第7話 なにゆえ剣の修羅は貴族の屋敷を訪れるに至ったか

 刃が音もたてずに男の首へとむかっていく。男がわたしに気がついた時にはもうすでに遅かった。


 殺った、わたしは確信する。男の絶叫が闇夜に響いた。


「ガアアアアアッ!」


 剣で斬りつけたそのままの勢いで、わたしは男の背後へと駆け抜ける。太刀を振って血を飛ばしたわたしは、奇妙な手ごたえに悟った。


「……あの一瞬で、両腕をひきかえに首を守りましたか。死の瞬間にそれほど冷静でいられる人などどれほどおりましょう、敬服いたします。」


 きれいに切断された腕から鉄砲水のように血を吹きだしながら、男はなんとか命をつないでいた。


 荒い息をした男の顔は蒼白であり、今にでも倒れてしまいそうである。それでもわたしを睨みつけるのは誠に立派なことであった。


「まさか、小童がかような秘技を隠し持っておったことを見抜けぬとは。東海に敵なしと謳われたこの俺も焼きがまわったか。」


「そう恥じることではありません。この技はわたしが生まれてからずっと磨き続けてきたものなれば、陰陽師殿から腕しか奪えぬことが驚きなのですから。」


 わたしの惜しみない称賛に、男が苦い顔をする。ぎりぎりと歯を食いしばりながら、わたしを睨みつけた。


「今わかったぞ、小童は血に飢えた狂人の類であったか。それを知っては侮ることなど許されぬ、俺のすべてをもって小童を縊り殺してくれよう!」


 男の袖から、呪符の雪崩がこぼれ出てくる。一瞬にして大地が暗黒に染まり、数えるのも馬鹿らしくなるほどの黒い腕が飛び出してきた。


 呪符が降るよりも早くに大地を蹴ったわたしは縦横無尽に欄干や塀の上を駆け抜けていく。その後ろをまるで津波のように呪腕が追いすがってきた。


 「オン・バロジェクナ・シャク! オン・ラクシャナミ・コン! オン・ミリシュラク・オウ!」


 男が鬼気迫る表情で真言を素早く唱えていく。わたしはすぐに目、耳、鼻を封じられてなにも感じられぬようになった。


 もはやわたしが頼れるのは肌にひりひりと突き刺さる男の殺気のみである。もちろん、わたしはそれだけでまったく問題なかった。


 わたしは満身の力で瓦を蹴り、虚空に躍りでる。


 瞬きのうちに息がかかる距離まで男に近づいたわたしは、太刀を大きく振りかぶった。今度は防がれるなどという痛恨の過ちは繰り返さぬ。


 北の大地にて、巨大な熊を脳天から股下まで両断することだけを求めた巨漢があった。その男が生涯の果てに辿りついた究極の力の発露を放つ。


 すなわち正真正銘小細工なしの力技、大上段からの振り下ろしである。


「あっ。」


 まるで忘れものに気がついたという風な、間抜けた声が男の最期であった。瞬間、わたしの太刀が男を両断する。


 術者を失い、真言はあっという間に力を失った。わたしの目に光がもどる。


 男が操っていた呪腕はもはや姿も影もなかった。まるで今までの真剣勝負が夢であったかのように満月がしんしんと橋を照らしている。


 わたしと男との命の応酬の証しは、血をまき散らしながら絶命するひとりの陰陽師の亡骸のみであった。


「陰陽道とは、これほどまでに苛烈なものであったか。」


 わたしは倒れふす男の懐から覗きみえる呪符に、あの奇妙な腕の怒涛を思いおこす。あれが陰陽師の力というものなのか、そうわたしは感嘆した。


 わたしはそっとふたつにわかたれた男の成れの果てに手をあわせる。


「陰陽道の深遠を披露してくださったこと、一生忘れますまい。陰陽師殿の華麗な術にわたしは魅了されておりました。また冥府での勝負を待ち望んでおります。」





 しばし男に謝してから、わたしは遠くで止まっている牛車にむかった。男は興味深い呪いと口にしていたが、それはいったいなんだというのだろうか。


 わたしは牛車のすだれを持ちあげて、中を覗きこんだ。


 スゥスゥという安らかな寝息が聞こえてくる。牛車の中には、ひとりの陰鬱な雰囲気をまとった少女が眠りについていた。


 悪夢でもみているのか、時折眉をしかめては苦しげな声を出している。


 わたしは顔をひきつらせた。あの男が盗んだ呪いとは人であったか、ならばあれほど牛車を目にしたわたしの口を封じようとしたことに納得がいくというもの。


 わたしの背をひたりと冷たい汗が流れ落ちる。


 少女が身にまとう着物は貴族の息子であるわたしからみてもこの世のものとは思えないほど華やかで美しい逸品であった。


 こんな天下の傑作をぽんと娘に与えられる貴族など、京でも片手で足りるほどしかおらぬ。しかも、恐れ多くも天皇家まで数えて、である。


 嫌な予感しかしない。


 わたしはいっそのこと牛車を衛士府のそばに残して身をくらましてしまおうかとすら考えた。が、もぞもぞと少女が体を動かしたために未遂に終わる。


 少女が透きとおるような瞳を開けた。


 しばらく寝ぼけたように目をこすっていた少女が死んだ男を虚ろな瞳でじっとみつめる。わたしは慌ててすだれをおろして男の亡骸を隠した。


「……。」


 黙りこくる少女にわたしはできるだけ優しく語りかけた。


「すみませんが、いったいなにがあったのかをお教えいただけませんか。わたしもあの男にいきなり襲われたばかりで、右も左もわからぬ次第でして。」


  私の言葉に、少女がため息をつく。


「わたしは夷勢穂いせほ はくという者です。あそこの男は父の雇った陰陽師でしたが、恐らくわたしを拐そうとしたのでしょう。」


 どうやらわたしの考えは正しく、男は人さらいであったらしい。


 それにしても知った顔の男にさらわれたのにもかかわらず、狛はまったくとり乱していなかった。ずいぶんと気丈なことである。


 ……待て、夷勢穂だと。わたしは目眩がした。


  とんでもない貴族の姫を拾ってしまったものである。


 夷勢穂氏といえば代々娘を天皇家に嫁がせては摂政関白の座を牛耳る、名実ともに京の頂点に君臨する大貴族ではないか。


 どう考えても厄介ごとでしかない。


 今すぐにでも逃げ出したい気持ちだが、夜の魔京に狛をひとりで放りだせば朝には臓物も残ってはいないであろう。


 わたしのなけなしの良心はそれを許さなかった。


「は、ははは……。お屋敷までお連れしましょうか?」


 血の味がする口を動かしながらそう申しでるわたしに、無表情の狛は頷いた。

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