37話
私は好きな人に嫌われてなかった。
それところか、好かれてた。告白をして、逃げて、告白された。
私は返事をした。それで付き合った。
女の子同士という決して正常な形じゃないけど。
正しいとか、歪だとか、そんなのは周りが決めることではない。当の本人。当事者たちがそれで良いと言うのなら、それで良い。他者に迷惑をかけてるわけでもないし、本人たちが歪な形でありながらも幸せならば問題なんてなに一つない。
新幹線の車内で気持ち良さそうに眠る琴葉ちゃんの姿を見て、私はそう思う。そしてこの子を守るんだって。
トンネルに入り、窓ガラスがガラスみたいになって私の顔を反射させる。睨みつけるような顔になってたので、今咄嗟に作り出した笑顔を張りつけておく。
全員に好かれたいなんて欲張りな考えはもう捨ててしまおう。
仙台に置いてきてしまおう。
私は……琴葉ちゃんに好かれ続けるのならばもうなにもいらない。守って、愛して、共に歩めるのなら、もうそれだけで幸せだから。
次の日登校すると廊下で手首を掴まれ、グイッと身体を引かれる。
「なんですか」
「昨日教室から抜け出したらしいわね」
誰かと思えば廣瀬先生だった。
「心配かけちゃいました?」
「そりゃもう大分。事情が事情なんだから」
「アハハ、すみません」
廣瀬先生は私の事情を知ってる数少ない一人だ。土地勘のないところでの一人暮らし。なにかあった時に頼れる大人は居た方が良いって、養護教諭の廣瀬先生には入学時に児童養護施設から話が通されてる。
時折保健室でカウンセリング擬きのようなことをしてもらってた時期もあるし。
まぁ、建前なんだけど。実際は一人暮らしをするにあたっての心得みたいなのを教えてもらってただけなんだけど。自炊とかね。
「なにしていたわけ?」
「えーっと」
心配をかけてしまったという事実と恥ずかしいという気持ちが交錯して、歯切れの悪い言葉しか出てこなくなる。
廣瀬先生はそんな私の反応を見て、訝しむ。
「秘密です」
苦し紛れにそう口にする。
一度懐疑的な目を向けられてしまうと、簡単には離してくれない。
廣瀬先生は同じような目で私のことをじーっと見つめる。
啀み合う……じゃないけど、お互いに見つめ合う時間が数秒あって、先生がため息混じりに目線を逸らす。
「秘密にしなきゃいけないようなことなのね」
変な方向に勘違いされてしまった。
我が子が一歩大人の階段を上がったみたいな。そんな表情をしてる。
いやいや違うから。そうじゃないから、と否定したいけど、それはそれで恥ずかしい。
残念なことに身動きが取れなくなってしまった。誰のせいって言われたら間違いなく私のせいなんだけどね。自業自得ってやつ。
「うーん、と」
唇に指をちょこんと当てて、あざとく笑ってみる。
先生の表情は弛緩しない。
「敢えて言うならば……」
私なりの言葉を探す。心からぽろりと出てきた小汚い石ころを丁寧に丁寧に磨いて研いで人様に見せられるようにする。
「天使が味方になってくれた、かな」
「知り合いの病院の先生紹介してあげるわね」
「ちょ、ちが、違うから。頭おかしくなってないから」
わーっと騒いで、周囲の視線をガッと集めてしまった。
教室に入る。
真っ先に目が行くのは琴葉ちゃんの席。
今日は珍しく琴葉ちゃんは先に学校へ来てた。
私が大きく手を振ると、少しだけ恥ずかしそうににへらと笑いながら、小さく手を振り返してくれる。
あぁ、本当に付き合い始めたんだって実感できる瞬間だ。
「おはよ」
彼女の元までたたたたーって駆け寄って声をかける。
私の挨拶を耳にして、少しだけ不機嫌そうに口をへの字にした。
「なんで不満そうなの」
「守ってくれるって約束はどうなったんですか。これじゃあ真逆ですよ」
ぼそっと呟く。
ふと俯瞰して見ると、目立ってる。あぁたしかに今は約束を遂行できてない。むしろ逆噴射しちゃってるなぁ。
「私が琴葉ちゃんの近くにいるから琴葉ちゃんは虐められるし、加えて私が虐められることも心配してるんだよね」
「はい、それを危惧しています」
「なら大丈夫」
ポンっと胸を叩く。
なにが、とツッコミたそうな目線を浴びるが、ふふんとドヤ顔を先にしておくことで彼女の言葉を防ぐ。
「私はね、そんなやわじゃないよ」
「あのー」
会話が噛み合ってないと言いたげだ。
まぁ、噛み合せる気もなかったからね。
とりあえず周囲の目線を集めることができた。
あとは私が覚悟を持つだけ。
それが一番難しいんだけど。
「私ならできる」
裾をギュッと掴む。
彼女のことを見つめる。冷たい机に座って、机を温める。そして肩に手を置いて、顔をゆっくりと近付ける。
徐々に。がっつかないように。でも逃げられないように。
「え、あ、え、え、えあ」
動揺を隠しきれない琴葉ちゃんは言葉にならない言葉を幾度となく発する。
