25話

 朝食を食べて、少しだらだらしてから陰キャちゃんは帰宅した。

 陰キャちゃんの残り香が部屋の中を漂う。ベッドに私のものではない抜け毛が落ちてる。キッチンには私が使ってないお皿が洗って乾かしてある。私が買ってないお菓子が机に残されてる。居なくなってから強く実感する。陰キャちゃんが家に来てたんだって。泊まりに来てたんだって。

 人は不思議なものだ。一度好きだって。好意を認識してしまえば歯止めが効かなくなる。アクセルベタ踏みでぐわんっと走り出す。

 本当に好きなんだなって心に染みる。

 ただ友情を持ってるだけならこんなこと一々考えたりしない。

 でもそっか。うーん、そうなのか。女の子を好きになっちゃうのか。

 好意は認めたけど、受け入れられるかと言われれば、目を背けたくなるのが実情。女の子が女の子を好きになるのはおかしいってわかってるから。多様性の時代とか言うけどそういわれてる時点で普通じゃないよって言ってるようなものだし。普通じゃないことに恐怖を覚え、嫌悪感を抱く。普通でありたい、人に愛されたい。他人よりもそう思う心が強いからこそ、その思いはより一層強くなる。

 好きで、好きで、好き過ぎて。あぁ、もう完全に恋しちゃってんじゃんってなる。同時に許されない恋愛であることも自覚する。許すも許さないもないと思うけど。でもいくら想いを抱いたとしてもこの恋が成就することはない。

 私が恋のやじるしを陰キャちゃんに向けたって、陰キャちゃんは良くて友のやじるしを向けてくれるだけ。恋のやじるしが飛び交うことはないから。

 もしもこの想いが陰キャちゃんにバレてしまったら。きっと彼女は私のことを怖がって、忌避することになるだろう。陰キャちゃんはそんなことしないよって言い切ってみたいけど無理がある。

 だから向けちゃいけないし、この想いがバレることも許されない。吐露しない。好きアピールをすることもしない。あくまでもいつも通り。今まで通りに接していくべきだろう。でもそれだけだと想いが一方的に溜まるだけ。いつか爆発してしまうかもと危惧してしまう。

 あれこれと考えたけどまぁ要するにこの想いがバレなきゃ良い。私は決めた。明日から陰キャちゃんのことは琴葉ちゃんって呼ぶことにする。距離が近いと陰キャちゃん元い琴葉ちゃんは思うかもしれないけど、そればっかりは許してね。慣れて欲しい。これがお互いのためになるから。


 学校に行く。

 いつもよりもしっかり目にメイクをして、髪の毛もちょっとだけ頑張ってセットして、香水の匂いも爽やか系にシフトしたみた。見る人が見れば恋をしたと勘づくかもしれない。まぁ、琴葉ちゃんには無理だと思うけど。そもそもそこまで求めてない。

 「りんちゃんおっはよ〜」

 教室に入ると、先に来てた雪乃たちに声をかけられる。

 「ん、良い匂い。香水変えた?」

 「変えたよ。わかるもん?」

 「わかるよ、わかる。だって私ずーっとりんちゃんの匂い嗅いでるから」

 椅子に座ってる彼女はむふんとドヤ顔をする。

 周りの友達は「やばー」とか「うげー」とか「きも〜い」とケラケラ笑い出す。

 いや、まぁ、私もなんだコイツとは思ったけど。でも嫌だなぁという気持ちはそんなにない。ただもしも相手が琴葉ちゃんだったらもっと嬉しいのかなとか邪なことを考えてしまうだけ。

 「最近仲良いよね。名前忘れちゃった……えーっと藤原さん?」

 「藤田……さん? 居たっけ」

 「藤原さんだよ」

 「折花さんじゃない」

 「花藤さんでしょ」

 私をおいてけぼりにして、わいわいがやがや盛り上がる。

 もしかして琴葉ちゃんのことを言ってるのかな。

 「藤花さん?」

 「そう、それ!」

 雪乃はパンっと勢い良く手を叩くと、そのままピシッと私のことを指差す。今日はテンションがかなり高めらしい。うん。元気なのは良い事だね。

 「まぁ、仲良いのはそうかもしれないけどそれなり〜って感じだよ」

 あははは〜と笑う。少し前まで。具体的には虐められてた過去を聞いた後くらいから、昨日まで。そこまでは琴葉ちゃんに友達を増やしてあげようと考えていたんだけど、今はそんな気持ち一切湧かない。

