閑話 なにゆえ主人公は剣の修羅を友として哀れむに至ったか
俺が秋継と初めて会ったのは牛車のなかでのことだった。
陰陽寮なんていう不思議な学び舎に舞いあがっていた俺と違って、秋継はとても落ち着いていたことを覚えている。いいところの貴族の子息なんだろうなと思った。
俺が秋継がどこかおかしいことに気がついたのは、牛車のすだれを開けられるようになってお互いに顔を目にしてからだった。
秋継はどこか儚げな雰囲気の少年だ。
その秋継のくりくりとした瞳がかっと開かれて俺をみつめる。居心地の悪くなった俺が身じろぎしたとたんに、秋継はとあることを懇願してきた。
「わたしと殺しあいをしてもらいたいのです。」
そう、頬を赤く染めながら頼まれた時の俺の気持ちを理解してくれる者はこれまでもこれからも一生現れることはないだろう。
恍惚としながら刀を撫でる秋継に俺はその素顔をみた気になった。
蚊ひとつも殺せない顔をしておきながら、秋継は生粋の戦闘狂なのだ、そう感じる。なんの才もない卑しい生まれなのに目をつけられたと俺は怯えた。
秋継の瞳は狂気の光を放っているようで俺は秋継が恐ろしくてしかたがない。だが、戦いへの渇望は秋継の真の姿のほんのひとつに過ぎないことを俺は知る。
秋継は私利私欲と口にしながら妖から学生を守っていた。秋継は殺しあいを望みながら決して俺に襲いかかったりしようとはしなかった。
秋継は、剣の修羅でありながらどうしようもないほど己を律していた。
それは秋継が真剣勝負をこよなく好むという異常な己を社会とすりあわせるために身につけた方法であるのかも知れなかった。
剣の道を歩みながら、同時に人の道を踏み外すことをこのうえなく恐れる。秋継ははまるで己のよりどころをみつけられない哀れな怪物のようである。
それから、俺は秋継を避けるのは止めにすることにした。
俺は秋継が殺しあいをしたいと口にしたことの意味を理解した。あれは、どうしようもない己とでも俺ならば親しくしてくれるもしれないという希望だったのだ。
いまだにどうして俺に秋継が目をつけたのかもわからない。陰陽術がぜんぜんできない俺は、どう考えても秋継の宿敵となるには力が足りなかった。
だが、ともかく俺は秋継と、その許嫁の狛の友人となった。
狛は嫉妬深くて秋継と一緒にいると俺のことを睨んでくる。それでもほかの貴族のように俺の卑しい生まれを嘲ったりしない。秋継は言わずもがなである。
そんなふたりといるのはとても居心地がよかった。陰陽寮が楽しく思えたのはほとんどふたりのおかげだった。
俺は秋継たちとどんどん親しくなっていった、師匠はいい顔をしなかったが。
俺が師匠と呼んでいるカワウソとは、呪いで姿をかえられた人間である。
たまたま道場を開いていたところに顔をだしてから、俺は剣を師匠に教えてもらっていた。だが、ある日に妖から俺を庇ってカワウソになってしまったのである。
師匠は秋継のことを知っているようだった。
秋継のことを口にするたび、師匠は俺を睨んでくる。まるで決して関わりをもってはいけないといわんばかりに、俺が秋継といるのを嫌がっていた。
顔をあわせたことがあるらしいが、師匠は頑として口を開こうとはしない。
おなじ五十神という姓をもっているのだから、なにか因縁でもあるのだろうか。ともかく、師匠は秋継を恐れていた。
俺は師匠の考えがわからない。確かに秋継の剣は目をみはるものがあるが、それでもそんなに怯えるものだとは思えなかった。
つまるところ刀は刀である、熟練の陰陽師には敵わない。それがこの世の常であろう。
もちろん、そんな考えは後に吹き飛んでしまうのだが。
