14話
ガチャリという音が響く。
私はハッと意識を戻した。
どうやら気付かぬうちに眠っていたらしい。
窓から見える空はオレンジ色に染まってる。
なにもせずに部屋でのんびりと時間が過ぎるのを待とうとか思ってたのが間違いだったのかも。ぽかぽかした陽気に当てられたら否が応でも眠ってしまうものだろう。
こればかりは生理現象なのだからしょうがない。
くしゃみや欠伸と同じだ。
と、それらしい言い訳を並べてみたけど、看病中に眠ってしまったという事実は拭えない。
というかこの音なに? 一階からめちゃくちゃ生活音が聞こえてくる。
こりゃもう誰か生活してるんじゃないかってくらいだ。
「こわ……」
抱いた感情を隠すことなく吐露する。
まぁ、陰キャちゃんは寝てるわけだし誰かに聞かせようと思ったわけでもないんだけどね。
生活音の中に紛れる足音はこつこつと大きくなる。
こちらに一歩、また一歩と確実に近づいてるのがわかる。
音が大きくなるにつれ、焦りがどんどんと募る。どうしよう……なんてどうしようもないことを考え始め、うろうろと部屋の中を動き回る。
強盗かな。
強盗だろうか。
いやいやそんなわけないだろ、と一蹴するけど他に思い浮かぶかと言われれば浮かばない。考えれば考えるほど強盗だろうという結論に至り、可能性が色濃くなってしまう。
陰キャちゃんの言ってたことは強ち間違えじゃなかったんだ、って。
陰キャちゃんを抱えて逃げ出すことはできない。
私一人ならこの窓から飛び降りてもなんとか生き長らえることができるかもしれないけど。
見捨てられない。
ましてや病人を。と、なると戦う他ない。とはいえどうやって戦えば良いんだ。この部屋で武器になりえそうなものは……。プロ野球の応援時に使うプラスチック製の小さなバッドくらいだ。こんなのだけでどうやって太刀打ちしろというのか。こういうのを俗に無理難題というのだ。
あれこれやってるうちに足音は扉の前までやってくる。応援バッドを両手に持ち、身構える。
ゆっくりと扉は開かれた。
扉の向こうにいるのはおばさんと呼ぶか、お姉さんと呼ぶか悩むような容姿をしてる女性であった。
その女性からは殺気が一切感じられない。
それどころか私を見て心底驚くような反応を見せた。
あっちが私よりも驚くもんだから、私はすんと冷静になってしまう。
一度扉は閉じられ、再度扉はゆっくりと開かれる。
またご対面。
「ビックリした……だ、誰?」
真っ当な反応だ。驚き、退きながら問いを投げる。
怪訝そうに私を見つめ、陰キャちゃんに目線を移動させた。
「ウチの娘になにしてるの……」
ウチの娘とな? 良く見てみると、女性は陰キャちゃんの面影がある。
陰キャちゃんを四十歳くらいにしたらこんな感じになりそうだなぁって顔つき。
つまるところこの人は陰キャちゃんのお母さんなのではないだろうか。
「あら、その制服……ことと同じ高校の制服ね」
口元に手を当て、私のことを凝視する。
さっきまであんなに驚いてたのにもう冷静さを取り戻してるらしい。
大人の女性だ。
私もこれくらい立派な大人な女性を演出したいものである。
「あの……」
応援バッドを机上に置いて、陰キャちゃんママの瞳を見つめる。
「私、椿木凛香です」
胸元をギュっと掴み、この気まずく少しだけ重たい空気を払拭しようと自己紹介をする。
まぁ、気まずいと思ってるのは多分私だけなんだけど。
「椿木さんね」
陰キャちゃんママはコクリと頷く。
「ことと同じ高校の子かしら」
「はい、そうです」
「そう……」
怪訝そうに私のことを見つめる。
なにか言いたげだが、グッと堪えてる。
目線を眠ってる陰キャちゃんへ向けてから私の方へ戻す。
まだなにか躊躇してる雰囲気はあるんだけど、ゆっくりと口を開く。
「私はこと……琴葉の母親よ」
「なんとなくはわかりました。顔も似てますし」
さっき娘と言っていたし嘘だろ、みたいな余計なことは言わない。
余計な争いを生むことになりそうなことは言わないに限る。
「そう」
「はい」
「それで、母親の私が言うべきことじゃないとは思うのだけれど」
やはりなにかを迷ってるらしい。
私になにか文句でも言うつもりなのだろうか。
と、少し警戒した。
「ことって友達が居ないのよ。貴方――」
「椿木です」
「そう。椿木さんだったわね。どうしてここに居るのかしら」
