第13話 なにゆえ剣の修羅は小説の主人公と出会うに至ったか

「さて、少納言殿。話の続きとまいろうか。」


 梟がなんの感情もみせない瞳で父をみつめる。哀れにも父は恐れおののき、全身を震わせていた。


「そこの秋継殿には妖退治を大いに手伝ってもらったのだが、その縁でわしの娘の狛が秋継殿を気に入ってな。婿にしたいというのだ。どうだ、金や官位は考えるぞ?」


「は、はひぃ……。」


 父はとにかく額を床にこすりつけるばかりである。そんな父にうすく口を曲げながら、梟がわたしに声をかけた。


「ところで秋継殿は陰陽寮に入られるおつもりかな。」


「え、いえ。もとよりわたしは家を飛び出した身ゆえそんなことは考えもしておりませんでしたが……。」


 いきなり話しかけられたことに胸をドキドキさせながらわたしは答える。


 陰陽寮とは、貴族たちが陰陽術を学ぶ学び舎のことである。陰陽術が貴族の嗜みとなった今の世ではもはやほとんどの子息子女が入学することになっていた。


 だが、もちろん家出をしていたわたしはそんなことを考えたこともない。なんの身分ももたない者が陰陽寮に入ることなど無理に決まっているからだ。


わたしの言葉にわざとらしく狛が声をあげる。


「お父様、わたし秋継と陰陽寮に入りたいわ。だって許嫁ですもの、いつでも一緒にいるのが理というものでしょう。」


「ほうほう、ならば秋継殿が陰陽寮に入らないというのは困ったものであるな。そうは思わんか、少納言殿よ。」


 父がちぎれんほどに首を振っている。


「では、秋継殿は陰陽寮に入られるということで決まりですな。少納言殿の手を煩わせることはありませぬよ、手続きはこちらで済ませますゆえ。」


 みるみるうちに梟に話をすすめられてしまう。時の摂政たる梟に逆らうことができる者など五十神家にいるはずがなかった。


 わたしは剣さえあればよいが、家族はそうはいかないものである。


 父のすがるような瞳を無下にするほど血が冷たいつもりはなかった。わたしをみつめる梟に頷く。


 もともと陰陽寮に興味があったから、これは渡りに船でもあった。


 この世での強者は主人公もふくめてほとんどが陰陽師である。だというのに、わたしは陰陽術をまったくといっていいほど知らない。


 これでは命をかけた真剣勝負の楽しみも減るというものだ。


「では秋継殿、なにかありましたら心おきなくわしに言葉をおかけください。狛の命の恩人たる秋継殿のためならば、夷勢穂家はいくらでも力を貸しましょうぞ。」


 すべてが思ったとおりになったようで、狛はご機嫌だ。だからか、このままわたしが五十神家に残ることも許してくれる。


 ひたすら頭をさげる父を後にして、狛と梟は牛車で去っていった。


 ほとんど半年ほど後にしていた屋敷は記憶のなかそのままである。


 ゆるりとわたしの口が緩む。確かにわたしは剣の修羅ではあるが、剣への執着が優先するというだけで思い出を懐かしむ心がないわけではないのだ。


 すっかり桜の散ってしまって緑の葉が茂る庭でわたしはまた木の棒を振るう。


 ここまで多くの真剣勝負をこなしてきた、その剣は確かにわたしの技に息づいている。屋敷を飛び出した時よりもはるかに鋭い剣の冴えにわたしは幸せだった。





 それから数か月の間、わたしは剣の修練に励むことができた。


 わたしが棒きれを振っていても父はもう文句をいわない。狛が屋敷を訪れる度にわたしは胃を痛める羽目になったものの、そのほかはいたって平穏であった。


 陰陽寮への入学は決まって夏至にある。


 陰陽寮は妖の跋扈する東の山地の奥にあり、この世ならざる異郷にある。もっとも夜の力が弱まる夏至にのみ人をうけ入れるのだ。


 ゆっくりと夕日が沈んでいく。


 夕焼けの空で真っ赤に染まっていく屋敷の門で、わたしは父とふたり陰陽寮の迎えを待っていた。父との間を沈黙のみが支配する。


「……すまなんだ。」


「はい、なんのことでしょう?」


 父が口を開く。わたしは父がなぜ謝っているのかわからず、その瞳をみあげた。


「剣を振るうことに酷い言葉を投げかけた覚えがある。家を飛び出されてからずいぶんと後悔した、こんな子の好みをみとめない親を嫌うのは理であろうと。」


 そういえば、剣などなんの役にもたたぬと貶されたことがある。


 今の今まですっかり忘れていたわたしは父がそのことを気に病んでいるのだと理解した。もちろん、わたしは気にしてすらいない。


 家を飛び出したのはただ単に剣を振るうためだけである。


 そこに父への嫌悪などなかった。わたしは剣への欲望が肉親への情よりも強い人でなしであるのだから、そうした葛藤とは縁がない。


 だが、父はわたしに嫌われていると思っているらしかった。


「すまなんだ、秋継の剣を貶すことすれついに讃えなかったこの愚かな父を許してほしい。」


