閑話 なにゆえ老人の孫娘は一門の跡継ぎに恐怖するに至ったか

 拙、五十神 葵は父の温もりを知らぬ。


 拙の父は祖父に斬り殺されて死んだ。祖父がゾッとするほど低い声で語るには、五十神流の名を汚す醜い剣を振るったからだという。


 もはや拙の肉親は祖父のほかにはない。ゆえに幼心に拙は祖父に愛を求めた。


 だが、拙は顔も知らない父よりもなお劣った弟子であったらしい。何度も技を失敗する拙に、祖父は嫌悪を隠そうともしなかった。


「なぜ、こうも五十神家は剣の才のない者ばかり生まれるのじゃ。神仏よ、わしは己が生を恨むぞ。」


 その言葉が祖父の口ぐせである。


 拙とて剣の修練に励んでいる、だがそれでも祖父の背は遠かった。祖父の弟子たちのなかで最も腕がある拙ですら祖父に負け続きで勝ったためしがない。


 道場の床に拙が倒れふす度、祖父は失望の色もありありとため息をつく。


「そうではない、その技はそうではないのだ。」


 孫の拙さを嘆く祖父に時は無情に過ぎていく。老いて衰えていく祖父はやがて拙に口出しをすることもすくなくなった。


 祖父も口にはしなかったものの、拙を跡継ぎにするほかに道はないと気がついていたのだろう。


 それから祖父は夜遅くまで屋敷を離れるようになった。帰ってくる祖父の息は決まって酒臭い。


 そうして祖父が諦めてしまってから数年が過ぎたある晩、なにもかもが変わってしまった。





 その晩、祖父はなかなか帰ってこなかった。どれほど待てども姿を現さぬ祖父に気もそぞろでない拙は門扉に出る。


 祖父は血まみれになって帰ってきた。


 酷い傷を負っているのにもかかわらず、祖父は瞳を輝かせている。それは拙が初めて目にした祖父の表情であった。


 祖父の肩をささえているのはひとりの少年である。


 初め拙は少年のことをたいして気にしていなかった。力をこめればすぐに折れてしまいそうな華奢な体をしていたし、虫も殺せないような柔和な顔をしていたからだ。


 むしろ拙は祖父がこの育ちのよさそうな少年に迷惑をかけていないか気が気でなかったほどである。


「こちらの方は我が流派の跡取りよ。葵も我が孫娘として失礼のないようにせよ。」


 ゆえに、少年を跡継ぎにすると口にし始めたとき拙はついに頭が狂ってしまったのだと祖父を哀れんだ。


 この女と紛うほどの儚げな容姿の少年は、祖父の理想であろう荘厳な剣術家とはかけはなれている。


 だが、祖父は本気なようであった。


 あの蔵を少年にみせ、弟子たちに跡継ぎを決めたと宣言する。祖父はもはや拙のことなど目にもとめなかった。


 もちろん、拙は反対した。


 いきなり連れてきたどこの誰とも知れない少年を一門の跡継ぎにするといわれて憤慨しなかった弟子などひとりもいなかった。


 いくらなんでも素人を剣術の流派の長にするなど耄碌がすぎる。そう騒ぐ拙たち弟子に祖父は冷たい目をむけてこう語った。


「よろしい、跡継ぎ殿とそこの葵を戦わせよう。勝ったほうがわしの跡継ぎとなる、それで文句はないな。」


 祖父の言葉に拙は喜んだ。この素人を倒せばついに拙が跡継ぎとして認められるのだ、それは祖父に愛されたいという拙の歪んだ切望であった。





 だが、現実は非情である。拙は跡継ぎがただのか弱い少年ではなく剣の修羅であることを知った。


 何度剣を振っても少年に掠めもしない。切磋琢磨した技はいとも容易くはじかれて床に転ばされる。


 それだけではない。少年は祖父とまったく同じことを何度も口出ししてくるのだ。


「腰が入っていない、それでは技の意味をなしません。葵殿はそもそもその剣の術理を理解しておられるのか。」


 拙の心に、ぴしりと傷が走る。少年の呆れたような目が祖父のそれと重なる。


「この勝負はわたしの負けでございます、跡継ぎはお譲りいたします……。」


 拙の心はちょうど十五度目の打ちあいにて折れてしまった。頭をさげて少年に許しを乞う拙の胸は惨めな思いでいっぱいだった。


 たかが数日ほど蔵の書物を読んだだけの少年に完膚なきまでに敗れる。


 その時、拙は祖父の嘆きを理解した。剣の天才というものにかかれば、拙は愚鈍なとるにたらない人間なのだ。





 だが、真の悲劇はそこからであった。


 拙のほかの弟子が少年に鬱屈とした思いをもっていることは知っていた。だがそれが闇討ちに手を出すほど深いものだとは思いもしなかった。


 そして、その結果がこの惨劇である。


 拙は吐き出しそうになるのをこらえるのでやっとであった。七人もの命が一瞬のうちにかき消されてしまう。


 後に残されたのは血だまりにうかぶ肉の塊と、静かにたたずむ少年の姿である。


 初めはどこにでもいる優しげで臆病にみえた少年は、もう拙には地獄から這い出てきた化け物にしかみえない。


親しかった弟子たちの虚ろな瞳がこちらをみつめている気がして、拙は頭をかかえて震えた。


「なんと、満ち足りた勝負であったか。」


 己の命を狙われたのにもかかわらず、あの少年は笑顔で殺しあった弟子たちに感謝している。もはやそれは拙の理解を超えていた。


 祖父と少年との間にかわされた言葉にはすべて耳を閉ざした。


 そうでもしなければ気が狂いそうだった。剣に命を捧げた修羅たちの言葉など、ただの人である拙には毒でしかない。


 祖父が自害する。


「跡継ぎということでご老体は屋敷をわたしのものと言いましたが、葵殿にすべて譲りますよ。蔵のほかはすべて葵殿のものです。」


 少年の言葉を、もはや拙は聞いていなかった。ただひたすらにこの怪物が去るのを祈る。


 しばらくして顔をあげると、少年はこつ然と姿を消していた。





 あれから、拙は蔵を厳重に封じた。拙にとって蔵は剣の修羅の住みかとつながる黄泉への門でしかなかった。


 もう祖父の剣を追うのはやめている。


 今、そのかわりに拙は人を活かす剣を探っている。殺人剣はもううんざりだ。


 新しく五十神仁剣流と号をかかげた道場にはかつての殺気だった稽古はない。みなひたむきに剣の腕を鍛えんと楽しむ者ばかりである。


 祖父のいう剣の道などよりも、拙はこちらのほうが幸せであった。

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