第14話 なにゆえ剣の修羅は主人公に真剣勝負を乞うに至ったか

 心から巡り会いを願ってやまなかったあの男がすぐそこにいる。


 胸のうちがただひたすらに剣のみに染められていくのをわたしは感じた。いきなり斬りかからなかっただけ、わたしは我慢をしたほうだ。


 無意識に柄にかけられた手をひきはがしながら、わたしはたずねた。


「わたしは五十神 秋継といいます。あなたの名を教えていただけませんか。」


「秋継っていうのか、よろしくな。俺は多津守たつもり 旭人あきひとだ。」


 多津守、旭人。確かにわたしが耳にしたあの小説の主人公の名である。


 わたしは感動にうち震えた。よくよく考えてみれば旭人も身分は低いとはいえ貴族の陰陽師であるのだから陰陽寮にいてもおかしくはない。


「旭人さん、恥を忍んで一生の願いがございます。」


「どうしたんだ。俺がそんなに助けになるとは思えないぞ。」


 どんどんと陰陽寮の灯篭が近づいてくる牛車のなかでわたしは三つ指をついて頭をさげた。旭人が不思議そうに首を傾げる。


 話を聞いてくれる旭人に、わたしは顔を明るくする。こんな赤の他人からいきなり願いごとをされても考えてくれるとは、なんと気がよいのか。


 わたしはにこにこと笑顔で願いを口にした。


「わたしと殺しあいをしてもらいたいのです。」


 腰に佩いた刀を愛おしげに撫でながら、わたしは期待に胸を膨らませて旭人の言葉を待つ。結果として、わたしはすぐに断られた。


 解せない。





「ほんのちょっと、ほんのちょっとでよいのです。首の皮一枚がつながるぐらい、それぐらいでいいからわたしと真剣勝負をお願いします!」


 湖にかかった桟橋に牛車がつけても、わたしは未だ旭人にしがみついて懇願していた。旭人が頭をかかえてわたしをひきはがそうとする。


「いきなり剣をちらつかせて殺しあいをしたいなんて言ってくる狂人に誰が首を振るんだよ、俺はそんな戦闘狂じゃない。」


「そこをなんとかお願いします、一生の願いですから!」


「そりゃ死んじゃったら一生の願いもなにもないからな!」


 すがるわたしを威嚇するように、旭人の狩衣の袖から顔をだしたカワウソが唸り声をあげた。旭人が慌ててそのカワウソを服の中に押しこめる。


「師匠、なに急に顔を出してるんだよ! あんまり人目につきたくないって言ってたじゃないか!」


 旭人がまるで人間に話しかけるようにカワウソに声をかけた。だが、師匠と呼ばれたカワウソはずっとわたしを睨みつけて歯をみせている。


「こちらのカワウソはいったいどうしたのですか。」


「ああ、いやこいつは家で飼ってて猟を手伝わせてたんだ。ほら、カワウソって鼻が利くでしょ。」


 わたしがカワウソに興味をみせると、旭人が冷や汗を流しだした。


 そもそもカワウソとは飼い慣らせるのだろうか。わたしはじっと敵意をむき出しにするそのカワウソをみつめる。


 おかしい、初めて目にしたはずなのにどこかでみかけた気がする。わたしがさらに顔を近づけると、慌てて旭人がカワウソをひっこめた。


「こいつ人慣れしてないから、噛むかもしれないから!」


 カワウソを背に隠して旭人がひきつった笑顔をうかべる。ちょうどその時、わたしの肩が優しく叩かれた。





「お久しぶりね、秋継。元気にしていたかしら。」


 狛が嬉しそうにわたしに飛びついてくる。それだけでいくつの屋敷が建つかもわからない美しい狩衣に身をつつんだ狛に旭人が目をまるくした。


「秋継、その人はいったい誰なんだ。」


「夷勢穂 狛といいます。ここの秋継の許嫁よ。」


 わたしから離れ、思わず息をついてしまうような礼をした狛がにっこりとほほ笑む。旭人はその名を聞いた瞬間に、顔を固まらせた。


「その、秋継。もしかして夷勢穂って……。」


「旭人の考える貴族で間違いはないと思います。」


 狛に聞かれないようにこそりと聞いてきた旭人の問いに頷く。旭人はさらに顔をこわばらせてわたしから身をひいた。


「もしかして、秋継も俺が知らないだけで高名な貴族なのか? こんなに馴れ馴れしく話しかけたら駄目だったのか?」


