第33話 なにゆえ剣の修羅は開眼するに至ったか

「すぐに横になりなさい、秋継。わたしの式神で運んであげるから。」


「すみません、それはできません。まだ、わたしは陰陽頭を斬っていませんから。」


「なにを馬鹿なことを……っ! どれだけ深い呪いに蝕まれているか考えなさい、陰陽頭に挑んでもなんにもならない!」


 うるさいものである。わたしは泣き喚きながらすがってくる狛を面倒に思った。いっそのこと、斬ってしまおうか。


 わたしは斬らなければならないのだ。


 あの陰陽頭に、あの強者に殺されるというのならかまわない。傷をすこしでも残して逝けたのなら心残りなどなかった。


「わたしはあの陰陽頭を斬りたいのです。あの陰陽頭とくらべれば、今まで戦ってきた陰陽師や妖など、塵あくたもおなじなんです。」


 そうだ、あの陰陽頭こそがわたしの斬りたい人だ。あんな馳走の味をひとたび知ってしまえば、もう忘れることなどできない。


 妖、陰陽師などくそくらえだ。あんな殺しあいもろくにできない、臆病者と戦っていったいなんの楽しみがある。あんなものと戦ってもなんにもならない。


わたしはふらつく足で鐘楼へとむかう。陰陽頭はそこにいるに違いない。


「秋継、その剣の道は違うわ。」


 そうして踏みだした足を、わたしは止めた。





 その言葉は聞き捨てならなかった。たとえ狛がわたしを止めようとしてあてずっぽうに口にしたものだとしても、許せなかった。


 わたしの剣の道はわたしのものだ。


 そう怒りに顔を歪ますわたしを、狛のまっすぐな瞳がつらぬいた。ゆっくりと歩いてくる狛にわたしは言葉がでない。


「おかしいわ、いつもの秋継じゃないもの。秋継はいつも剣に、敵に真摯だった。その剣の道は違ってる。」


 狛がわたしの血塗れの手にそっと触れた。剣を握りしめたわたしの指をひとつずつほぐしていく。


「秋継はどんな妖だって畏敬を欠かさなかった。殺し殺す、敵の技にひたむきだった。そんなふうに、戦った人を貶したことなんてひとたびもなかった。」


 狛の静かな声に、わたしは動くことができなかった。


「秋継の剣の道は逸れてしまってる、技への尊敬を忘れてただひたすらに殺しあいをするのが秋継の夢なの? 剣を極める、そうではなかったの?」


「っ……。」


 狛は、わたしを抱きしめた。わたしの手から滑り落ちた剣が空で赤権太に姿をかえ、わたしの足もとにすりよってくる。


「殺しあいに溺れないで。わたしは剣の道を笑いながら歩いていく秋継が好きなの。」





 こつこつと、足音がした。


「どうした、そちらから殺しにこんからこちらから殺しにきてやったぞ。」


 陰陽頭のちいさな頭がひょいと顔をだす。わたしが狛といるのを目にした陰陽頭の額にしわが寄った。


「なんだ、その女は。剣の道に情などいらぬ、そうなのだろう。いまさら剣の道を捨てたなどいってくれるなよ。」


 陰陽頭がわたしにちかづいてくる。そんなわたしの瞳に、狛のちいさな背が映った。懐から呪符をとりだし、呪でわたしを守ろうとする。


「ここはとおさないわ。」


 狛の震える声に、陰陽頭はおおきくため息をはいた。


「かような術でわしを止めるなど、笑うことすらできんわ。」


 冷めた目つきで陰陽頭が足を一歩踏みだす。それだけで、学生のなかでも優秀なはずの狛の呪は粉微塵に壊された。


「なっ!」


「さて、殺しあおうぞ。とはいっても、天文道を目にして剣の修羅が恐怖に魂を囚われておらぬよう願うがの。」


 驚きで目をまるくした狛に目をくれることもなく、陰陽頭がわたしに声をかけてくる。だが、どこかその言葉には落胆の響きがあった。


 渾身の呪を破られたのにもかかわらず、狛はまた術をしかけようとする。


「っ、させるものですか。」


「うるさいのう、そこの学生。そうまでして死にたいか。」


 そんな狛を、陰陽頭が痺れをきらしたかのように睨んだ。陰陽頭の手がゆらりと動き、狛の術を放たれるより先から崩していく。


「邪魔じゃ、殺してくれよう。わしら修羅のことをなんにもわからぬ者には天文道などつかうまでもない。」


