第17話 なにゆえ剣の修羅は主人公との戦いを不満に思うに至ったか

「ほんとにいいのか、秋継。」


 どこか申し訳なさそうに旭人がわたしに声をかける。その旭人の目は遠くで水柱をおこして体を温めている龍にむけられていた。


「俺がいうのもなんだが、化け狸が龍に勝てる道理なんてない。すぐに溺れさせられて終わりだ。今のあいつは気がたってるから式神だけで止まるかどうか……。」


「まったく問題ありません。わたしがいつもあなたとの勝負を願っていたのは知っているでしょう。こんな好機を逃すわけがありませんよ。」


 旭人の言っていることはよくわからなかった。死ぬかどうかで勝負を挑むか挑まないかを決めるなんて、また会えるかもわからないのになんて贅沢なのだろう。


 強者と戦えるというのならその場で死んでも本望である、そうではないのか。


「ほら、さっさと始めるわよ。いっとくけどこの旭人とかいう馬鹿の友人だからって手加減するなんて思わないことね。あたしはあんたをぶっ殺しにいくわ。」


「それは有難い。」


「は?」


 どうやら龍は油断などせずその力をすべてわたしに叩きつけてくれるらしい。その情けに感謝して、わたしは龍とむきなおった。


「いいわ、初めはそちらに譲ってあげる。優しいでしょ、わたし。」


「そうですか。」


 わたしは懐に隠れようとする赤権太を首根っこを掴んでひきずりだす。怯えきって情けない鳴き声をあげる赤権太にわたしは目をあわせた。


「赤権太、あなたは剣に身を変えることはできますか?」


 不審がりながらも、赤権太が首を縦に振る。


「よろしい、では勝負が始まった瞬間に刀に化けてください。」


 そう告げると、赤権太は葉っぱをとりだして準備をした。これでわたしの考えはうまくいった、満足したわたしは式神博士に目をやる。





 式神博士の足もとで沢蟹が旗をかかげた。


 その旗がわずかに傾けられた瞬間、水柱がわたしの足もとから噴きあがる。すぐに鍾乳洞の岩が陥没し、あたりは水しぶきにつつまれた。


「なんてね、嘘に決まってるじゃない。あたしは龍、暴虐の限りをつくしてあんたら人間を跪かせるのよ。」


 龍が嘲笑をあびせる。そんな龍に旭人が顔を歪めて駆けよっていった。


「なに、陰陽術もろくにつかえない旭人がなにか文句あるわけ? あんたもこいつみたいに溺れ死なせてやろうか?」


「馬鹿、違う! !」


 まったく、流石は主人公というべきか。わたしが水柱をすんでのところで躱したことに気がついていたらしい旭人に心のなかで喝采をあげる。


 わたしは赤権太が化けた剣を片手に龍のもとまで迫っていた。


「へ?」


 美しい弧を描いて刃が少女の姿をした龍に吸いこまれていく。だが、旭人に後ろにひっぱられたおかげで手ごたえは浅かった。


 これでは殺しきれていないな。


 わたしはすぐさま追撃をくわえはじめる。そんなわたしから龍を庇うようにたった旭人がいつの間にか手にとっていたのかわたしの刀を抜いた。


 剣戟が響く。


 どうやら旭人には剣の覚えがあるらしい。剣術と呼ぶにしてはあまりにも劣っているが、ともかくも時間を稼ぐことはできていた。


「なっ、くっ、ぐっ!」


 しかし、その時間というのもほんの数秒の話である。その腕を鑑みれば、わたしと剣の技くらべをしようなどというのはあまりにも愚かだったといわざるを得ない。


 わたしは旭人の握る刀を絡めとって、手から弾いた。


「嘘だろ、師匠よりも技が巧い!?」


 なかば悲鳴のような声をあげながら、旭人は剣を拾おうと飛び出す。だが、それはあまりにも甘い。


 わたしがみすみすと剣を拾われるのを待つと思っているのだろうか。


 旭人にひと目もくれず、わたしはひたすらに手負いの龍を狙った。旭人がその狙いに気がついた時にはもう遅い。


 わたしは龍の目と鼻の先までやってきていた。


 剣が煌めく。その瞬間、我に返ったように目を開いた龍が叫び声をあげてその力を暴れさせた。


 鍾乳洞を水没させるほどの波が襲いかかってくる。


 式神博士が眉をひそめて手をさっと振った。瞬間、無数の沢蟹が壁を築いて波を弾き返す。


 そのまま湖まで飛び出した龍は、荒い息を吐いていた。手を胸もとにやると、その手のひらが血で赤く染まる。


「あ、ああ……。」


 怯えた龍の唇がわなないた。剣を無造作に振って刃についた龍の血を振りはらうわたしをみつめたかと思うと、その瞳が恐怖に染まる。


「ああああああああっ!」


 割れんばかりの叫びをあげた龍が、ついに人の姿を捨てた。ばらばらと剥がれた鱗がキラキラと輝きながら湖に落ちていく。


 わたしは怒り狂う龍を静かにみつめた。


 どうやってあの龍の息の根を止めようか、首を斬ればいくら龍といえども命を失うであろう。考えをまとめて、剣をゆっくりとかまえた。


