第16話 なにゆえ剣の修羅は念願かなって主人公と勝負するに至ったか

「旭人、調子はどうですか。」


 人気のない廊下で、わたしは旭人に声をかけた。わたしの声を耳にして旭人が安堵したように息をつく。


「なんだ、秋継か。ほんと困ったな、こんなものを式神にしちゃったばっかりに散々な目にあったよ。」


「こんなのとはなによ、こんなのとは。」


 旭人の言葉に、そばにうかんでいる青い髪の目つきが鋭い少女が噛みつく。わたしはそんな人のかたちをとった旭人の式神をじっとみつめた。


 旭人の式神は龍である。どうやら小説は正しかったようだ。


 龍は水の流れを統べる強大な力をもち、妖というよりは神に等しい。そんな龍を式神にすることができたものなど陰陽寮の歴史でみても片手で足るだろう。


 それを下賤な家の出の旭人が呼びだした。


 もちろん貴族の歴々はいい顔をするはずがない。しかもその龍が旭人に従おうともしていないとなると、なおさらである。


 このところ旭人は嫌味や嫌がらせにあって神経をすり減らしている。旭人の顔には苦労がくっきりと表れていた。


「そういえば秋継はどんな式神になったの。」


 足を蹴ってくる龍をあしらいながら旭人がわたしに尋ねてくる。わたしは懐から狸をとりだした。


 わたしに首根っこを掴まれた狸はしおらしげに顔をうつむかせている。


「しょうもない式神ね。化け狸なんて姿を変えることしか能のないつまらない妖なのに。」


 龍に貶された。確かに、化け狸なんてものは式神としても下等でむしろ五十神家からみれば落ちこぼれのようなものである。


 しかもすぐに主をたぶらかそうとしたあたり、信頼できるかも怪しい。


「そうですね、もしも役に立たないのなら斬って毛皮にでもしてしまいましょうか。」


 わたしは龍の言葉に深く頷いた。


 よくよく考えてみれば剣さえあればわたしはなんの問題もない。式神として呼ばれたといえこの狸は人を害する妖なのだから、わたしは殺めてもよいとすら考えた。


 ぶるりと震えて青い顔になった狸がわたしの腕にしがみついて媚びを売ってくる。


 そのウルウルとした瞳に、わたしはにっこりと笑った。もしもこいつが剣の道を妨げるようなことがあれば鍋にでもすることにしよう。


「あんた、陰陽術もろくにできない落ちこぼれなだけじゃなくて友人もおかしいのね。式神を殺すなんて言いだす陰陽師なんてろくなものじゃないわよ。」


 龍がわたしをひきつった顔で睨みながら、後ずさった。わたしの本音を嗅ぎとったのか、狸はくぅーんと切なげに鳴いている。


 そんな時、わたしはシューッという鋭いかすれた音を耳にした。


「狛さまも平穏に式神を手に入れられてよかったですね。しかもなかなか優れた妖なようで、さぞ」


「秋継、ありがとう。あそこの旭人に負けたのは癪だけれど、不満はないの。」


 白蛇がずりずりと瓦から這い降りてくる。その胴に腰かけた狛も飛び降りてわたしのそばにやってきた。


 ただでさえ龍に怯えていた狸は、さらに白蛇という妖が増えたことでもはや耐えられなくなったらしい。情けない鳴き声をあげてわたしの懐へと潜りこんでいった。


「そうそう、秋継と親しいらしいから教えてあげるのだけれど、旭人はご愁傷様ね。あなたの噂って流れるのが早いのね、もう陰陽寮の学生はみな知ってるわ。」


 嬉しそうな狛の顔と逆に、旭人はどんどんと顔色が悪くなっていく。わたしは困ったことだとため息をついた。


 式神だけで強さが決まるわけでもないのに、陰陽師は気にしすぎである。もしもの時は剣を抜いて戦えばいいのだ。


「ちなみに秋継、あなたの式神をお借りしてもいいかしら。」


 ふと頭をあげると、狛の端正な顔が目と鼻の先にあった。


 よくみると狛は笑っているようでいて瞳の奥で憤怒が燃え盛っている。その怒りはわたしの狩衣のなかにおさまっている狸を目にするとさらに強まった。


「……その子はオスなのかしら、それともメス?」


 やけに重苦しい声で狛が問いかけてくる。そういえばそんなことは考えたこともなかった。


 わたしは狸をかかげて股の間をみる。


「メスみたいですね。ですが、それがどうかしたんですか。」


「その式神を、わたしに貸してくれないかしら。」


 狛の語気が強まる。ぶんぶんと首を振って嫌だと暴れる狸をわたしは手渡すほかに道はなかった。


 涙目の狸をどこか乱暴な手つきで抱きかかえると、狛がにっこりと笑う。


「次の授業までに返すわ。それまですこしお話をしなきゃいけないの。」


 狸と話をするとはどういうことだろうか、もしかして狛には獣と心をかよわす力でもあるのだろうか。そうわたしが首を傾げているうちに狸と狛の姿は遠ざかった。


「もしかしてだけど、あの女って狸に嫉妬してるの? ほんとに頭おかしいんじゃない?」


「まあ、秋継は気づきもしていないみたいだからしかたがないといえばしかたがないのかも……。」


「やっぱりあんたの友人はどうかしてるわ。」