「確かに父は少納言になりましたが、胸をはって名家と名乗れるほどではありませんよ。狛さまの許嫁の件はやむにやまれぬ訳がありまして、こうなっているんです。」


 せっかく殺しあいたいと夢にまでみた宿敵と会えたのに、距離をとられては困る。事情があるのだと訴えるわたしに、旭人も納得してくれたようだった。


 そんなわたしたちの足もとを沢蟹たちがその小さな足を動かして歩き去っていく。


 やがて沢蟹はひとりの陰陽師の老婆のもとに集まった。黒い狩衣に身をつつんだ老婆の耳もとに沢蟹がやってくるたび、老婆は深く頷きを返している。


 黒の狩衣は陰陽寮の博士のみに許されたものだ。


 老婆のそばにたつもうひとりの黒い狩衣の男が、手を叩いてまわりの学生たちの耳目を集めた。気がつけば学生たちを運んできた牛車はもう姿を消している。


「陰陽寮に入られた学生のみなさま、ひとまずは祝福いたしましょう。ですが、陰陽寮は峻厳なる学び舎ですから喜ぶのはまだまだ遠い、気を抜いてはいけません。」


 男は若いにもかかわらず、ところどころ白髪混じりで苦労しているようにみえた。


「わたしはみなさんに教養を教える文章博士、こちらのかたが式神術を教えられる式神博士です。今後ともよろしく願います。」


 男が話し終えると、式神博士の老婆は無言で陰陽寮の暗がりへと姿を消していく。残った文章博士の男は学生の先頭にたって桟橋を歩きだした。





「みなさんは貴族に生まれなんの不満なく暮らしてこられたでしょう。ですが、この陰陽寮はそんな俗識など捨ててただ生きることだけを考えなさい。」


 文章博士が背中を丸めながら迷宮のような陰陽寮のなかを歩いていく。


 油の灯りが照らす渡り廊下の暗がりで物の怪が蠢いた。ほかの学生たちはみな初めて足を踏み入れる陰陽寮を眺めるのに忙しく気がついていない。


 わたしはそっと太刀に手をかけた。


 月明りに照らされた湖の美しい景色に惹かれてか、ひとりの学生がふらりと廊下の端にそれる。瞬間、手ぐすねひいて待っていた怪異が牙をむいた。


「ひっ!」


 小鬼がその不用心な学生の頭をもぎとろうとその鋭い爪を首にそえた。油断しきっていた学生はなにが起きているのかわからないままにただ瞳を閉じている。


 小鬼が醜い顔を歪めて喜びを露わにしたときであった。


 文章博士の袖からまるで巻物と思えるほどの長い呪符が飛び出し、学生と小鬼との間に挟まる。小鬼は呪符に吸いこまれてそのまま消えていった。


 先ほどまで陰陽寮にはしゃいでいた学生たちがみな黙りこんでしまう。文章博士が重々しく口を開いた。


「ゆめゆめ忘れぬことです。陰陽寮は貴族の理など知ったことない陰陽師たちの巣窟、妖はそも己であしらうものと放っておかれております。」


 にっこりと学生をながめながら、文章博士は語った。


「もちろんきちんと陰陽術を学ぼうと努力すれば問題はありません。ですが、悲しいことにそうでない者は妖に嬲り殺されて物言わぬ死人となりました。」


 博士が指さした壁には、無数の札がかかっていた。そこにはずらりと死んだ学生の名が並べられている。死に様は誰もかれも惨たらしいものだった。


 学生たちがさっと顔を青ざめさせた。


「なるほど、常在戦場というわけですか。なかなかすばらしい学び舎だ。」


 わたしの言葉に旭人がぎょっとして目をむけてくる。だが、わたしは陰陽寮の教えに感銘をうけていた。


 すっと剣を鞘におさめる。


 ベトリと既に息絶えた小鬼の死骸が天井から落ちてきた。その頭と胴とはきれいに切られて分かたれている。


 旭人がちらりとわたしの鞘についた血に目をやった。だが、わたしの剣に気づきもしなかったほかの学生たちはいきなり現れた妖の亡骸に悲鳴をあげる。


 初めてすぐそばで目にした妖に、今まで陰陽師の呪符に守られてきた学生たちは馴染んでいなかった。なかにはそのまま気を失ってしまう者までいる。


 そんな阿鼻叫喚のなか、文章博士はわたしから目を離さなかった。


「……なるほど、すでに陰陽寮に慣れだした学生もいらっしゃるようです。みなさんもこの学び舎のことが好きになれるといいですね。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る