第4話 なにゆえ剣の修羅は一門総出で襲われるに至ったか
固い表情の葵と笑顔のわたしとが剣をかまえる。
「両者、勝負に文句はあらんな。」
間にたつ老人が、重々しく尋ねた。勝てば跡継ぎとなれる葵は緊張しているのか、ごくりとつばを飲みこむ。
一方で、わたしの胸は弾んでいた。真剣ではなく木刀での勝負に不満はあるが、この勝負をわたしは楽しみにしている。
蔵のなかでみたあの空前絶後の秘技の数々。それらを学ぶ葵が弱いはずがない。
なればこそ、これは心躍る戦いとなるであろう。
「始めぇっ!」
老人の鋭い合図と共に、勝負が始まる。わたしは葵に先手を譲ることとした。
だらりと木刀を持つ手をさげ、わたしは葵が打ちこんでくるのを待つ。心得のない者からすれば無防備なわたしに、弟子たちから嘲笑が飛んだ。
だが、葵の額には脂汗がにじんでいる。
それもそうだ、これはかつて木々すら生えない峻厳な山にて暮らしていたとある女の奥義。全身の脱力にてありとあらゆる剣を破る、究極の守りである。
葵とわたしとが睨みあいを続けるに至って、弟子たちは騒めきだした。
「葵殿、なにをくずくずしておるか! そんな素人のような構えの小僧などすぐに倒してしまえるだろう!」
「っ、ああああああっ!」
弟子たちの怒声に背中をおされ、しびれをきらした葵が剣を高らかに掲げて吶喊してくる。その背後で老人が目をふせた。
「……この愚か者が。」
なるほど、葵の剣技は理だけをみるのならば正しかった。
わたしの構えはありとあらゆる技に応じることができるが、その果てに敵の技を防ぐことができるかは別の話だ。
いくらわたしでもこの脱力から剛剣をうけ止めることは出来ないだろう。だが、葵の一撃はそのような窮地にわたしを追いやるにはあまりにも未熟であった。
わたしは脱力したまますっと脇に避ける。
「なっ!」
駆けだした勢いを殺すことができない葵は、驚愕の表情のまま虚空を斬りつける。わたしはすっと葵の足をはらった。
体幹の乱れた葵はそのままつんのめって倒れてしまう。宙を舞う葵の木刀を片手で掴んだわたしは、その背にそっと一撃をくわえた。
なんだ、これは。あっという間に勝ってしまったではないか。
わたしは背中をおさえてもんどりうっている葵が理解できなかった。
剛剣というのは必中を期するものである。はじめからどこを狙っているか一目瞭然の技なぞなんの意味もないだろう。
「その技は岩嶋豪巌流の技ですね。あの剣は岩をも砕く暴威ではなく、いつ放たれるかわからぬ恐怖にこそ妙がありますよ。」
先人の技を汚された怒りからか、柄にもなく嫌味を口にしてしまう。倒れふした葵はわなわなと唇を震わせた。
「な、なぜ貴様がおじい様の言葉を。貴様はあの蔵で書物を読んだだけなのだろう……?」
見物する弟子たちにどよめきが走る。幾人かはわたしを怪物でもみるかのような目でみつめてきた。
老人が冷たくわたしに声をかける。
「どうした、跡継ぎ殿。いまだ勝負はついておらぬぞ、葵の心が折れておらん。」
わたしは老人の言葉の意味がわからなかった。わたしは背中に剣を振り下ろしたのだ、真剣であればすでに葵は死んでいる。
だが、老人は真っ黒な瞳でわたしをみつめるばかりであった。
「葵殿、この木刀は返しますゆえ、またゆるりと打ちこんでこられるがよい。」
困ったものである、弱い者いじめなど面白くもなんともない。
ようやく立ち上がった葵にわたしは木刀を手渡す。そしてまた距離をとって今度は木刀を正眼に構えた。
だが、蔵で知った技を試すにはちょうどよい。葵も剣に生きる身なれば剣技を磨きあげることになんの不満もなかろう。
のろのろと葵が剣を握る。そうして勝負はふたたび始まった。
「腰が入っていない、それでは技の意味をなしません。葵殿はそもそもその剣の術理を理解しておられるのか。」
居合にてわたしを迎え撃とうとした葵の懐に入りこみ、その腹を柄でしたたかにうちつける。吹き飛ばされた葵が壁に叩きつけられた。
そんな葵の喉のすぐ横に鋭い突きを入れる。葵が短い悲鳴をあげた。
これで葵に真剣ならば致命傷であろう一撃をくわえるのも十五度目である。剣技の実践がはかどって、わたしにとっては実に充実した時間であった。
