第10話 なにゆえ剣の修羅はまつろわぬ神に挑むに至ったか
「これはこれは客人、いつもお世話になっております。ほんのささやかな礼といってはなんですが、山海の珍味を集めましたので遠慮なさらず召しあがりくだされ。」
上機嫌な梟がわたしを豪勢な夕餉に誘う。梟の言葉のとおり、膳の上には山鳥の肉から海で獲れた魚の炙りものまでご馳走がならんでいた。
高貴な貴族のはしくれであるはずの実家でも、これほどの飯にありつけることなどなかった。わたしは身を縮こまらせる。
「いえいえ、梟さまにこれほどもてなされるようなことはしておりませんよ。狛さまをお守りしているのもわたしの欲ゆえ、褒美などいりません。」
「なにをおっしゃるか、今まで数知れぬ陰陽師が諦めてしまったわが娘を苦しみから救ってくださったのはほかならぬ客人。ならば礼を尽くすのは当然でしょう。」
わたしが膳をそうっと遠ざけようとすると、梟が眉をつりあげて制止してくる。摂政に逆らう気概などもたないわたしはしぶしぶご馳走に口をつけるのであった。
「わしは客人に返しきれぬほどの恩がござるのです。」
庭で花と戯れる狛を優しい目でみつめながら、梟はわたしに語る。もう妖にいたぶられることがなくなった狛は心なしか顔色がよかった。
「わしは夷勢穂の者、この身のすべてを謀略に費やすことになんの苦もありませんでしたし、あの狛のことをのぞいては今でもそうであります。」
京で夷勢穂についていい話を聞くことはあまりない。政争にばかり明け暮れ、敵を蹴落として出世を重ねる伊勢穂一門をよく思う者がすくないのは理であった。
「そんなわしに人の温もりを教えてくれた女がかつてひとりおりました。名は綾子といいましてな、美しい和歌を詠む穏和な人でした。」
昔を懐かしむように梟の目が細まった。
「わしはそんな綾子を心から愛した。わしは綾子とその娘の狛にだけ情をもてたのです。」
だが、梟が愛するそんな狛に夷勢穂の呪いが宿る。綾子は赤子の狛をかばって妖に生きながらに喰い殺された。
「綾子を失ったわしは狛だけは幸せにしてやろうと決めました。」
狛を捨ててしまえという夷勢穂の親族の声を黙らせて、梟は狛の望むことはなんでも叶えようとする。
だが、狛が笑うことはついぞなかった。
「妖に夜がな苦しめられて生を楽しむことなどできますまい。わしは無力だった。だが、客人が狛にひと時の夢をみせてくださった。」
妖にいたぶられることのない、そんななんでもない日々を狛に贈る、そんなささやかなものこそ梟が願ってやまないものであったのだ。
梟がしばし黙る。そして、ゆっくりと口を開いた。
「客人、今までありがとうございました。これで狛もすこしは心安らかに黄泉路を歩めることでしょう。」
「それは、どういう?」
梟の言葉にわたしは首を傾げる。妖をわたしが斬っている限り、狛は無事ではないのだろうか。
「お忘れですかな、夷勢穂の子は元服を迎えるよりも先に絶命するのですよ。まつろわぬ神が、黄泉へと魂を奪いにくるのです。」
「それは……。」
まつろわぬ神、それは朝廷に存在を消し去られた古の神々の残滓である。はるか太古の神代には国造りすらなしたそれら神は絶大なる権能をもっていた。
考えてみれば、夷勢穂を恨むのはこの地で非業の死を迎えた豪族ばかりではないのは言わずもがなであろう。
己を祭り崇める人の子を殺されて祟りをおこさぬ神などおらぬ。
「驚きましたかな、実をいいますと陰陽師どもに断られたのは荒神の祟りを恐れてのことなのですよ。邪魔をして神の怒りに触れては黄泉にゆけるかも怪しい。」
妖と戦っていた時から疑問には思っていた。はたしてこれしきの物の怪で強大な力をもつ陰陽師たちが怖じ気つくであろうか。
そうではなかったのだ。陰陽師たちが恐れていたのは、妖の後ろにひかえるかつての神の恨みであったのだ。
神に人は敵わない、それがこの世の理である。
「黙っておって誠にすみませぬ。ですが嘘もこれにて終わり、神に逆らうなどいくら客人でも頼めませぬからな。」
梟が寂しげに笑う。そして、懐からジャラジャラとわたしがみたこともないような大金をとりだした。
