剣の修羅、荒神にて
第6話 なにゆえ剣の修羅は陰陽師に剣をむけるに至ったか
ひさしぶりの京である。かわらず賑やかな街に思わず口もとがゆるむ。
「そういえばあの五十神家の子が屋敷から抜け出してからもうひと月がたつのか。いったいどこでなにをしていることやら。」
「とっくのとうに妖に喰われておろうよ。哀れな少納言殿は憔悴しきって参内もろくに叶わぬとか。」
耳に入ってきた話に、ずきりと良心が痛んだ。
どうやら父上はわたしの家出に気を病んでいるらしい。剣の道を歩むためには避けられなかったとはいえ、子を思う親を苦しめるのは気のいいことではない。
わたしは顔をみられぬよう笠を深くかぶる。
ともかく昼は人目についてかなわない。どうせ妖を試し斬りするにしても夜まで待たなければならないのだから、今は眠っておこう。
橋の下に横になって、わたしは静かにまぶたを閉じた。
目を開く。ちょうど遠くの山に夕日が沈みゆくところであった。
昼は人で賑わっていた橋も、妖が姿を現しだす逢魔が時には誰もいなくなっている。わたしは老人から頂いた太刀を持ってのびをした。
ようやく夜になった。
夜の京は魔界である。恐るべき妖たちが大路を徘徊し、人々は怯えて陰陽師の結界で守られた屋敷にこもる。
ゆえに、わたしは橋をわたる牛車の音を不思議に思った。
妖ではない。この世のものならざる物の怪の気配ではない。それは間違いなく人の乗った牛車であった。
夜の京を歩くなどただの愚か者か、そうでなければよほどの傾奇者であろう。
だが、わたしは牛車の音を聞かなかったことにすると決めた。もしもこれが貴人の夜遊びなのだとしたらみつかれば面倒である。
わたしは牛車が橋を渡り終えるまで待つことにした。
橋の板の間をすりぬけてさしこむ月光が、牛車に遮られて影をつくる。ギシギシと木のきしむ音をたてながら牛車はゆっくりと動いていた。
瞬間、わたしは太刀を抜く。
そして真横に降りたった犬を両断した。命を奪ったにしては手ごたえがなさすぎる、わたしは舌打ちをする。
これは式神だ。
「これはこれは、こんな夜にお出かけとは悪い子ですな。」
橋のうえに飛びあがったわたしに、ひとりの男が声をかけてくる。
「こちらこそ、冠二位の位階の陰陽師が夜歩きなど邪推してしまいますね。」
牛車のそばの男は緋色の狩衣を羽織っていた。それはこの男が優れた腕をもつ陰陽師であることを意味している。
「ほう、なにも知らぬ小童というわけではないようだ。まさか巷で噂の五十神家の子だとでもいうのかな。」
図星をつかれて、わたしは黙ってしまう。男はそばに侍る犬の式神を撫でていた。
「まさかまさかといったところでしょうな。あの五十神家の跡継ぎともあろう童が太刀などという無駄なものを持っているかは不可解ではあるが。」
剣を無駄と言われて、わたしは思わず眉をひそめてしまう。
「わたしはそうは思いませんよ。太刀は素晴らしいものです。」
「はぁ、そうですか。」
わたしの抗議を男はどうでもよさそうに聞き流す。そして口を開いた。
「まあ、それもどうでもよいか。なかなか興味深い呪いをみつけてな、なんらかの儀式に組みこめぬかと盗んできたところというわけよ。」
いきなり牛車の中身を話しだした男にわたしは首を傾げる。どうして男は己の罪を告白しているのか。
「どうして俺がそんなことまで教えるのか不思議そうだな。だが、それは簡単なことよ。小童には死んで口を閉ざしてもらうから問題ないのだ。」
男が犬の式神から手を離す。
「……ゆけ。」
途端にわたし目がけて駆けだした式神は、橋を蹴るたびに数を増やしていった。数十もの犬が血走った目でわたしの喉を食いちぎらんと襲いかかる。
わたしは静かに太刀を横一文字にかまえた。犬の式神たちの体よりもひくく腰をおろす。
「なるほど、それでは陰陽師殿。これは真剣勝負ととってよろしいのですね。」
そして、その剣を一気に振りぬいた。
はるかな昔に足の速い狼どもを一撃でしとめようと考えた狩人がいた。その狩人が編み出した技の理はいたって単純。
すなわち、すべての獲物を太刀の刃におさめればよいのである。
柄のぎりぎりまで手を滑らせ、まるで大きな円を描くように太刀が風を切る。その間にあるものは犬の肉であれ橋の欄干であれすべてを斬りふせる。
まるで巨大な筆を横に動かしたかのように、虚空に剣閃が走った。