 赤権太が化けたこの刀は鈍らだが、だからこそ技が問われる。


 上等である、龍の鱗だろうがなんだろうが斬り裂いてみせよう。わたしは柄を握りしめて湖に顔をだす岩を飛び移って龍に迫っていく。


 半狂乱で力を解き放った龍の恐れを映すかのように乱れた水柱がわたしに襲いかかった。だが、そんな考えなしの技など耳をふさいでいても避けられる。


 耳から伝わってくるかすかな水音を頼りにつぎつぎと水柱を避けていく。


 このままでは殺される、そう考えたのか龍も水柱をむやみやたらにたてるのは止めた。そのかわり、宙にいくつもの巨大な水球を作りだす。


 ものすごい勢いでわたしを圧し潰そうと迫る水球は、だがわたしに龍へと駆けあがる足場を与えたに終わった。


 水球を蹴ってどんどんと速くわたしは龍にむかって飛んでいく。


 信じられないとばかりにわたしをみつめる龍の瞳と目があった。龍の頭上をとったわたしはそのまま落ちていく勢いにあわせてその腹に斬りつける。


 まるで滝かと思えるほどの血を流した龍はそのまま湖の浅瀬に倒れた。


 痛みをようやくこらえて龍が瞳を開いた時には、わたしはすでにその首に剣をそえている。絶望に瞳を染める龍にむかって、わたしは刀を振りおろそうとした。





「秋継、やめてくれ!」


 その瞬間、旭人が刃と龍との間に体を挟む。今にも龍の首を刎ねようとしていた私は我に返った。


 そういえばこれは単なる授業の余興だ、ここで式神を殺すのは人道にもとる。


「……すみません、つい熱くなってしまって勝負のとり決めを忘れてしまっていました。式神博士、この勝負はわたしの勝ちということでよろしいですか。」


 すべてを目に入れていた式神博士がゆっくりと頷く。


 鍾乳洞から顔をつきだした学生たちは、ようやく龍との戦いに釘づけになっていた目を離した。わたしは座りこんでいる旭人に手を貸す。


「あらためて申し訳ございませんでした。いくら旭人の式神が龍だからといって、頭に血が昇って歯止めが効かなくなるなど剣の道に恥じるべき過ちです。」


「いや、いいよ。そもそも初めに騙し討ちみたいなことをしたのはこいつなんだから。」


 旭人はそっと龍に目をやる。ふたたび人の姿になった龍は式神博士の沢蟹がもってきた呪符であっという間に傷を治していた。


 ただの妖ならばこんなに易々とあんな重傷を治すことはできないだろう、さすがは龍というべきか。


 だが、わたしを目にした途端に震えて後ずさるその姿は威厳ある龍にしてはあまりにも人間臭かった。わたしはすこし眉をひそめて落胆してしまう。


 これが、こんなものがわたしの宿敵たる旭人の式神だというのか。


 わたしはかつて夷勢穂の屋敷で戦った神のことを思い返した。あの神とほとんど等しい力をもつというのに、この龍からはあの底知れない力をまったく感じない。


 せいぜいがちょっとした妖に毛が生えたぐらいのものである。


「その、どうかしたのか。」


 どこか不満げなわたしに気がついたのか、旭人が恐る恐るといった風に尋ねてくる。わたしはすこし躊躇って、本音を明かすことにした。


「龍にしては実に拍子抜けであったなと、そう思っただけです。」


 龍の肩がびくりと震える。


「旭人がわたしに敵わないのは予期していました。この勝負は式神道のほかの陰陽術は封じられていたわけですし、剣でわたしと渡りあうのですから。」


 問題は式神のほうである。


 わたしは龍ならばこんな剣などたやすくあしらえるだろうと考えていた。小説のなかで旭人の式神はもっと強く描かれていたからだ。


 だが、結果としてわたしのような未熟者でも龍を圧倒できてしまった。


「わたしは、それがなぜか疑問でしかたがないのです。龍ならばその体に秘められた力を使いこなしてわたしを叩き潰すことなど簡単なはずなのに。」


 わたしは首を傾げる。果たして、わたしがずっと待ち望んでいた旭人との勝負がこんなものでいいのか。


「っ、秋継もそこまでにしてやってくれ!」


 思わずといった風に旭人が口を挟む。だが、わたしの言葉になぜか涙をうかべた龍はそのまま走って逃げてしまった。


 旭人がその後を追っていく。


「赤権太、もう剣に化けなくともよろしいですよ。」


 ひとり残されたわたしはそう己の式神に告げた。ぼふんと煙があがって、やけに機嫌のいい赤権太が姿を現す。


 だが、わたしは鬱屈とした気分だった。


 旭人の式神がどうしてあんなに弱いのだろう、あれでは満足に真剣勝負を楽しむことすらできそうにない。


 これだけ望んでいたものを手に入れたのに、わたしの気持ちは晴れなかった。

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