36話

 突然の出来事だった。

 椿木は私の前から消えた。走って、あっという間に姿を消した。手を伸ばしても届かない。

 ぽつんと取り残され、カップに残ったコーヒーを呷る。

 ついさっきまではあまり苦味を感じなかったのに、なぜか今は苦味しか感じない。苦過ぎて思わず顔を顰めてしまう。

 しばらく意味もなく呆けるように座っている。そしてふとハッとする。

 「あれ……」

 声を漏らしながら、唇に指を当て、眉間に皺を寄せる。虚空を見つめ、うーんと唸ったりもする。

 椿木って今財布もなければ、スマホもないんだよね。

 財布があれば公衆電話を探し出して、困ったタイミングで私に電話かけてくるんだろうけれど、小銭すら持っていないであろう椿木には不可能だ。

 「これってもしかしなくても私が探し出さなきゃいけない感じでは?」

 仙台に来る前は彼女が私のことを探し出してくれた。そして途方に暮れていた私を新たな世界へ連れ出してくれた。

 世の中は巡り巡るんだなって思う。今度は私の番なのだ。

 とはいえ、若干の気まずさがある。愛の告白をされてしまったから。

 そっか、私のことが好きなんだ。

 あの真っ直ぐな瞳に震えて少しだけ不安そうな声色。いつもならば冗談やらお世辞やらと逃げる思考をするのだけれど、今回はそれすらも許さない。どう考えても本気だったから。

 本気なものにおどけるのは不誠実だ。

 だから私は素直に受け取ることしかできない。

 女の子から告白される。同性から告白される。今まで考えたこともなかった。

 動揺していないとは言い切れないが、じゃあ告白されて嫌な気分になったり気持ち悪さを覚えたかと問われればそれもまた違う。

 告白されて、あの真っ直ぐな想いを伝えられて、一番に抱いた感情は嬉しいというものだった。

 友達に告白されて嬉々とした感情を抱く。それが正常なものなのかどうかすらわからない。経験不足だから。

 けれど事実として嫌ではなかった。だから、椿木のことを探し出す。そういう義務が私にはある。と、勝手に使命を背負ってみる。悪い気分ではない。

 ぺこりと頭を下げて店内を後にして、私は外へと繰り出す。

 燦燦と降り注ぐ日差しに照らされ、私は今にも溶けそうになってしまう。

 「あつ……」

 今何月だっけ。もう七月になってしまったのかな。もしくは沖縄にでもやってきたのか。

 日付はスマホが即座に否定してくれるし、場所も「仙台駅」とでっかい文字が否定する。

 さてはて、椿木がどこへ向かったのか考えてみよう。

 この暑さから考えるに建物の陰がないようなところには居ないはず。

 どうしよう。これくらいしか手がかりがない。

 でもまだそこまで遠くへは行っていないはずだ。時間はそんなに経過していないし。なによりも彼女はお金を持っていない。徒歩しか移動手段がないのだ。

 椿木の性格的に駅へ戻るとも考えにくい。

 つまり現時点の西口から東口へ移動している可能性は切って良いだろう。もしもこれで東口に行っていたら笑えないなぁ。

 歩き出せば人混みに呑まれる。

 ぷはぁと水泳の時の息継ぎみたいに、人と人の間で息をする。ただ歩いているだけだというのに極端に疲弊してしまう。この季節外れな暑さのせい……ということにしておこう。決して人混みが苦手だからではない。

 にしてもカップルが多い。仙台って旅行地として選ばれたりするものなのかぁと感心する。ずんだのだんごやら、コロッケやらを食べ歩きしていてなんだか美味しそうだなぁと思う。