「カ……ッ。」


 陰陽頭が呪を狛にかけていく。首がしめつけられているかのように白くなっていくなか、狛は窒息の苦しみで手足を悶えさせていた。


 わたしはその呪を斬る。


 呪から逃れて落ちてくるところを抱いたわたしは、そのまま気を失っているらしい狛を床に横たわらせた。陰陽頭がすこし楽しげに口を開く。


「おうおう、では殺しあいを続けようかの。」





「まったくわしは気を揉んだぞ、いくら修羅といえど天文道に恐れをなしたかとな。天文道に敵わぬのは道理じゃが、あまりにも興冷めじゃ。」


 陰陽頭は嬉しそうな声色であったが、その瞳は暗く沈んでいた。すこしもの悲しげに陰陽頭が手をむけてくる。


「その礼といってはなんじゃが、なるべく楽に殺してやろうぞ。」


 天の星が、動いた。


 天文道、星の定めた運命がわたしに降りかかる。陰陽頭はわたしの死をみつめることもせず目をそらした。


 狛のいう、剣の道とはなんであろうか。


 わたしは静かに戦ってきた者たちの物言わぬ顔を思い起こした。鯉に道場の娘、陰陽師に神、龍に死人の博士……。


 その、ひとつひとつの戦いを考えていく。


 鯉はわたしに剣を振るうことの喜びを思い出させてくれた。あの老人の孫はわたしが蔵で学んだ技を身に染みつかせるのを助けてくれた。


 どんどんと戦いでわたしが学んだことが思いうかんでくる。それだけではない。


 あの時、わたしは確かに剣を振るうのを楽しんでいた。剣の技を極めるのを楽しんでいた。


「なるほど。狛さまのいう剣の道とはこのことか。」


 そう呟いて、わたしは運命を斬った。





「むぅ?」


 陰陽頭が首を傾げている。


「わしの思い違いでなければ、お主はあと数瞬のうちに臓物を吐き散らして死ぬ運命であったはずなのだが。」


 わたしはただ静かに剣をかまえる。陰陽頭がまた手をかざした。


「ま、よい。いくらでも殺してやろうぞ、剣の修羅よ。」


 天が動き、煌めく星々が流れ始める。わたしは剣をかかげ、そして星々が照らしだす運命をまたも斬った。


「っ、まさか、お主! 運命そのものを斬ったというのか……!?」


 陰陽頭がなにかに気がついたかのように目をみひらく。歯をむきだしにしてわたしを睨む陰陽頭にわたしは静かに剣をかまえた。


 わたしの技を磨きあげてくれたすべての戦いに感謝する。


 たとえそれがどれほどか弱い妖であったとしても、その死はわたしの糧となり剣のなかで生きている。その縁を感じた時、わたしは運命を斬れるようになっていた。


「あ、ありえん。かような摩訶不思議なことをたかが鉄の塊ごときでなしただと! こんなもの出鱈目ではないか!」


 陰陽頭の顔に、はじめて驚きと畏れが露わになった。わたしはただ剣を静かにかまえる。


 なにがあろうとも、ただひたすらに斬る。


 わたしは孤独などではない。いままで殺してきた無数の怨嗟が、怨念がこの剣をふるうたびにわたしのそばにいる。


「っ、ならばその剣でも斬れぬほどの強大なる運命でもっておぬしの矮躯を捻り潰すだけのことよ!」


 陰陽頭が両手を天にかかげた。


 星々がまるで風に舞い散る桜の花びらのように目まぐるしく天を駆けていく。あまりにも無茶な陰陽頭の術に亀裂が天にはいった。


 濃密な死の運命がわたしに襲いかかってくる。


「死ぬがよい、剣の修羅よ。わが天文道を破ることは誰であっても敵わぬのだ!」


 ありとあらゆる疫病、呪術、悲劇がわたしにのしかかろうとしてくる。わたしは剣でもってすべてを斬り裂いた。


 なにも起こらぬ陰陽寮にて、ただ陰陽頭の荒い息が静寂を破っている。


「なにゆえだ、なにゆえお主は運命を斬るなどという驚天動地に至った! なにゆえわしには至ることができず、おぬしは至ることができたのじゃ!」


 陰陽頭がまるで理解できないとばかりに童のように叫んでいる。その瞳にはありありと嫉妬の色がうかんでいた。


「なんなのじゃ、その剣は。わしが数千の歳月をへて編みだした天文道が、なにゆえ今さらになってかような小僧に破られる。」


 わたしは、陰陽頭の気持ちが痛いほどよくわかった。


