第3話 なにゆえ剣の修羅は老人に教えを乞うに至ったか

「おぬし、先ほどの剣の冴えは……。」


 老人がわたしをじっとみつめている。もう厄介ごとに巻きこまれるのはごめんであるわたしはすぐに退散することにした。


 あの鯉とひきあわせてくれたことには感謝しているが、そもそもわたしは剣の修練のほかにはあまり時間をとられたくないのである。


「それでは、ご老体もお気をつけてお帰りになりますよう。」


 わたしは老人になけなしの銭を握らせると、その場を去ろうとした。


「お、お待ちくだされ!」


 老人の悲痛な声がわたしの足を止める。振りかえると、老人は服が水で濡れるのもいとわずに額を河原にこすりつけていた。


「その齢にしてその剣の冴え、おぬしは剣に天賦の才を持つとみた。なればこそ絶えゆく我が流派を継いではくれぬか!」


「かようなこと、すぐには返事できかねます。また日を改めて参りますゆえ……。」


「ひと目みてわしはおぬしこそが切望せし跡継ぎと確信したのじゃ。叶わぬというのならのうのうと生きる意味なし、わしはここで腹をかっ捌いて死ぬぞ!」


 老人が血走った目で渋るわたしをひき止めようとする。


 老人の鬼気迫るさまを煩わしいと思いながらも、わたしの心のどこかが老人の話に興味をひかれるのを感じた。


 おそらくはかつての世のお遊び剣術と違い、まさに殺人剣を伝える流派であるのだろう。ならばその秘奥を教えてくれるというのを断るのもいかがなものか。


「……つまらなき剣ならばすぐにでも去りますが、それでよければ。」


「ありがたや、ありがたや! これで我が剣術も後世に生きながらえるというもの!」


 老人が感極まって涙をこぼす。大袈裟な、と呆れながらもわたしは老人の肩を担いで川を渡った。





「我が庵は遠く深叡山の奥にあり、迷惑をおかけいたしまする。」


 老人に肩を貸し、険しい山道を歩く。すでにして石畳はほころび、もはや山野と区別がつかなくなっていた。


 やがて古びた屋敷が木々のあいまに忽然と姿を現す。


 とうの昔に手入れなど止めてしまったのか、築地塀がところどころ崩れて庭がみえている。こうこうと揺らめくかがり火が照らす門扉に、ひとつの影があった。


「おじい様、ご無事でいられましたか! それでこちらの方は……?」


 駆け寄ってくる少女を、老人はうざったいといわんばかりに手でおいやる。


「こちらの方は我が流派の跡取りよ。葵も我が孫娘として失礼のないようにせよ。」


「は……?」


 老人の孫であるらしい葵が困惑した顔をわたしにむける。残念であるが、びっくりしているのはわたしのほうである。


 なにもそんなに藪から棒に跡継ぎを決めてよいものなのか。


てっきり弟子入りして実力をつけてから言い渡されるものと考えていたわたしは老人の傍若無人に唖然とした。


「そんなことはどうでもよいのだ、とにかく書物庫に参るぞ。」


 傷から血が流れでるのも気にかけず、老人がどんどん屋敷の奥へと歩をすすめる。


 老人が蔵の扉を開けると、古びた草子がいっぱいにつめこまれた棚があった。老人にうながされるまま、そのうちの一冊を手にとる。


 それは、はるか昔に潰えた剣術の指南書であった。心構えから秘伝の奥義まで、もはやこの世にはない流派のすべてが記されている。


 わたしは草子をもつ手が震えるのを感じた。


 これは宝の山どころの話ではない。ただひたすらに命を奪うこと、それを考えてばかりの狂人たちが幾世にも渡って研鑽した剣術がつまっているのだ。


 わたしは蔵を見渡す。


 ここにいったいどれほどの剣の技が隠されているのだろうか。歓喜に震えるわたしに老人がにやりと笑った。