数十もいた式神はすべて首をなくし、どさりと倒れる。時折ぴくぴくと震える犬の足がいくつもわたしと男の間に転がっていた。
「……なるほど、その剣は飾りではないというわけか。」
男が鋭い目でわたしをみつめる。
はやくから陰陽師の半身ともいえる式神を皆殺しにできたのは大きい。わたしは笑いながらゆっくりと起きあがった。
「いえ、あれだけの数の犬を操る陰陽師殿の技に、わたしは感服しましたよ。さすがは緋の狩衣を許されし冠二位。」
「やめてくれ、おだてても俺は小童を殺すよ。」
うすく笑いながら男が懐から符をとりだす。そして、ひらひらと風にのせてばら撒いた。
「それに、いくら小童が優れた剣の腕をもとうが、それは意味がない。太刀では陰陽師に勝つことはできないのだからね。」
符が黒く染まっていく。
瞬間、わたしのまわりに黒い水たまりがいくつも現れた。いくつもの腕が蛇のようにわたしに迫ってくる。
あれに触れられればマズい。
太刀で迎撃しようとしていたわたしはすぐさま後ろに後ずさった。
狙いを外したその黒い腕は、橋の板に触れる。黒く染められた板は腐り始め、つんとした刺激臭を放ちだした。
腕は橋に大きな穴を開けただけでは止まらない。
なおも逃げ続けるわたしを黒い腕が追いすがってくる。そんなわたしを横目にみながら男は一言呟いた。
「オン・バロジェクナ・シャク」
おどろおどろしい背筋が冷たくなるような男の声に続いて、カッと閃光が走りわたしの目が塞がれる。
一寸先もみとおせない暗黒にあって、わたしは耳をすませた。ヒュルヒュルと腕が空をきる音が聞こえてくる。
わたしは迫りくる呪腕をすんでのところでかわした。
腕が掠めた笠がジワジワと不穏な音を奏でだす。わたしは笠を投げ捨てて後ろに飛びずさった。
「ほう、まさか真言をくらってなお呪を避けるとは。猿のようにすばしっこいな。どうせ殺されるのだから抵抗するのを止めればよいものを。」
男の驚いたような声が聞こえてくる。だが、男は己の勝利は疑いもしていないようであった。
それもそうだ。今の世で陰陽術に剣で挑むなど荒唐無稽なのだから。
かつて陰陽術は術を発動するのに時間がかかり、剣の敵ではなかった。だが、数百年の昔に現れたとある陰陽師の天才がすべてをかえてしまったのだ。
まったくもって謎であった呪符の記号の意味を紐解き、一瞬にして大いなる呪いをおこせるようにした。
文言が長くしかも数年にわたって何度も唱えなければならなかった真言を省略して縮め、短い言葉で効果を発揮できるように改良した。
それだけで、陰陽術は剣を凌駕するようになる。剣よりも恐ろしい呪いが、剣よりも速く命を奪うのだからまったくもって自然なことであった。
もはや陰陽術は剣にかわって貴族の嗜みとなり、かつての偉大なる剣術のほとんどは姿を消す。
「剣で陰陽師は倒せない。俺を殺したいならその能無しの剣を捨ててむかってくるほうがまだましというものだ。」
男がわたしを嘲る。だが、男はどこかわたしを誤解しているようだった。
剣では陰陽術には勝てない、すぐに殺されてしまう、無謀だ、剣術には限界があるのだ。そう何度も否定された。
だからこそ、おもしろいのではないか。
陰陽師という強者にただの鉄の棒ひとつで挑みかかる、ゆえにわたしの胸は弾み歓喜が湧きあがるのだ。わたしはにっこりと笑ってみせた。
「なんだ、気でも狂ったか。顔が整っているから人買いにでも売りつけようと思ったが、気狂いは買ってくれんな。死ね。」
男がつまらなさそうに手を動かす。それにあわせて黒い腕が俺に殺到する。だが、すでにわたしの姿はすべてを置き去りにして男の懐にあった。
「は?」
獲物を見失った黒い呪腕が困り果てたようにふらふらと揺れる。男は一瞬のうちに姿を消したわたしに目を丸くした。
ほけた顔の男に、にっこりと笑いかけてみせる。わたしが思いついたのは、いたって簡単な理である。
いかな恐ろしい陰陽術であっても、放たれるより先に殺してしまえばよい。
屋敷にて数年の月日をへて編み出した、神速の歩法。風すら置き去りにする究極の瞬歩にてわたしは男の懐に潜りこんでいる。
我が修練は無駄ではなかった。我が剣は陰陽師にも届く。喜びが湧きあがってきて、わたしの顔に大輪の花のような笑みが咲く。
笑顔のまま、わたしは太刀を振りかぶった。
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