「娘の最後はわしひとりだけで看とりたい。銭は弾みますゆえ、客人も昼のうちに旅に出られるとよろしいでしょう。」
「……それではお言葉に甘えて、別れを告げたくございます。」
いくらわたしでも神に抗うなどできるはずがない。深い悲しみをたたえた梟の瞳から目をそらし、屋敷を後にした。
昼はひっきりなしに貴人が訪れる屋敷は、静まり返っている。花の咲き乱れる池のほとりにはふたりの親子がいるのみであった。
「狛よ、わしはおぬしの幸せを心から願っておった。どうであったか、この世での生は楽しかったか?」
すがるような声で梟が愛娘に問う。狛は眉をひそめて顔をそらした。
「生まれてこなかったほうがまし。」
「そうか。」
梟が肩を震わす。そっぽをむいたまま、狛は口を開いた。
「べつにお父様のせいじゃないわ、ただわたしがそういう縁だったというだけ。だから、わたしを追って死んだら許さない。」
梟の手に握られた短刀が、ほろりと零れ落ちる。梟は今度こそ感情を露わにして顔を歪ませた。
「おぬしに許されなければどうしろというのじゃ、権威に腐りわしに情をなくせというのか! おぬしがいなければわしはもう生きる意味などありはせぬ!」
梟の嘆きもどこ吹く風で、狛はただひたすらに明るい月を眺める。そんな月の光をふわりと飛んできた蛾の群れが隠していった。
神が、訪れたのである。
妖のくる度にすこしは奮闘していた陰陽師たちの結界もまったく働かない。蛾の群れはゆっくりと舞い降りてくる。
なにごとか叫んでいた梟は吹き荒れる鱗粉の嵐に追いやられて聞こえない。己に群がってくる蛾を光のない瞳でみつめながら、狛はぼそりと呟いた。
「……ほんと、どうせ死ぬんだったらもっと早くがよかった。」
「この地にかつてその名を轟かせた偉大なる古の神に、畏くも願い奉ります! 剣の果てを極めんため、わたしが尋常に真剣勝負を挑みましょう!」
わたしは草むらから飛び出した。その手には鈍く煌く刀、もうひとつの手には梟からいただいた銭の入った袋をもって花々のうえを駆け抜ける。
梟が神には抗えぬといったが、あれは嘘だ。
むしろ、まつろわぬ神が狛を狙っていると聞いてわたしはどうすれば神と戦えるのか頭を悩ませた。下手をすれば梟に止められてしまうやもしれない。
いろいろと考えた末が、狛が神に喰われる、その瞬間の乱入であった。
「なっ、客人! いったいなぜここに!?」
「梟さま、やはりわたしは剣を振るいたくてしかたがございませぬ! 約束を破ったからにはこの銭はお返しするのが道理、ではどうぞ!」
目が飛び出んばかりに驚いている梟に、わたしは銭の入った袋を投げつける。いきなり飛んできた袋にのけぞる梟にもう目をくれている暇はなかった。
無数の蛾が粉を漂わせながらわたしの道を塞ぐ。
瞬間、剣閃が駆けた。蛾を次々と斬り飛ばしながら、わたしは狛のもとへと走っていく。
神に剣をむけ、斬りかかる。あまりにも無鉄砲なわたしに梟が息をのんだ。
だが、わたしは神の怒りをかうことなどもはや些事に過ぎなかった。神の祟りなど気にしていては剣の道などすこしも歩めるはずがない。
それよりも強敵との戦いを逃すほうが愚かにすぎた。
蛾の雲をぬけ、狛のもとまで辿りつく。神に挑むことができる喜びに顔をほころばせながら、わたしは狛を背にして剣をかまえた。
「どうして、あなたが……。」
「お伝えしたでしょう、狛さまをお守りする役は死んでも手放すつもりはございませんと。」
妖ばかりか神すらよってくる狛のそばを離れてなるものか。
わたしがそう身勝手に宣言すると、狛が大きく目を開いた。わなわなと震える唇で声を絞り出す。
「馬鹿、馬鹿なの……? そんなことのために、祟り神まで敵にまわして……。」
狛の瞳にじわりと涙がにじんだ。まるで糸がぷつんと切れたかのように狛は嗚咽をこぼし始める。
愚かにも祟り神に襲いかかったわたしを逃しはしないと、蛾がゆっくりとわたしのまわりを囲っていく。蛾の群れが作りだす目玉がぎょろりとわたしを睨んだ。
にっこりとわたしは笑う。はたしてわが剣は神に届くであろうか。
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