 信じられないものをみたとばかりに龍が唇を震わせている。旭人と仲良く頭を抱えているので、わたしはそれはよいことだと思った。





 旭人への嫌がらせは陰湿であった。


 やはり貴族にとって陰陽術というのは誇りである。己よりも卑しい身の者が優れた式神を得るというのは腹持ちならないことなのだろう。


「うるさいわね、あたしに指図しないでもらえる! あたしは龍よ、あんたなんかよりもよっぽど陰陽術にも詳しいんだから黙ってなさい!」


「いやだから、これは授業なんだって……。」


 揉めている旭人とその式神を遠巻きにして、学生たちが嘲っている。どうやら旭人の言葉を龍が聞いていないようだった。


 さて、わたしも己の式神とむきあわなければならない。


 わたしはブルブルと震えてうずくまっている狸を眺めた。狛から返してもらってからずっとこの調子で、すこし気の毒に思えてくる。


「おまわり。」


 まるで鬼にでも襲われているかのような俊敏な動きで狸がわたしのまわりを駆けまわる。わたしは手をさしだしてみた。


「お手。」


 血走った目で狸がその肉球をわたしの手のひらに預ける。


 やはり様子がおかしかった。だが呼ばれてすぐにわたしを化かそうとする狸のことだ、これも演技ではないか。


「やはり、いつかは鍋の具にしてしまいましょうか。」


 ぼそりと呟いた言葉に狸がびくりと震える。そんなわたしの肩に手がおかれた。


 式神博士がゆっくりと首を横に振っている。博士の脇から顔を出した沢蟹が式神を虐めてはいけませんと書かれた紙をみせてきた。


 そのまま式神博士は手を叩いて学生たちの耳目を集める。


 白い紙のうえの達筆の文字が次の式神道の授業までの課題として式神の名を知らなければならないと伝えていた。


 式神との契約の儀式はまだ終わっていない。


 妖の名を知って初めて陰陽師と式神とは主従の契りを結ぶことができるのだ。わたしがみつめると、すぐさま狸は葉っぱを頭のうえにのせた。


 煙が満ちる。青白い顔をした童女に姿を変えた狸は頭をすりつけて叫んだ。


「おいらの名は赤権太あかごんたといいます、旦那さま。これからどうぞよろしくお願いいたします!」


 いきなりの大声に、まわりの学生からじろじろと眺められる。年端もいかない童女を土下座させていると勘違いされては困るとわたしは慌てて葉っぱをはらった。


 幻がほどけ、赤権太が煙をたてて狸の姿になる。


 あまりにも脅しすぎてしまったか、ぶるぶると震える狸を落ち着かせるように頭を撫でる。狸鍋のことはもう口にしないようにしようとわたしは決めた。


 それにしても、旭人はこの課題をこなすことができるだろうか。





 式神博士が陰陽寮にちらりと目をやる。だが、授業の終わりを告げる太鼓が鳴らされる様子はまったくない。


 暇を持てあました式神博士は、なにやら余興をすることに決めたらしかった。


 しわくちゃの手で博士が旭人を招く。首を傾げた旭人は龍をひっぱりながら博士のもとまでむかった。


 にっこりとほほ笑んだ博士が手もとの紙を旭人にみせる。


 青ざめる旭人と違って、龍は博士の考えを気に入ったようだった。残虐な笑顔で竜が学生たちにむきなおる。


「そこの婆が面白いことを考えてくれたわ。式神道だけをつかってこのあたしと勝負をしなさい。せっかく式神が手に入ったのだから、力を試してみたいでしょ?」


 ざわめきが学生たちの間に伝わっていく。術を大っぴらに人にむけたことなど一度もない貴族の子たちは、どこか戸惑っているようだった。


「ちょうどいいわ、まわりでがやがや騒がれるのはもううんざりなの。誰でもいいからギッタギッタのメタメタにしてあげる。で、誰があたしに痛めつけられるの?」


 学生たちの目がさっと狛のもとに集まる。龍と戦うことのできる式神がこの場にいるとすれば、それは狛の白蛇のほかにはいないだろう。


 だが、狛は興味なさげに白蛇の尻尾をもてあそんでいる。


「どうしたの、さっきまで威勢がよかったのに急に黙りこんだわね。わたしなんて下賤な男の式神なんだからあしらえるはずでしょ? なんでそんな度胸もないの?」


 龍が学生たちを嘲りだす。そんな龍をながめながら、わたしは考えこんだ。


 これは滅多にない好機だ。あの旭人と堂々と殺しあいに近い戦いをできるのだから断る道理がない。だが、剣をつかえないのは困ったことである。


 素手で龍と戦うのも一興なのだろうが、やはり初めては剣がいい。


 そう悩んでいるわたしは、ふと赤権太に目をつけた。赤権太はまるで龍の怒りから逃れるようにうずくまっている。


 そうだ、この赤権太で戦えばよいのだ。


「もしかして、心のなかでは龍に勝てないって思ってるんでしょ。どんなに口で馬鹿にしても、本能に嘘はつけないものね。そんな下等な生き物なんて……。」


「ではわたしが願おう。」


すっと手をあげる。鼻白んだようにわたしをみつめる龍と、信じられないとばかりに口を開けている赤権太とが印象に残った。

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