「こんな放蕩息子に謝ることなどございませんよ、お父様。」


「そんなことはない、過ちを犯したのだからけじめはつけなければ。」


 頭をさげる父をわたしは哀れに思う。父はわたしがどれほど剣に狂った極悪人か理解していないのだ。


 今この瞬間にわたしが剣をぬいて人を殺してまわらないのは、それが人の道に反するからだと己に戒めているからだ。


 もしも父を斬る口実ができたのならわたしは嬉々としてそうするだろう。


 たとえ肉親であっても、凄腕の陰陽師であることには違いがない。そして、わたしが真剣勝負を挑むのにそのほかの理由はいらなかった。





 ガタガタと音をたてて、牛車が歩んでくる。不思議なことに牛のかわりに何千もの沢蟹が牛車を動かしていた。


 陰陽寮からの使いであろうその沢蟹たちはぴたりと牛車を止める。


 わたしがかつて戦った陰陽師よりもはるかに強大な力が、沢蟹の式神からは伝わってきた。そのつぶらな瞳がわたしをとらえると、すだれが持ちあげられた。


 車輪を覆っていた沢蟹がざわざわと積み重なっていき、踏み台となる。


「それでは、お父様。また会いましょう。」


「……ああ、勉学に励むのだぞ。」


 わたしが牛車のなかで腰かけると、すぐに牛車は動きだした。父の姿はすだれの下となってもうみることはできない。


 牛車のなかは暗く、狭かった。わたしは牛車に先客がいることに気づく。


「こんばんは、あなたも陰陽寮にいかれる学生でしょうか。」


「うん、そうだね。それにしてもこんな立派な牛車に乗ったことないからびっくりしたや。」


 すこし西国のなまりが入った言葉づかいの爽やかな声だった。名を明かそうか考えて、わたしは思いとどまる。


 これで身分の違いが大きければ陰陽寮までの旅が気まずくなってしまう。


「いたっ! ……外の景色ぐらいみせてくれたっていいじゃないか、京にきたのは初めてなんだから。」


 少年はわたしのすぐ隣に座っていた。すだれをあげようとしたその少年の指が沢蟹につままれる。


「陰陽寮の場は秘されております。ですので、へたに旅の道を知られたくはないのでしょう。」


「へぇ、物知りだね。でもどうして陰陽寮がそんなにコソコソするのさ、どっしりとしてたらいいじゃない。」


「陰陽寮は貴族に口出しをされるのを大いに嫌うのですよ。」


 陰陽寮にて教師を務める陰陽博士たちは、概して時の権力者たちの命を厭う。博士たちにとっては術の深奥を修めることのほうがよっぽど意味があることだからだ。


 よく観察してみれば、五感のすべてを封じられているのがよくわかった。


 呪のかけられた分厚いすだれに、すこしも揺れることのない牛車。ツンと清らかに匂う香がたかれていて鼻は役に立ちそうにない。


 だが、とわたしはそっと耳を澄ました。とたん、外から漏れ聞こえるほんのかすかな音が手にとるようにわかる。


 道のそばの屋敷から賑やかな宴会が聞こえてくる。話から察するにこれは中納言の屋敷、ならば今はあの大路を下っている最中というわけか。


 わたしは一匹の沢蟹に凝視されていることに気がついて苦笑した。耳をすますのをやめて、少年との歓談を始める。


 こんなところで放りだされれば困ってしまう。





 どれほど時がたっただろうか。わたしは水の音がすることに気がついた。


「なんなんだろう、この音は。」


 少年も気がついたようで、しきりに外を気にしている。やがて我慢ができなくなったのか、すだれに手をのばした。


 今度は沢蟹に止められることはない。少年はすだれを開け放った。


 牛車の外にあったのは、湖であった。懸命に足をかく沢蟹たちによって湖のなかを運ばれていく牛車からは透きとおった水の流れがよくみえる。


 その湖の畔に、陰陽寮があった。


 朱で塗りこめられた寝殿造りのきらびやかな屋敷が夜の闇にあって輝いている。まるで夢幻のような美しい光景であった。


「ふわぁ……。」


 少年がその瞳を輝かせて陰陽寮を眺めている。


 わたしもそのこの世のものとは思えない絶景に目を奪われて……、待て。なにかがおかしい、なにかがわたしの心で叫んでいる。


 息苦しいほどに胸が跳ねていた。歓喜で震える腕を手でおさえつけ、わたしはゆっくりと少年の顔をみつめる。


「え、えっと……。俺の顔がどうかした?」


 困り顔でこちらをみつめる少年に、わたしは雷にうたれたような気持ちだった。


 かつての世でわたしが何度も斬り殺されたふりをしていたあの流行りの俳優にそっくりの線の細い顔。どこか秘められた強い意志を感じさせるその瞳。


 この少年こそが、わたしの追い求めていた生涯の宿敵、あの主人公であった。

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