 琴葉ちゃんには私さえ居れば良いんだっていう独占欲に近しいものがグツグツと湧き出てる。

 なにも起こってないのに、勝手にあれこれ妄想して、嫉妬してしまう自分のことが心底嫌になる。私って案外重たいのかもしれない。自覚したくはないけど。

 「そうなの?」

 「そうだよ、そうそう」

 「ほんと?」

 「本当だって。藤花さんとはなんとなーく仲良くしてるだけだよ」

 本当は好きだけど、誤魔化す。まぁ、実は恋愛的な意味で好きなんです……とは言えないし。

 ガラッと扉が開く。向こうに立っていたのは琴葉ちゃんだった。

 見つめ合って、お互いになにも口にしない。気まずさしかない時間がぐるぐると回る。

 どくどくと心臓が高鳴る。脈打つ。口の中にあった水分は一瞬でカラッと乾く。まるで砂漠の奥地にぽつりと取り残されたような感じ。

 なにを言うわけでもなく、澄ました顔で彼女はすたすたと自分の席に座る。

 良かった。聞こえてたわけじゃなかったんだ。

 安堵したのと同時に彼女はすっと立ち上がって、黙って教室を後にする。私は彼女の背中を黙って見送るだけ。とんとんという足音が遠くなり、背中もすぐに見えなくなる。

 わいわいがやがや気にせずに盛り上がる私の友達たち。

 砂の城が崩れるかのように、私の心の中にあるなにかが崩れる。

 「気のせい。うん、気のせい」

 胸元をクシャッと掴み、皺を作る。首元が苦しくなるけど、さらに力を強くして。己を傷付けるように。

 朝のSHRが始まる。

 教室に琴葉ちゃんは戻ってこない。

 机はがらんとして、太陽の日差しだけが華麗に差し込む。

 周囲は気にしない。先生も気にしない。これが普通で、当たり前で、日常だから。

 きっと少し前までの私だったら気にしてない。また今日もどこか行ってるんだな、ってぼんやりと思って、すぐに別のことを考えたり、話し始めたりするだけ。それを責め立てるつもりはない。人は人、自分は自分だし、ちょっとおかしな人には関わろうとしないのも当然のこと。自分を守るためにはすべきことであって、むしろ褒められるべきことだとさえ思う。

 なにかあっても誰かが手を差し伸べてくれるわけじゃない。手を差し伸べてくれても、それがいつまでも続くわけじゃない。自分で守る術は持っておくべきだから。

 あれこれと考えてしまったが、結論はただ一つ。単純明快だ。

 「今日の六限の総合の時間は体育館で――」

 「先生」

 教卓でだらだらと業務連絡を行う先生の声を遮った。

 クラスの中の視線を集める。変なことをしてると思われるかもしれない。ヤバい奴と思われるかもしれない。もしかしたら頭のおかしい奴だからって虐めの標的になるかもしれない。変な渾名を付けられて、私の精神をごりごりと削ってくるかもしれない。でも、それでも、それだったとしても良い。

 今の私が一番嫌なのはなんなのか。答えは明白だから。

 一番嫌なのは、藤花琴葉という一人の女性に嫌われること。拒絶されて、私の前で笑顔を見せてくれなくなること。

 「ちょっと用事を思い出しました!」

 バンっと着く絵を叩いて立ち上がる。

 「用事ってなんだ」

 「急用です」

 「答えになってねぇ……」

 先生の嘆きのようなツッコミを後ろに、私は教室を飛び出した。

 走って、走って、走る。

 だんだんだんだんと廊下を鳴らしながら。視界の端っこに見える各教室の中。足音に驚いてこちらに視線を向ける。それでも怒ったりはしてこない。怒られる前に走り抜けちゃうから。

 階段を駆け上がり、目的地に辿り着く。

 重たい扉を開ける。彷徨い人が出口を見つけたかのように風は学校内へと吹き込んでくる。私の髪の毛は靡く。ファサバサと激しい音を立てながら。

 眩しくて私は目を細める。右手を額の方に持ってきて、日陰を作る。

 ゆっくりとだけど目は慣れる。防護柵に手を触れる一人の女性。安堵したのと同時に少し前に見た光景だなって苦笑してしまう。

 風に靡いて揺れる髪の毛が彼女の神々しさに拍車をかけてる。天から舞い降りてきた使い人。それはまるで。

 「天使……」

 ぽつりと零れてしまった声。彼女はこちらにゆっくりと視線を向ける。

 目を合わせると同時に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、眉間に皺を寄せる。表情だけで簡単に理解できてしまう。

 胸は締め付けられ過ぎて、もう爆散してしまった。

 「なんですか。なんの用ですか」

 いつもよりも低くて冷たい声。

 「私とはなんとなく仲良くしてくれていただけなんですよね。そうです。私が友達を作ろうだなんて思ったのが間違いなんです。私に友達ができるわけがなかったんですから。笑っちゃいますよね。友達できたって喜んで、お泊まりして、一人で楽しんで。滑稽だったんじゃないですか。見ていて」

 ギュッと柵を掴む。

 「滑稽なわけないじゃん」

 「笑ってたんですか。笑い者にしてたんですか」

 ぐぐぐとさらに力強く握って、力を緩める。

 「まぁ、良いですよ。慣れていますから」

 寂寥感溢れる声色。

 はいそうですか、なら良いですね……ってなるわけがない。

 「違うの」

 だから私は否定する。否定したいことは沢山あって、山ほどあって、伝えたいことも腐りそうなほどあって、どれから伝えようか、どれを伝えようかってあれこれ考えるとどれも大事だから訳がわからなくなっちゃって、結局選ぶことを諦めて、纏まってて、大き過ぎる言葉を口にする。