「さて葵殿、はやく起きあがられよ。そう寝転んでいては剣の研鑽もできないでしょう。」
もはや弟子の誰も口を開かない道場にわたしの声が響く。
葵の瞳はいつのまにやら恐怖で塗りつぶされていた。わたしが木刀を渡そうとしても手にとろうとはしない。
壁にもたれかかった葵がゆっくりと手のひらを床につけ、嗚咽まじりに頭をさげる。
「この勝負はわたしの負けでございます、跡継ぎはお譲りいたします……。」
消え入りそうな葵の声に、わたしは落胆した。まだまだ剣を交えることができると喜んでいたのに無念である。
「よろしい、これで勝負は決した。そこのご仁がわが流派の跡継ぎとなる。」
老人が厳かに告げた。
誰も口を挟もうとはしない。あれほど意気軒高にわたしの跡継ぎ襲名を非難していた弟子たちはみな青ざめた顔で黙りこくっている。
わたしは肩透かしを食らった気分だった。あちらから斬りかかってくれれば真剣勝負の口実を得られたというものを。
「それでは跡継ぎ殿、これからについての話がございますので屋敷にもどりましょう。」
にこやかな笑顔で老人がわたしに寄ってくる。打ちひしがれて床にうずくまっている葵にその瞳がむけられることは一度たりともなかった。
通夜のようになった道場を去る。
果たして老人は弟子たちをあのままにしておいて宜しいのだろうか。わたしは怪訝に思ったが、師弟の仲に口出しをするのも無粋だと忘れることにした。
「どうでしたかな、我が弟子たちは。」
夕食の席にて老人に尋ねられる。よりにもよって葵がいるこの席で聞くか、老人の無神経さにハラハラしながらわたしは言葉を選んだ。
「なかなか流派の未来を憂う気のよい者ばかりでしたな。師として誇りに思っていらっしゃるでしょう。」
「跡継ぎ殿、嘘はいけませぬよ。葵の剣をみたでしょう、酷いものです。」
老人はわたしの虚飾を斬って捨てた。座敷のはしで細々と焼き魚をつまんでいる葵が肩をびくりと震わす。
「みな口ばかりで剣に生を捧げる覚悟など微塵もありませぬ。跡継ぎとして我が剣技のすべてを授けんとすれば逃げだす始末です。」
老人がギョロリと葵を睨んだ。
葵はなにか言いたげに口を動かすものの、最後には沈黙を選んでしまう。ひどく冷めきった汁物はわたしの舌にはあわなかった。
わたしは散りゆく桜にため息をついた。
つまらない。
てっきりこれから老人の弟子たちと時に真剣を交えながら剣の修練に励むことができると、そうわたしは期待していたのだが。
来る日も来る日も弟子に勝負を頼むも、すげなく断られてしまう。
いったいなぜというのか、剣の道を歩む者ならば勝負は切望するものであって断るなどあり得ないはずではないのか。
老人などは冷たく斬りかかってしまえばよいとのたまうが、いくらなんでも丸腰の弟子に訳もなく斬りかかるなど人の道に背いてしまう。
こうしてわたしはここ数週間の間は庭の草木とばかり遊んでいるのであった。
このままではいけない。人生は短いものである、こうして暇をもてあそんでいる間にいったいいく人の猛者に挑むことができたであろうか。
なによりもせっかく蔵で学んだ剣が腐ってしまう。わたしは決心した。
「ご老体、しばし旅に出とうございます。」
「……そうか、すまなんだな。無駄な足止めをしてしもうた。」
昼餉のついでに老人にそう切り出す。老人もここ数日わたしが退屈でしかたがなかったことを理解してか止めようとしなかった。
「また気がむけば帰ってくるがよい、この屋敷は跡継ぎ殿のものであるからな。」
老人に別れを告げ、その日の晩に屋敷を発つ。あわわくば妖のひとつやふたつでも釣れやしないだろうか、そう願ってのことであった。
だが、禍福はあざなえる縄のごとしとはよく言ったものでわたしにもようやく運のツキがまわってきたらしい。
それは、山道をしばらく歩いて開けた沼地に足を踏み入れた時のことであった。ちらりと木々の奥に潜む影が目に入る。
わたしは見え隠れする弟子たちの殺気に思わず笑ってしまった。
「なるほど、我が一門の同胞のみなさん。いざ尋常に真剣勝負を願うとしますか。」
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