「どうであるか、我が財宝は。わしについてきたことを後悔しておる暇が惜しいであろう?」


「はい、感服いたしました。」


「我が一族は遥かな昔に東国を征した英雄、武命たけるのみことの剣を継ぐ五十神家よ。武命はかの地にて敵の剣術をつぶさに眺め、書物を綴ったのだ。」


 どうやら老人はわが五十神家の遠い親戚であるらしい。同じ五十神を名乗りながら、なぜにわが一族とかくも違ってしまったのだろうか。


 同じ五十神家に生まれるというのならば、こちらの家に生まれたかった。


「ゆえに、わしらの剣術はそれらすべての奥義を身につけるという異形の流派よ。跡を継ぐというのならばおぬしが満足いくまでこの書を読んでもらうこととなる。」


「……謹んで跡継ぎの名をいただきましょう。」


 わたしに断るなどという選択肢はなかった。





 それからというもの、わたしは寝食も惜しんで蔵にこもった。ただひたすらに剣術の海に身を沈める。


 蔵の扉におかれる粥を口にし、むき出しの冷たい土に横になる。そうしてわたしがすべての指南書を読み終えたのは、数週間がたった時のことであった。


 ふらふらと覚束ない足どりで蔵から出る。


 老人が満面の笑みでわたしを待っていた。


「いかがであったかな、跡継ぎ殿。わしらの奥義は。」


「見事でありました。あのような書に囲まれるのが幸せで、一生をこうして暮らしていたいぐらいです。」


「ああ、かように申してくれるのは跡継ぎ殿だけよ。門下の者は誰も蔵に寄ろうとはせんというに。」


 なんともったいないことを、わたしは老人の弟子を羨んだ。これほどの恵まれた境遇にありながら、なんと怠惰なのだろうか。


 意識が遠くなっていく。わたしはばたりとその場で倒れふした。





 蔵籠りで弱ったわたしが養生を終えると、老人によばれる。寝ぼけまなこをこすりながら、わたしは弟子たちのいならぶ道場へと足を運んだ。


「認められませぬ、かような幼子がなぜ我が流派の跡取りとなるのですか!」


 わたしが跡継ぎになると聞かされた老人の弟子たちは腹に据えかねるものがあるようである。


 老人につめよる門下生のなかには娘の葵の姿もあった。


「そもそも跡継ぎならば孫娘である葵殿がいらっしゃる。どこの馬の骨とも知れぬあんな小僧に我が一門をまかせておけるものか!」


 老人がほとほと困り果てた顔で脇に座るわたしに目をやる。ずっと蔵で学んだ技の数々ばかりを考えていたわたしはすまし顔でいかにも話を聞いていた風を装った。


「しかし、困ったの。わしはすでに跡継ぎ殿に蔵のなかをみせてしもうた。あれは我が流派の正統な後継者のみが目にしてよいものだ。」


「ならばそこの小僧を殺してしまえばよい。」


 弟子のひとりがわたしをぎろりと睨みつける。きな臭くなった雰囲気を嗅ぎつけたわたしはうきうきで脇の太刀にそっと目をむけた。


 運がよければ、学んだ剣技を試すことができるかもしれぬ。


「しかし、そうなればわしの跡継ぎはどうするのだ。」


「葵殿がいらっしゃるではないか!」


 弟子たちの目が葵に集まる。葵は頬を紅潮させながら老人をみつめていた。


「葵? 未だこの老人に一撃すらもあたえられぬ未熟者が、か?」


 瞬間、老人がどしりと重い殺気を放つ。先ほどまで血気盛んであった弟子たちが青ざめた顔で後ずさった。


「我が流派はそこまで落ちぶれておらん。ぜひと申すならこのわしを斬り殺してから勝手にするがいい。」


 老人がゆらりとたちあがる。その鋭い瞳がじっと葵にそそがれた。


「よろしい、跡継ぎ殿とそこの葵を戦わせよう。勝ったほうがわしの跡継ぎとなる、それで文句はないな。」

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