 つい先ほどまでわたしもまったく同じだったからだ。弱者を侮り強者との殺しあいのみに執着する、そんな愚かな者であったからだ。


 たとえどんなに弱くとも、たとえどんなに強くとも、剣において人は平等である。


 どんな敵であろうともその技にはその敵の人生の理があり、そしてゆえに軽んじることなど許されるはずがない。そのことを忘れていたのだ。


 ただひたすらに敵に学び、剣を振るう。その楽しみこそが剣の道。


 ならばこそ、気の遠くなるほどの歳月をへて人に失望した陰陽頭はその楽しみを失ってしまった。


 弱者の技を無駄と斬って捨て、ただ己のような狂人を求めても至ることなどない。


「な、なんだそれは。」


 星の流れをとおしてわたしの頭のなかを読んだのだろう、陰陽頭が後ずさる。ぶるぶると怒りのあまり震えるその手から血がたらりとたれた。


「なにゆえ凡愚になど学ばねばならぬ! 陰陽の道などは狂人のみでけっこう、理もわからぬ馬鹿になぜ敬意をはらわねばならぬというのだ!」


「なぜなら、剣でも陰陽でも殺しあいでは誰もがおなじだからです。」


 陰陽頭がわたしの言葉にうつむく。ギリギリと歯がすれあう耳障りな音が聞こえてきた。


「……ふざけるな、かようなぬるま湯などわしは興味がない。かように落ちぶれた剣の修羅など、わしが恋焦がれた者ではない!」


 陰陽頭の激情にまかせて、呪いが運命が、なにもかもがぐちゃぐちゃになってわたしに襲いかかってくる。そんなものなど、斬るのは容易かった。


「ああああっ!」


 陰陽頭が天をかきまわす。


 星と星がぶつかり、あきらかにおかしな動きで集まっては離れていく。暴れ狂う運命が大地を割り、海を干上がらせ、嵐を巻き起こす。


 天文道などというものではない人の身を超えた力に、わたしはそれでも斬った。


「馬鹿な、わしが負けるだと。しかも、よりにもよって凡愚と肩をならべようなどという甘ったれた修羅もどきに、だと。」


 陰陽頭へと歩いていく。


 憤怒、恐怖、絶望。感情でぐちゃぐちゃになった陰陽頭が天文道の術を放ち、呪符をまき散らしてもわたしが斬ることにはかわりがない。


 かつてのようにただ斬ることだけに盲目になることはない。


 陰陽頭の積みあげてきた術、そのすべてに感謝しながら斬っていく。かつての敵の技を重ねあわせ、感謝しながら斬っていく。


「なぜじゃ、なぜじゃ。なぜわしはお主の腑抜けたはずの剣にどうしようもなく心を動かされる。魅入ってしまう……。」


 やがて、陰陽頭の瞳から涙がこぼれ落ちていく。悲しげな瞳でわたしの剣を眺める陰陽頭は、もはや言葉を口にしなかった。


 陰陽術の嵐のなかで、わたしと陰陽頭に沈黙が訪れる。そうして、わたしは陰陽頭の首にそっと刃をそえた。


「あ……。」


 陰陽頭がどこか救われたような声をだす。まるで死を望んでいるかのように動きをとめた陰陽頭に、わたしは剣を鞘におさめた。


「それでは、これにて勝負はついたということで。」


 地にうずくまった陰陽頭が、わたしを涙でうるんだ目で睨みつけてくる。


「なぜわしを斬らん。情けのつもりか、それとも陰陽の道にこだわるわしを嘲っているのか。」


「いえ、ただ陰陽頭さまが至ることなくして斬るのはもったいないと思っただけのことです。また、楽しく斬りあいましょう。」


 陰陽頭が、かつてのように誰との戦いでも心から楽しめるようになる日は来るのだろうか。わたしはそれを切に願う。


 ゆえに、今は斬らない。


 また敵への真摯なる畏敬をとりもどした時こそ、陰陽頭はもっとも強くなるだろうから。わたしはそれを楽しみにするつもりだった。


「なんだ、それは……。」


 うちひしがれた陰陽頭に、わたしは背をむける。ああ、なんとも素晴らしい戦いだった。


 わたしはまた己の口が弧を描いているのをはっきりと感じる。


「ああ、深淵を覗きし陰陽師よ。この勝負、また陰陽の道へのひたむきな思いをとりもどした後まであずけようぞ。」

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