 私の言葉をしっかりと聞き入れた彼女はふぅとため息を吐く。

 それから、なにがと言いたげな目線を向ける。

 「違うの」

 蛇口を捻ったら水が出てくるように、喉を捻ったらこの言葉が出てくる。今の私は冷静さを欠いてるらしい。

 好きな人に嫌われそうになってて、距離を置かれそうになってて、そしてそれをしっかりと自覚して、その上で冷静さを保ってられる真人間がなん人存在するんだって話だ。少なくとも私には無理。人に嫌われるのは怖いし、辛いから。好きな人に嫌われることがもっと辛くて苦しいことだってのは想像しなくたって直感でわかる。想像したらここでわんわんと柄にもなく泣き出してしまって、琴葉ちゃんを困惑させる未来が見えるから、想像するのはやめておく。我ながら賢明な判断だ。

 「なにが違うんですか」

 彼女の言葉が私の胸にずっしりと乗っかる。重たくて、どかしたくてもどかせない。

 「言っていたのは事実ですよね」

 さっきの言葉の上に乗っかる。

 重たすぎて押し潰されそうだ。

 持ち上げようとしても、腰が抜けてしまいそうで、放置せざるを得ない。

 「違うの」

 「違うんですか」

 「うん。違うの」

 botみたいに言葉を繰り返す。

 「違くて、そのね」

 弁明しろ、と私は心で叫ぶ。

 「好きだから!」

 「す、す、好き……? ですか」

 思いっきり叫んだ言葉。自分がなにを言ったのか。彼女の問いかけるようなもので理解する。

 すぐに迫ってくる後悔。やってしまった。勢いに任せすぎた。

 あわあわと焦る。

 とりあえず誤魔化さないと。なんでも良いからそれっぽく誤魔化さないと。

 ちっちゃな脳みそをぐるぐる回す。

 「友達として……そう。友達として。友達として好きってことだよ」

 綺麗な誤魔化し方を見つけて、乱用した。

 「友達として好き。大好き。友達としてね。うん、友達として」

 便利だから何度も使う。擦って擦って、擦るものがなくなっても尚擦る。

 「本当ですか」

 するっと倒れ込むように座って、防護柵に背を預ける。怖いという感情はないのだろうか。それとも柵を信用してるのか。

 私もしゃがんで目線の高さを合わせる。

 「ほんと」

 「でも言ってましたよね。なんとなくって」

 「それは……まぁ、そうだけど。友達って案外そんなもんじゃない」

 「そうですかね」

 「そうだよ。打算的に仲良くなるってちょっと嫌じゃない?」

 たとえばコイツと仲良くなれば色々奢って貰えそうだなとか、コイツと仲良くしておけばおこぼれの異性を貰えそうだなとか。

 「たしかに打算的なのは嫌ですね」

 「だからなんとなくって良いんじゃないかなって思うけど。波長が合うって言えば良いのかな。なるべくしてなったって感じ」

 「私はそうなんですか」

 「そうだよ。打算的じゃない。気になって、着いてきて、ここで横顔を眺めて、気付けば仲良くしたいって思ってた」

 「運命みたいですね」

 彼女はえへへと笑う。やっと笑顔を見せてくれた。私はホッとする。するすると私の手元から逃げてしまった彼女が戻ってきてくれたような、そんな感じ。

 「運命なのかも」

 私はこくこくと頷く。

 本当は打算的に近付いたんだけど。

 だから、こんなことさも当然みたいに口走ってしまう自分に笑ってしまう。心の中でだけどね。

 「それも含めて運命か」

 風に紛れながら、ぽつりと呟く。

 「琴葉ちゃんとの出会いは運命的」

 「琴葉ちゃん……?」

 目の前でこてんと女の子座りをする彼女は首を傾げる。私は真似するようにこてんと首を傾げてみる。

 「陰キャちゃんじゃなくて?」

 「陰キャちゃんはもう卒業かなって思ったんだけど」

 「そっか」

 含みのありそうな受け答え。

 もちろんあったとしてもわかったもんじゃないけど。

 「陰キャちゃんのままが良い?」

 「味はあるかと思います」

 自分のあだ名に味とか求めてるんだ。

 「でも、名前で呼んでもらえるのはそれはそれで嬉しいですね」

 えへへ、とはにかむ。

 可愛くて、抱きしめたくなる。

 「琴葉ちゃん」

 陰キャちゃんは今完全に封印した。目の前に舞い降りた天使に封印すると誓おう。

 「琴葉ちゃんです」

 照れるように頬を触りながら、私の呼応に答えた。

 座る彼女に私は手を差し出す。彼女は私の手を掴む。こうやって手を触れると、彼女は天使なんかじゃなくて人間なんだなって実感する。

 風で冷たくなった手が、瞬間的に温かくなる。人間だからこそ、だ。天使も恒温動物なのかな。まぁ、なんでも良いか。

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