もちろんなにを言ってるのかわからない。仮にわかったとしても今はまだ説明するつもりはないし、この動きを止めるつもりもない。
さらに顔を近付ける。
鼻の頭と頭がぶつかりそうになって、彼女の微かな息遣いが鮮明に私へと伝わる。
好きな人のものじゃなければ嫌悪感を示すのかもしれないけど、琴葉ちゃんのって思うと嫌悪感どころか興奮してしまう。
暴走しそうな心を無理矢理止める。危ない。
「待って」
ぐぐぐと彼女は懸命に私から距離をとる。
さっきまであった息遣いも、琴葉ちゃんから滲み出る熱も感じられなくなった。
冷たくて、ちょっと寂しくて、私は顔を顰める。
「待った」
そう言って、また近付こうとする。
眉間に皺を寄せる琴葉ちゃんは私の額に手を置いて、無理矢理一定の距離を作る。こうなってしまえば近付こうと思っても不可能だった。
手をどかせば近付くことなんて容易いんだけど。
彼女の意思表示を投げ捨てることになるから。簡単にできるものではない。
「そういうことじゃないです」
「わかってる」
額に手を置かれながら私はこくっと不自由に頷く。
「……」
琴葉ちゃんはなにも口にしない。喋らない。ずっと黙る。
私も黙ってみる。
二人の狭い間に沈黙が流れるだけだった。
しばらくすると耐えられなくなったのか、ゆっくりと瞬きをして口を開く。
「するんですか。キス」
なぜか倒置法。
「します。キス」
だから私も倒置法で返す。意味は特にない。なんとなくだ。
「場所とか……皆見てますし」
琴葉ちゃんはわざとらしく目線を右往左往させる。
ほら、いっぱい見てるよってアピールをしてるつもりらしい。
「皆見てないところだったら良いの?」
ちょっとばかし意地悪な質問だったかなぁと思う。
ハッと驚いたような表情を浮かべ、うっすらと頬を染める。
そんなことされてしまえば、こっちも恥ずかしくなってくる。あぁ、暑い暑い。最近はなんだか夏みたいな気候だから仕方ないよね。うん。
「冗談」
空気感に耐えられなくて私が逃げ出してしまう。
私は悪くない。悪いのはそんな恥ずかしい反応を示した琴葉ちゃんなんだからね、ってツンデレ顔負けな言い訳をしてみる。
でもキスそのものに拒否反応を示してるわけじゃないんだってことはわかった。
大きな収穫だったと思う。
私は彼女の手を払う。
そしてこてんと額と額をくっつける。
琴葉ちゃんの体温が私の方へ流れ込んでくる。温かくて、段々とそれは熱に変わっていって。それはきっとあっちも同じことを思ってるんだろうなぁ。そう思うと、私の身体中が熱を帯び始めた。
風邪でも引いたのかってくらい頭はくらくらする。
「しちゃうからね」
一応宣言はした。
嫌なら突き飛ばしたり、ビンタでもすれば良い。
発狂したって良い。叫べば誰かしらが私のことを止めてくれるはずだから。
でも彼女はそのどれもしない。
まるで私のキスを受け入れるかのように、そっと目を閉じて顎を少しだけ前に持ってくる。唇を差し出すみたいで。これじゃあキスしてくださいと言ってるようなものだ。
好きな人にこんなことをされてしまったら、リミッターというリミッターがすべて外れてしまう。
この状況下で理性を保てる人間の方がおかしい。
私はそのままゆっくりと唇に唇を重ねる。
未知の領域がくわぁぁぁぁぁって広がった。
踏み込んだことのない感覚が私の口の中にぐわんぐわんと流れ込んでくる。情報過多で、私はそのままぶっ倒れそうになる。
幸せ過ぎて……あぁ、私もう死ぬのかもしれない、と縁起でもないことを本気で思った。死なないけど。
空っぽの心に幸福という液体が大量に注ぎ込まれる。
やがてそれは満たんになって、私は余韻を噛み締めながら彼女から離れた。
ディープなキスではなかったせいか、糸を引くみたいなことはない。
私はぽかぽかした頬を両手で触りながら、立ち上がってふぅと息を吸う。
教室の中に居る誰も彼もが私たちを見る中、くいっと手を挙げて、さらに注目を集める。
「聞けっ」
私は叫ぶ。
シーンっと教室内は静まり返った。
わざとニヤッとして、この今一瞬を楽しむ。
「私は琴葉ちゃんと付き合った。彼女は私の彼女だし、私は彼女の彼女。良い? 私の彼女になにかしたら容赦しないから」
誰が琴葉ちゃんのことを虐めてたのかも、どうやって虐めてたのかも未だに知らない。そもそも詳しく説明させるほどデリカシーがないわけじゃない。だからぜんぶ推測で、憶測でしかないけど。でもやりそうな人ってのは一定数思い浮かぶ。
だから順々に睨みを効かせる。
今まで色んな人に媚びへつらって、空気を読んで、好かれる人間を演じてきたのは好きな人を守り通すためだったんだなって救われたような気になった。
とっても清々しい気分だ。
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