 カップル……。

 少し前まで羨望の眼差しを向けていたのに、今は羨ましいという気持ちは一寸足りとも湧いてこない。エネルギーが枯渇したように、落ち着いている。

 告白された人間の心の余裕なのだろうか。

 「……」

 違う。

 あー、そうかそうか。そういうことか。

 点と点が線で繋がった。

 「もう答えはここに来る前から出てたんだ。遠回りし過ぎたね」

 くーっと背を伸ばして、私はまた歩き出す。

 椿木を絶対に見つけてやるんだ。何時間かけても、何日かけても、何ヶ月かかったとしても。

 絶対に見つけ出して、言ってやるんだ。

 私はそう強く意気込んだ。


 探し人は簡単に見つかった。

 さっきカップルが食べていたコロッケやらだんごやらを売っている店の前でぽつんと座っていた。端っこの壁に沿うような形で座っているので他人に迷惑こそかけていないが、通り過ぎる人たちは不思議そうに彼女のことを見つめている。まぁ、敢えて難しい言葉を使わずに一言で表すとするのなら目立っているになる。

 「椿木さん」

 「あ、琴葉ちゃん……」

 私の声にびくりと彼女は肩を震わせて、目をまん丸にしながら私のことをじーっと見つめる。

 「聞きたいことは色々あるんですけど」

 なんで逃げたんですかとか、なんでここに居るんですかとか、なんでここに来たんですかとか、なんで座っているんですかとか。疑問は湧き水のようにどばどばと際限なく出てくる。だからこそ、私は疑問をすべて薙ぎ払って、自分の想いだけを伝えることにした。

 まずは手を差し出す。

 「とりあえず立ちましょう」

 催促すると、彼女は私の手を掴んで立ち上がる。

 「あと……」

 ちらりとコロッケ屋とだんご屋に目線を向けた。

 「一個ずつ買いましょうか」

 「お金ないけど」

 「私の奢りです」

 「返すんじゃなくて?」

 「返してくれるのならそれに越したことはないですけれど。きっとこの後お話に付き合ってもらうことになるので。先に奢って許してもらおうかなと思ったんですよ」

 「そういうことなら」

 こうして、私たちはだんごとコロッケを手にして、近くにある小さな公園へと向かったのだった。


 ベンチしかないような公園で私たちは腰掛ける。

 「話って?」

 「さっきのについてですよ」

 「あー」

 彼女は一気に罰が悪そうに顔を背ける。

 「急にごめんね。絶対に気持ち悪かったよね。大丈夫。自覚はしてるから。気持ち悪いって」

 「いや、そんなことは……」

 椿木という人間は自嘲的になるとは思っていなかった。

 だからこんなことを口にするという事実に驚く。外面は全く違っていても、中の奥の奥は本当に似た者同士なのだなぁと思う。

 「でも嫌いにならないで欲しい。ワガママなのはわかってるけど。迷惑なのも――」

 私は彼女の口を片手で塞ぐ。そしてずずずと横にずらして片方の頬を抑えて、もう片方の頬も手で触る。

 むぐもごがふもぐと押されて、上手く喋れない。

 「私は嬉しかったんですよ。告白された時」

 自分のターンに持ち込んで、私は手を離す。

 吃驚するような瞳を私に向ける。

 「あの時はビックリして、困惑してしまいましたが……少し時間が経過して、朧気ながら浮かんできたんです。あぁ私も椿木さんのことが好きなんだって」

 カーッと顔が火照る。

 「私のことが」

 「はい」

 「本当に?」

 「本当です。というか、こんなタイミングで嘘を口にするほど人として終わっていないですよ」

 椿木にそういう風に見られているのはちょっとショックだ。そう言ってしまおうかと思ったけれど空気感がガラッと変わってしまいそうだったから噤む。

 「だから」

 私は彼女の手を掴む。包み込むように握って、温める。

 「私は椿木さんを守ります。椿木さんは私のことを守ってください」

 不安から。嫌なことから。敵から。

 彼女を守り、彼女に守ってもらう。

 互いに依存するような関係になってしまうかもしれないけれど、私たちにとって共依存になることは悪くないことだと思う。

 お互い心にぽっかりと大きな穴が空いている。それを埋めるには互いに大量の愛を注ぎ込む必要があると思うから。

 「守る……守るねぇ」

 だんごの串を口に咥え、うーむと唸る。

 「うん、良いかも」

 ガグッと串を思いっきり噛む。串はポキッと折れて、口の外に出ていた串はぽとりと地面に落ちた。

 「帰ろっか。ホームに」

 「ホームですか」

 「うん、ホーム。マイホームに」

 グイッと引っ張られて、私は引き摺られるように駅へと向かった。

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