剣の修羅、洞窟にて
第12話 なにゆえ剣の修羅は殿上人の姫の許嫁とされるに至ったか
「客人、桜が散りゆくのは美しいものね。」
おかしい、話が違う。しかめ顔のわたしを寄りかからせながら、狛が満足であるといいたげにほほ笑んでいる。
「もう京の桜は散ってしまいましたが、東国の桜はまだまだ咲き誇っているとか。もし時間があれば旅をしてみましょうか。」
いったいこれはなんの罠であるのだろうか。
わたしは恐れおののいた。剣をむけあう敵の心ならいざ知らず、なぜかいきなり親しげに接してくる殿上人の姫の狙いなど察せるはずもない。
「その、狛さま。いったいこれはどういうおつもりなのでしょう。」
がしがしと頭を撫でられる。まるで狛の犬にでもなったような気分だった。
困りきったわたしとは裏腹に、狛は楽しげである。わたしの髪の毛をいじりながら、耳もとで囁いてきた。
「なにをいまさら。わたしの命を救ってしまったのはあなたでしょう、ならば責を負ってもらわないと。」
荒ぶる神との勝負は実に満ち足りたものであった。今でもまぶたを閉じればあの時の手のしびれが伝わってくる、それほど鮮明に覚えている。
だが、それからなぜか狛につきまとわれるようになったことだけは悩んでいた。
いまだ狛が妖に呪われているのならばわたしも納得したであろう。だが、もう妖に襲われないのであればわたしは狛に興味はなかった。
ようやく生を謳歌できるのに、狛も狛でなぜわたしにこだわるのだろうか。
わたしとしては妙に恩義などを考えずにおはらい箱だと屋敷から蹴りだしてもらってまったく問題なかった。むしろそちらのほうが嬉しかったかもしれない。
「どうしたの、そんなに眉間にしわをよせて。悩みがあるのなら聞きましょうか。」
幸せそうに目尻をさげている狛がわたしの顔を覗きこむ。狛の言葉ももっともだと思ったわたしは胸のうちを明かすことにした。
「わたしには剣の道を極めたいという願いがありまして、そのために強き者との戦いを望んでいます。長い間お世話になりましたが、そろそろ旅に出ようかと……。」
「そう、なら荷造りをしなければいけないわね。」
「は?」
「あら、どうしたの? そんな驚いた顔をして。」
狛はなにか大きな思い違いをしているのではないか。聞き間違えでなければ狛はわたしについていくつもりであるように考えられるのだが。
「間違いじゃないわ、だってわたしを守る役は死んでも手放すつもりはないのでしょう?」
狛はまるでわたしの心を読んだかのようであった。驚くわたしの手を愛おしげに狛がさする。
……なぜだろうか、まつろわぬ神に劣らぬほど背筋がぞっと冷たくなった気が。
ともかく、わたしは狛に誤解であると心を砕いて説いた。わたしが守るといったのは拍が妖に襲われていたからで、今はもうその言葉は意味がないのだと。
狛が頬を膨らませてわたしを睨む。
「もしかしてわたしを守るという言葉はその場限りの嘘だったということなの? そんな酷いことをいわないで、あなたならわたしがいても剣の道を歩めるでしょう。」
険しい表情で狛がわたしに迫ってくる。なす術もなくわたしは冷たい畳のうえにおし倒された。
「そうだ、わたしの
わたしのうえに覆いかぶさりながら、狛が恍惚と笑った。胸もとに顔を埋める狛にわたしは戦慄を禁じ得ない。
なんだ、狛はいったいどうしたというのだ。
いきなりわたしを婿にすると言いだした狛はどうみても正気ではなかった。もちろん達人を呼んでくれるというのは嬉しいものであるが、そういう話ではないのだ。
「ね、悪い話ではないでしょう? あなたはただわたしのそばにいてくれるだけでいいの。それだけで夕餉も狩衣も寝床だって苦労はさせないわ。」
狛がわたしをみつめる瞳には怪しい光があった。まるでこの世ならざる物の怪に命を狙われているような恐ろしさである。
唇が乾いてしかたがないわたしはなんとか理由をつけて断ろうとした。
「梟さまが許しはしないでしょう。狛さまは夷勢穂の姫君でいらっしゃるのですから、高貴な家の公達を婿にすべきです。わたしはどこの馬の骨かわかりませんよ。」