なるほど。
なんとなく理解できた。
つまり、陰キャちゃんママは陰キャちゃんが私に虐められてるのではないかと危惧したわけだ。
さっきの彼女の話を聞く限りいつも虐められてたようだし。
母親として心配になるのは当然か。
まぁ、陰キャちゃんったら両親に愛されてるんだなぁと少しだけ羨ましい思いもあったりする。
「どうして、ですか。答えは簡単ですよ」
「答えは簡単……?」
「はい」
陰キャちゃんママは不思議そうに首を傾げ、私は自信満々に首を縦に振る。
ちらりと陰キャちゃんを見る。
まだ起きていないことを確認した。
良し、今なら言えるな。
「陰……おっと」
また口を滑らせてしまうところだった。
本当にこれはどうにかしないといけないなぁと思う。
「藤花さん、だとお母さんもそうですもんね」
苗字呼びもここではNGだ。
誰のことを指してるのかわからなくなるから。
「琴葉ちゃんと私は友達なので」
胸を張っておく。
まぁ、嘘は吐いてない。
曲解すれば友達だから。
「ことに友達……」
さっきよりもずっと驚いたような表情を浮かべる。
なんでよ。
知らない人が娘の部屋に居る方が普通驚くでしょ。
「本当に?」
陰キャちゃんママは信じられないという様子だ。
「まぁ、こんなので嘘吐いたりしませんよ」
「それもそうね」
と、納得しようと試みる。
けど「ことに友達……」とまた同じことを口にしてる。
そんなに信じられないことなのだろうか。
いや、さっき虐められてたって話は聞いたけど。
一人くらい友達って居そうだよなぁとか思う。
結果的に全校生徒から虐めの標的にされたとしても、それまで仲良かった人とかは居るんじゃないかとか、あんだけ可愛いんだから打算的に接触してくる人とかも居るんじゃないとか考えてしまう。こういう考えが既に彼女に寄り添えてないのかもしれないけど。
「でも本当に?」
「少しは娘を信じてみたらどうですか。友達くらい作れますよ」
「そりゃ信じたいけれど今までのこともあるわけで」
「人生なんてずっと同じなわけではないですから」
「この子の人生はずっと平坦だった。上がろうと努力しても上がらない。まるでそういう星の元に生まれたかのような」
陰キャちゃんママは眠る陰キャちゃんをジッと見つめる。やっぱり愛されてるな。寵愛。
「じゃあここから上がりっぱなしなんじゃないですか。人生って山あり谷ありって良く言うじゃないですか」
「言葉だけよ」
「じゃあ、質問ですけど、ずっと平坦な人生を送ってる人って実際に見たことありますか?」
問いを投げてみる。
ちなみに私はない。小さかれ大きかれ起伏はあるような生き方をしていた。
人生つまらないとか、なにか面白いこと起こらないかなとか、そういうことを言ってる連中でさえ、起伏のある人生を送っていた。
「ないわね」
陰キャちゃんママも同じらしい。
「そういうことですよ。誰しも遅かれ早かれやってくるんですよ」
私はニッと白い歯を見せて笑う。
それと同時に陰キャちゃんの方から「んんんっ……」というような声にならない声が聞こえてくる。私も陰キャちゃんママも同時に彼女の方に目線を向ける。
ぴくっと唇を動かし、寝息はぴたりと止まった。
ゆっくりと手は動く。ぐぐぐと伸ばし、そのまま彼女の目元まで動く。
ごしごしと眼球が傷つきそうだなぁと心配になるような強さで瞼を擦り、手を離すと同時に瞼を開けた。夕日の眩しさか、彼女は目を細めて眉間に皺を寄せる。一度毛布を顔まで持っていき、慌てるようにパッと起き上がる。上半身を起こすしてから部屋を一瞥した。
私と目を合わせ、つーっと横に動かす。
今度は陰キャちゃんママが居る方へ目線を向けて、しばらくそっちを見つめる。なにかを考えてるように。かと思えばこっちに目線を戻して……を繰り返す。
「あっつ……」
と、額に貼ってあった冷えピタを剥した。
「まだ帰ってなかったんですか」
この空気に対して不思議そうな顔をしつつ、私に言葉を投げる。
「一緒になって寝ちゃってたから」
あはははは~と笑う。
「本当に風邪引きますよ」
心配されてしまった。なんか鼻がぐずぐずしてきたかも……ってこれは花粉のせいか。春花粉恐るべし、ということにしておこう。
「本当に友達なのね。ことが普通に喋ってるだなんて」
陰キャちゃんママは目を見開く。え、これで良いの?
