっしょんなんて意味わからない言葉だし。」
「確かにそうですね。才があるとはいえ、それをまわりにも求めるのはいささか酷でしょう。」
わたしが頷いていると、なぜか旭人にため息をつかれた。
「まだ勉強してんの、ほんとあんたって陰陽術できないわね。こっちはもう探し物をみつけてしまったわよ。」
葛が得意げに古びた草子をかざしながら書庫に飛びこんでくる。葛の言葉になぜか慌てだした旭人はわたしの耳をふさいだ。
「? どうしたのですか?」
「あ、あはは。なんでもないよ、恥ずかしい話だから秋継に聞かれたくないなって。」
旭人がわたしの背を手でおして書庫から追いやっていく。その後ろで葛がドジを踏んだとばかりに顔をしかめていた。
「はあ、そうですか。それじゃ先に鍾乳洞のほうにいかせていただきますね。」
「ああ、そうしてくれると助かる。」
あからさまに胸をなでおろす旭人。首を傾げるわたしのすぐ後ろでばたんと障子が閉じられた。
これはなにかあるな、そうわたしはピンとくる。
いったいなんの話なのだろう、もしかするととんでもなく強い妖をふたり占めにしようとしているのかもしれない。
旭人と葛の話が気になったわたしはついつい耳をそばだててしまう。数里先の木の葉の音も聞きつけるわたしにとって盗み聞きなどたやすかった。
旭人のことを思うと胸が痛くなるものの、やめることはできない。
「だから言ったじゃないか、師匠のことは秘密にしておかなきゃいけないって! この陰陽寮の博士たちに師匠のことが知られればどんな目にあうかわからないんだ!」
「わかってるわよ、すこし油断しちゃっただけじゃない……。」
師匠とは旭人の飼っているカワウソのことだろうか、そう呼ばれているのを耳にしたことがある。だが、わたしは旭人の話がまったく掴めなかった。
ごそごそと紙のすれあう音が聞こえてくる。
「……でも、ありがとう。この古文書があれば陰陽寮の奥にいくことができる。もしかしたら師匠がもとにもどる手がかりがみつかるかもしれない。」
「あんた、本気? 陰陽寮の奥は悍ましい妖たちが巣食う迷宮になってるっていってたじゃない、陰陽術ができないあんたが妖と戦えるの?」
「しかたがない、そうでもしないと師匠がずっとカワウソのままになってしまう。」
なんということだ、わたしは旭人に欺かれた気持ちだった。
なぜわたしをのけ者にして恐ろしい妖の巣窟へとむかうなんていう楽しい話をしているのか。わたしと旭人は将来殺しあいを誓った仲ではなかったのか。
「明日からしばらく授業は休みになる、さっそくこの晩から陰陽寮の奥にいってみよう。葛もついてきてくれるか。」
「もちろんよ。あたしをなんだと思ってるの、あんたの式神なのよ。」
そうこうわたしが苦悶しているうちに、旭人たちはとうとうわたしなしでの妖退治の旅を決めてしまった。旭人よ、ほんとうはそんな酷いやつだったのだな。
旭人にふつふつと怒りが湧いてくる。このままではおかない、そんなに楽しそうな旅ののけ者にされてたまるか。
夜、床をきしませながらふたつの人影が陰陽寮を忍び歩いていた。緑の狩衣を身にまとった学生と式神である。
まわりを気にするふたりの頭のうえで、怪しい光があった。
夜遊びにふける学生たちは妖にとってはよい獲物である。らんらんと目を輝かせながら旭人を狙うドクロの亡者の手が、断ち斬られた。
カラカラと音をたてることすら許されない。あっという間に微塵まで斬り刻まれた亡者は声をあげる暇もなく倒された。
「なんだ、砂か?」
旭人が不思議そうに降ってきた白い埃をはらう。
天井の梁に目をこらしても、真っ黒な闇に阻まれてなにもみえない。葛に睨まれた旭人は気の迷いだと言い聞かせて先を急いだ。
まったく気づかれることなく、わたしは梁のうえからそんな旭人をみおろす。そして、音もなく旭人の背を追った。
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