「もともと妖に呪われたわたしを嫁にとろうなんて貴族はいないわ。それに、あなたもそれほど身分が悪くはないでしょう。」
「どういうことですか、わたしは西国の豪族の出です、摂関家とは釣りあうはずがありません。」
嫌な予感がする。 そんなわたしの直感を肯定するように狛がほほ笑んだ。
「謙遜しなくともいいわ、五十神は格が落ちるとはいえ陰陽道の大家。お父様も文句はないでしょう。」
牛車のすだれを持ちあげると慣れ親しんだ屋敷の門がみえる。憂鬱な気持ちのわたしはため息をついて、狛のご機嫌な笑顔を眺めた。
あの後、わたしは梟と狛のふたりがかりで無理やり婿にされた。
もとよりわたしに断ることなどできない。五十神家の者と知られてしまったうえは朝廷で権勢をふるう夷勢穂氏の機嫌を損なうと家族に咎がおよんでしまう。
確かにわたしは剣の修羅ではあるが、人の道だけは外したくなかった。
「さあ、秋継のお父様に挨拶にまいりましょう。あなたの許嫁となった狛でございますと。」
「……はい。」
笑顔の狛がわたしの手を掴んで牛車から降ろす。投げやりとなって狛のなすがままになったわたしは、かつて親しかった下人と目があった。
「は? へ? 若さま?」
「ただいま、お父様はいらっしゃるかな。」
まるで亡霊を目にしたかのように唇をわななかせた下人が手に持つ箒を落とす。そして油のきれた細工のようなぎこちない仕草で隣の狛に目をやった。
瞬間、下人が青ざめた顔で走り去っていく。しばらくして下人の叫び声が庭のわたしたちにも聞こえてきた。
「少納言さま! 若さまがお帰りになりました!」
「なんだ、わしを屋敷からひっぱりだそうとまた嘘をついているな。そんなことわかりきっておるわ、秋継はどうせ妖にでも喰われて死んだのだ!」
聞き慣れていた父の野太い声がわたしの耳に入ってくる。どうやらわたしが家を出てからひきこもっているという噂は真であったらしい。
わたしは申し訳なくなった。
「いいえ、それだけではありません! なんとあの夷勢穂の姫君もお連れになっております! 許嫁とかいっておりますよ!」
「はっはっはっ、つくにしてももっとまともな嘘にしろ。あの高貴なる伊勢穂の姫が秋継のような剣術馬鹿になびくはずがない。」
わたしの頭上に影がさす。背後からぞっとする声でぼそりと呟きが聞こえた。
「……摂政たるわしを待たせるとは、少納言殿もずいぶんと偉くなったの。」
その言葉に、いまだ残っていた下人たちが青い顔で父のもとへと駆けていく。なかなか姿を現さない父に冷たい笑顔をしている梟は恐ろしいにもほどがあった。
わたしは胃がジリジリと痛むのを感じる。
狛だけならまだしも、時の摂政たる梟が父の屋敷にやってくるなどありえないことだ。おなじ貴族といっても五十神と夷勢穂とでは天と地ほどの違いがあった。
「しょ、しょ、少納言さま、摂政もいらっしゃってございます……。」
「は?」
固く閉ざされていた屋敷の障子が開かれる。その隙間から恐る恐るこちらを覗きこんできた父は顔が土気色であった。
「あ、秋継。そこのお方は……。」
「遅れながら、不肖この秋継が帰ってまいりました。こちらは運命のいたずらでお世話になっております摂政さまでござります。」
父がアウアウと言葉にならない言葉を口にする。梟がにっこりとほほ笑んだ。
「少納言殿は摂政をもてなす術も知らぬらしい。身のほどを考えればむべなるかなといったところであろうか。」
政争に明け暮れ陰謀を張り巡らせてばかりいる海千山千の貴族である梟の言葉はみごとに父の心を抉る。
哀れなほどに震えながら父が額を床につけた。
「べつにかまわんよ、少納言殿のご子息にはずいぶんと恩がある。それはそうと、わが娘である狛の許嫁にご子息の秋継をお借りしたい。よろしいかな?」
「……。」
ついで梟の口から放たれたとんでもない願いについに父は泡を吹いて気絶してしまった。
恐らくは父の頭ではもはや梟の言葉を理解することができなかったのだろう。わたしは心の底から父を気の毒に思った。
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