ともかく話を続けると、式神を呼びだした日から俺の陰陽寮での暮らしは酷いものになった。貴族のやっかみが龍を式神にした俺にむけられたのだ。
ちょっとした呪いをかけられることなど日常茶飯事である。湖に突き落とされたり、夕餉がすべて蛆虫にすりかえられていたこともあった。
それに、式神と話ができないのも悩みだった。
俺は狛のように陰陽術が得意なわけでも、秋継のように剣が得意なわけでもない。確かに、そんな弱い俺にかの龍が従うはずがなかったのだ。
俺が話しかけても龍は耳を貸そうとしない。
それでもめげずに声をかけていると眉をひそめられ、俺は水柱で吹き飛ばされるのがオチである。そんな俺をみてさらに貴族たちの陰口が増した。
式神たる龍はあれほど強力なのに、主があんな調子では意味がない。
そんな言葉が俺の心に刺さっていく。もしも狛のような陰陽術が、秋継のような剣術が俺にあったら、もしかしたら龍も俺に従ってくれたかもしれない。
そんな劣等感が俺をさいなむ。それでも秋継は俺に声をかけてくれた。
秋継の式神は化け狸で、陰陽師としてはあまり喜ばしいことではない。だが式神などに惑わされない秋継はまったく気にしていなかった。
ほんとうに、秋継は強い。
それは、式神道の授業の時のことだった。
式神から名を聞きだすという課題が与えられる。俺のことを蔑んでいる龍がそんなことを教えてくれるとは思えないと頭をかかえた。
秋継は早くもあのまるまるとした狸から名を聞いている。俺は秋継のことが羨ましくなった。
だが、俺にとっての悪夢はまだまだ始まったばかりだった。
時間があまったからといって、式神博士がとんでもないことを思いついたのだ。老婆の博士が笑顔でみせてくる紙にはとんでもないことが書かれている。
「そこの婆が面白いことを考えてくれたわ。式神道だけをつかってこのあたしと勝負をしなさい。せっかく式神が手に入ったのだから、力を試してみたいでしょ?」
龍が乗り気なのが俺にとってはあまりにも恐ろしかった。
今の俺では式神を従わせることなどできない。俺に呼ばれた鬱憤を晴らそうと龍が学生を酷い目にあわせても、俺は止めることができないのだ。
挑発するような龍の目つきに、学生たちが静まりかえる。
誰だって命は惜しい、それがなおさら龍との勝負なんていう負けが決まったような戦いならなおさらだ。俺は学生たちの気持ちが痛いほどわかった。
だから、秋継が手をあげた時に俺は動揺した。
龍と戦うということの意味を秋継がわかっているのかわからない。たとえ剣があったとしてもまったく勝負にならない龍に、あんな狸で戦えるとは思えなかった。
いくら俺と戦いたいからといって命を捨てるなんて愚かすぎる。
「まったく問題ありません。わたしがいつもあなたとの勝負を願っていたのは知っているでしょう。こんな好機を逃すわけがありませんよ。」
だが、秋継は俺の言葉に聞く耳をもたないようだった。目を輝かせて龍をみつめている。
俺はただひたすらに秋継の無事を祈った。
それは杞憂に終わる。俺は油断しきった式神に叫びながら駆け出していた。
龍が水柱をあげた瞬間、俺は秋継がまるで蛇のような滑らかな足運びで龍にむかっていっていることに気がついていた。その姿はいつもとはまったく違う。
すんでのところで間にあった俺は、龍を避けさせた。
暴風雨のような秋継の剣撃が俺を襲う。師匠に筋がいいと褒められた俺の剣も秋継のまえでは児戯に等しかった。
思わずうっとりと魅了されてしまいそうなほど美しい剣閃が走る。それだけで俺はどんどんと追いつめられていく。
俺がとっさに手にとった秋継の刀はかなりの業物である。それにくらべて狸が化けた剣は素人でもわかるほどのなまくらだった。