「え、と、と、友達? 私が椿木さんと? そ、そんなないないないないない」
ぶんぶんと首を横に振りながら否定される。こうやって必死に否定されるとそれはそれでなんだか寂しくなってしまう。
「そっか、私と友達じゃないんだ」
「え、あ、はい」
私の言葉に陰キャちゃんは頷く。
「私は友達だと思ってたんだけどなぁ」
と、壁を意味もなく見つめる。
陰キャちゃんは私のことをまじまじと見つめ、あうあうと口を動かす。
「ほ、ほんとですか」
「本当だよ。じゃなきゃこうやって家にわざわざ来ないし」
「それはたしかにそうですね」
むむむと悩む仕草を見せる。
布団をギュっと握り、上目遣いで私のことを見つめる。心底私が女の子で良かったと思った。もしも私が男だったら、今ので完全に惚れてたから。女である私でさえ今グラっと揺れてしまう。それほどに可愛かった。
「ってか、ママ!」
陰キャちゃんは思い立ったかのようにベッドで立ち上がる。パサッと布団はずり落ちたが気にする様子はない。
そのままピシッと開いてる扉を指差す。そしてシッシッとどっか行けよ、と言いたげなジェスチャーをする。
「なによ」
母親は強し。動じない。堂々としてる。母親ってこうなんだなぁ。
「どっか行って。恥ずかしいじゃん」
カーっと陰キャちゃんは顔を赤くする。熟れたトマトよりも赤い。完熟だね。
「あらあら、おじゃまみたいね」
なにを思ったのか娘の言動に怒るところかニマニマしつつ、陰キャちゃんママは退散する。母親って強いけどなに考えてるかわからないもんだなぁ、と閉じる扉を見ながら考えた。
部屋の中は静寂に包まれる。
私と陰キャちゃんだけの空間。さっきまでそうだったし、さっきまではもっと静かだったはずなんだけど、気まずさだけはピークに達してる。なんで。
「あ、あの」
彼女はベッドから降りて私の元へと近寄る。少し前まで風邪で寝込んでいたとは思えないようなしっかりとした足取り。
「はい」
声が裏返ってしまう。緊張してるらしい。え、なんで私が緊張してるの。お、おかしくない。
「私って友達なんですか」
「のつもりだけど」
「友達でも良いんですか」
「そうだと嬉しいなって思う」
思うけど。でも無理強いはできない。友達になりたいし、絶対になってやるという気概だってある。じゃなきゃこうやって学校をサボってまで家には来ないし。
あぁ、そういえば学校をサボって来たんだった。というか抜け出してきたが正解かも。誰かに告げるわけでもなく突然。陰キャちゃんとは違って私は優等生ちゃんだ。もしかしたら私が居なくなったって騒然としてるかもしれない。顔面蒼白な担任とケロッとしてる廣瀬先生の顔が思い浮かぶ。
閑話休題。
とにかく私は陰キャちゃんと友達になりたいけど、無理強いをするつもりはない。嫌なら嫌で良い。これが最後のチャンスというわけでもないから。幾度となく訪れるチャンスでぶつかっていくだけ。嫌われない程度に何度も。
「私は嫌……じゃないです」
彼女はそう捻り出すように言葉を紡ぐ。
私の心は回転するんじゃないかってくらいゆらんと揺れる。
「じゃあ友達だね」
えへへと笑い、彼女の手を取る。手は温かかった。
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