いかな達人でもあんな剣ではろくに戦えないはずである。
なのに、秋継はその絶技でもって俺を圧倒していた。数秒の攻防の後、俺の肩名が弾き飛ばされる。
思わず剣を拾いにいってしまった俺に目もくれず、秋継は龍に襲いかかった。あっというまに遠ざかっていくふたりに俺は追いつけない。
己の無力を噛みしめて、俺はただひたすらに湖で戦う一匹の龍と一人の少年の戦いをみつめた。
秋継はまさに剣の修羅であった。
狂乱に陥った龍の力の暴虐を、まるで赤子が癇癪をおこしているかのようにあしらってしまう。その剣が光るたび、龍から血が噴きだした。
師匠の怯えを初めて理解した。秋継の剣は確かに人のそれを超えた神の御業だ。
そうして、俺が絶対に無理だと考えていたことを秋継はお茶の子さいさいでやってのける。湖の浅瀬に横たわった龍の首に、秋継が剣をそえた。
秋継は止まる様子をみせない。
我に返った俺はとっさに龍を庇って秋継の剣に身をさらす。ようやく正気に返った秋継は申し訳なさそうに剣を降ろしてくれた。
「龍にしては実に拍子抜けであったなと、そう思っただけです。」
秋継の不思議がる声に、龍の肩がびくりと震える。
あれだけ馬鹿にしていた人間に命を奪われかけ、しかも余興だからと情けをかけられることほど誇り高い龍に堪えることなどないのだろう。
「わたしは、それがなぜか疑問でしかたがないのです。龍ならばその体に秘められた力を使いこなしてわたしを叩き潰すことなど簡単なはずなのに。」
秋継の本音は龍の心を砕くのになんら苦労しなかった。
秋継の言葉をもう聞きたくないとばかりに逃げだしていく龍の後を俺は追う。そんな俺をみつめる秋継の瞳は寂しそうだった。
陰陽寮の壁にもたれてうずくまる龍をみつける。俺は無言でその隣に座った。
「……なによ、あたしを笑いにきたわけ?」
「いや、俺が秋継みたいに強いと思うか?」
「そういえば、そうだったわね。」
龍が涙をこらえるように顔を膝に埋める。俺は秋継の寂しげな瞳を思いだして、手のひらをみつめた。
秋継にあれだけ期待されて、それでいてまったく無力の俺があまりにも憎い。
「……どうしてあんたは秋継が初めの水柱でやられてないって気がついたの。」
「べつに、幸運だっただけだよ。たまたま剣を触ったことがあってたまたま秋継の動きがみえた、それだけだ。」
「そう。あんだけ大口叩いておいてボコボコにされたのはあたしって、ほんと馬鹿みたい。」
龍が屈辱を噛みしめるように言葉を吐きだした。俺は秋継のあまりにも美しかった剣閃にため息をつく。
「秋継があんなに強いとは思わなかった。だからさ、力を貸してくれないか。」
「どういうことよ。」
涙声で龍が顔をあげる。俺は隣に座ったまま言葉を続けた。
「俺は友として秋継と肩をならべたい。剣の理も陰陽術も知らない俺だけだったらそれは無理だけれど、おまえと力をあわせればなんとかなるかもしれない。」
「なにそれ、あんたとあたしであんな化け物に敵うと思ってるの。」
「なんとかして勝つんだよ。俺は諦めたくない。」
俺はたちあがって、龍に手をさしのべた。すこし躊躇して、龍がその手をとる。
「おまえはどうだ。このまま負けっぱなしでいいのか?」
「そんなわけないじゃない、いつかあいつにぎゃふんといわせてみせる。」
初めて、俺は龍と心からの言葉をかわしたかもしれなかった。雨降って地固まるというのだろうか、俺は式神と軽口を叩きあいながら廊下を歩いていく。
「……ちなみに、あたしの名は
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